実在ゲキウマ地酒日記

庶民的だが哲学的、個人的だが家族的でもある酒日記

実在ゲキウマ地酒日記 須賀原洋行
名無し

グルメ漫画といえば登場人物、特に主人公は 食の見識や味覚、調理技術に優れていたり拘りがあったり、 なんて凄い人なんだ、と読者をうならせるのが普通。 ところがこの漫画の主人公・須賀原洋行先生(実在)は 素人っぽさに溢れている。 日本酒・地酒歴は何十年にも及ぶものの、 かつては日本酒なんか旨いと思わず好きでもなかった。 ところが「夏子の酒」を読んで日本酒に興味を持ち、 仕事と一石二鳥をかねるために酒肴漫画の企画を 編集部に持ち込み、毎回、色んな酒と自作の肴を 味わう漫画の連載を始めるという、見事なまでな庶民ぶり。 酒や肴の知識もテレビやネットで吸収し、 それをなんのてらいもためらいもなく漫画にしている。 「タモリ倶楽部でやっていたから美味いはず」とか。 酒や肴の好みや拘りもあっさり変わったりする。 純米酒主義から本醸造酒肯定に変化したりするし、 酒の肴としてのオデンにもこだわりがあったはずなのに、 漫画の「おせん」を読んで改めたりするし。 だがそれだけに、無駄にカタチやミエにとらわれない、 独特な感想や意見や表現が続出する。 正直、絵は個性的ではあるが上手いとは言い難い。 ギャグやオチも結構ベタだと想う。 しかし、他の漫画家先生では絶対に出せない味を しっかりと醸し出している。 酒のセレクトも独特だし、自作の肴も 手軽なものもあるが、かなり凝ったものまで作ったりしている。 グルメ漫画で酒の肴を描くなら、簡単お手軽で読者も 作ってみたくなるものとか、逆にそこまで絶対に 手間をかけられないと諦観する豪華で贅沢品を描くか、 どっちかになりそうなものだが、須賀原先生の肴は ワリと微妙に 「美味そうだし作れそうだけれど  メンドクサイから作る気にならない」 といった感じのものが多い。 読者が漫画に求めるニーズを外しているような気もする。 だが、そのへんが須賀原先生の哲学的な部分で それがよく出ている漫画、という感じがした(笑)。 実在ニョーボのヨシエさんや 息子(連載当初は未成年)も話に加わってきて 好き放題に個性的な発言を連発し各話は進行する。 酒と肴がテーマの漫画のわりには楽しい家族漫画でもある。 須賀原先生らしい個性的な 「酒のある家族日記」漫画だと想う。

海賊とよばれた男

武士は食いつつ高楊枝

海賊とよばれた男 須本壮一 百田尚樹
名無し

普通は稼いで喰うために仕事をするわけです。 喰えなかったら嘘をついたり他人の世話になったり、 他者に迷惑をかけるしかないわけで。 逆に余裕で喰えるなら善も偽善もする余地が生まれるわけで。 武士は食わねど高楊枝、という例えもありますが、 高楊枝を咥えるのにも最低限の金はいるわけで。 その一方で、武士の商法という言葉もあったりして、 志だけ高くてもビジネスで成功は出来ないわけで。 ビジネスがシビアなものであるのは世間の常識では あるわけですが、かといって実利第一で マナーやルールや人情をないがしろにしたら やはりいずれどこかで恨みを買ったりして潰されるわけで。 盛者必衰の理、とでもいいましょうか。 それに加えて、普通は人間は情にもろい。 「情け」「縁」「家族」「日本人」「大和魂」 「友情」「仲間」「仁義」「筋」とかの キーワードには弱いわけです。 さすがに「非国民」なんて言葉は最近はあまり聞きませんが。 「海賊とよばれた男」は面白いし感動します。 けれども危ないキーワードが満載なんです。 下手したら冷静な判断を失うくらいに。 「それでも日本人か!」とか「君は家族だ」 とか、ある意味で無敵ワードですよ。 それを否定したら非難の嵐。今風に言えば炎上必至。 ですからこそそこで、今一度「日本人」とか「家族」とかの 言葉の意味を、少し距離を置いて見据えながら読むべき だと思います。 「日本人であるとはどういうことか」 「家族とはどういうものか」 それを考えながら読んでこそ、読んだ甲斐が生まれるような 気がします。 そこを外しちゃうと、 「令和納豆」の世界になっちゃうんじゃないかな、と。