名無し1年以上前編集「ハワードさんの新聞広告」と「ミスターの小鳥」を読み比べると 前者のジルは少女とも少年ともはっきりさせてない (少女が空を飛んだ可能性を残している) 後者は女はサンルームで万年お茶会、自由に空を飛ぶのは裸の少年 だ け 裸にする意味があるの?? なんか改悪というか男尊女卑ツライ5わかるmode_comment1返信favoriteわかるreply返信report通報
名無し1年以上前編集「ハワードさんの新聞広告」と「ミスターの小鳥」を読み比べると 前者のジルは少女とも少年ともはっきりさせてない (少女が空を飛んだ可能性を残している) 後者は女はサンルームで万年お茶会、自由に空を飛ぶのは裸の少年 だ け 裸にする意味があるの?? なんか改悪というか男尊女卑ツライ@名無しハワードさん…が1974年 ミスター…は1976年 「空を飛ぶ子供が裕福で頑固な老人を改心させる」は 「全寮制寄宿舎・温室・バラ・池」などのモチーフ被りではなく テーマをナニして変奏曲を奏でてるってくらい被せてる 洒落てぐっとくるミュージカル曲を、古典的なクラッシック調に これも竹宮先生は「萩尾が私のクロッキー帳を見たから」という のかもしれないが、原作者は違う人 イケダイクミは竹宮先生のクロッキー帳を見れたの? こんな突飛なストーリーの児童小説も映画もないのに被るの? 竹宮先生は小学館の自選短編集「姫くずし」ではあとがきで 「みんなに一番褒められたから」とガチでお気に入りで巻末にしてる 栗本薫の「僕らの気持ち」はこれが元ネタなのかね13わかるfavoriteわかるreply返信report通報
名無し1年以上前謙虚と言うより自虐性を感じた 周りが凄いと言おうが売り上げが凄かろうが、自分の作品だけは美点より欠点がやたら目に入ってしまうタイプ あれだけの作品描いてるんだから自分が一山いくらの作家じゃない事くらいは自覚できそうなのに、なんか、自分が死んでも代わりは居ると本気で思ってそうというか 逆にそこに凄味と恐ろしさを感じるけど自由広場萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について20わかる
名無し1年以上前「萩尾望都のギムナジウムものは竹宮惠子の風と木の詩のパクリ」という噂を当時聞いたことがある。 似てないよね? そもそも萩尾望都の方が先に描いてるし。なんでやねん、と当時不思議に思ったけど、この本読んで噂の出処を理解した。 竹宮惠子本人が疑っちゃったのかあ…。 昔から両者におけるパクリかなんだかよくわからないけど異常に似ている事柄として、竹宮惠子の「地球へ…」の第一部と萩尾望都「あそび玉」があるけど(これも萩尾望都が先行)。 萩尾望都の盗作を疑った側の竹宮惠子が、盗作というか剽窃というか「そっくりでね?」と読者が首をひねる作品を描いちゃったのが非常に不可解ではある。 仲良し同士ならうっかりそういうこともあるかもだけれど(一度きり〜を読む前はそういう理解だった)、パクられるのを嫌がっての絶縁後に何故こんなことに? マジで訳わからん。 単なるパクり以上に闇を感じる。 萩尾望都が徹底的に竹宮惠子を避けた挙句、殺す勢いで「復縁はないよ」と宣言し、大泉時代を埋葬して墓碑銘まで書いた理由はそういうところなのかも。自由広場萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について162わかる
名無し1年以上前完膚なきまでにボコっちゃったせいなのか、 はたまた「二人は仲良し」の幻想を砕かれての錯乱なのか、 「ここまで容赦なく切り捨てるということは、萩尾望都は竹宮惠子側の事情にさほど関心がなかったのか」 「頑なすぎる、人として欠陥のある心性」 「傷つけられたからといってここまでやっていいのか」 的な感想をちょいちょい見かけるけど、正直それよくわかんないんだよね。 竹宮惠子にああまでされたら反撃するでしょ普通、としか思えない。 「大泉企画本(少年の名はジルベール)には協力できません、萩尾望都に関して本には書かないでください、書いたとしても数行で」 と事前に説明してあるにも関わらず、メインの登場人物にされてるわ、 マスコミからの竹宮惠子との対談要求を竹宮サイドは断りもせず萩尾サイドに丸投げしてくるわ。 献本送り返すほどなんだから、迷惑なのわかってる筈なのに、そういうことしてくる訳でしょ。 迷惑なのを説明するため過去を紐解いたら、当時の事情も語ることになる訳で、萩尾望都は真摯に誠実に己が事情を世に出しただけだよね。PTSDで血まみれになりながら。 竹宮惠子は喜ぶべきだと思うよ。 一度きりとはいえ、大泉に関して、萩尾望都から返事がきたのだから。 萩尾望都に公開処刑される経験も滅多にないというか空前絶後だろうし、スペシャルな存在になれたよね。 永久凍土の中とはいえ。自由広場萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について114わかる
名無し1年以上前完膚なきまでにボコちゃったからね 「竹宮先生のアレは若気の至りなのにここまでするなんて酷い!!」という感想もよく見る でも萩尾望都が怒っているのは昔のこと以上に、大泉時代を自分を巻き込んだ形でコンテンツ化しようとする動きじゃないかな 竹宮惠子が「少年の名はジルベール」で萩尾望都のことを書かなければ、 そして対談等の協力企画への対応をマスコミに丸投げしなければ、何も語ることなく静かに暮らしていたろうに 竹宮惠子は自業自得でしかないと思う マスコミ的には「企画的に面白いものを出せ」と藪を突いたら、企画ごと叩き潰す巨龍が出てきちゃった感じかな この先どうするのだろう自由広場萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について100わかる
萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について
「ハワードさんの新聞広告」と「ミスターの小鳥」を読み比べると
前者のジルは少女とも少年ともはっきりさせてない
(少女が空を飛んだ可能性を残している)
後者は女はサンルームで万年お茶会、自由に空を飛ぶのは裸の少年 だ け
裸にする意味があるの??
なんか改悪というか男尊女卑ツライ
ハワードさん…が1974年
ミスター…は1976年
「空を飛ぶ子供が裕福で頑固な老人を改心させる」は
「全寮制寄宿舎・温室・バラ・池」などのモチーフ被りではなく
テーマをナニして変奏曲を奏でてるってくらい被せてる
洒落てぐっとくるミュージカル曲を、古典的なクラッシック調に
これも竹宮先生は「萩尾が私のクロッキー帳を見たから」という
のかもしれないが、原作者は違う人
イケダイクミは竹宮先生のクロッキー帳を見れたの?
こんな突飛なストーリーの児童小説も映画もないのに被るの?
竹宮先生は小学館の自選短編集「姫くずし」ではあとがきで
「みんなに一番褒められたから」とガチでお気に入りで巻末にしてる
栗本薫の「僕らの気持ち」はこれが元ネタなのかね