ある男性漫画オタ1年以上前編集遅ればせながら読んだ、両者とも2.3作程度しか読んでないし、それほど思い入れがある訳じゃないし、想像も多くあまりお行儀の良い評では無いが これ…若さの一言で済ませたり、モーツァルトやサリエリのような天才・秀才キャラの類型化が容易に可能な話になってしまってるな… あまり類型化して語るのは両者に対して失礼なんだが、両方見た印象として、ベルセルクのニーナとルカ、うしおととらのうしおと秋葉流だわ… 増山女史がどういう役割だったかは分からないが、なんか、萩尾女史は異常に自己評価が低いというか、竹宮の方が人気だったし私は大泉じゃ脇役に過ぎなかったと認識してるから、上から踏みつけられた(事実そういう構図)と思ってるけど 竹宮女史は「嫉妬」とか言う言葉で済ませてるけど、多分うしとらの流というか、萩尾女史の竹宮恵子の方が私より上だという本気の認識が針の筵か、眩しくて死にそうだったんじゃないのかこれ 恐らく少年愛物っていうのは最後の砦というか「萩尾には描けない、私は描ける」という拠り所で、萩尾側の才能に焦りと強迫観念が相当あったのでは 社交性や漫画の人気でルカ姉ポジションに付けても、創作者としての実力でニーナ側に自分を感じていたように見える 「スランプ」なんて言葉で誤魔化してるし、年月と賞賛が傷を癒したんだろうけど、いくら若さで強迫観念や焦りが爆発したとしてもやられた側の傷が癒える筈もないというか 若い個性の強い作家が共同生活を送る以上、いつか訪れる必然的な破局だったように思う 誰だって長い人生の一時、楽しい思い出も嫌な思い出もあるもんだが、竹宮女史が「色々()有ったけど今は全部良い思い出」くらいに書いてるのに、萩尾女史は「最後に180度変わって全部悪い思い出になったから封印した」っと言いきっちゃってる 一応読む限り良い思い出もあったというのはうっすら見えるけど、たぶん自分があの場の中心の一人だったという自覚は微塵も持ってない… 職人型の人間はよく自分の引力を理解してない事があるけど、恐らく萩尾女史は正にそういう人間なんだと思う 少女漫画革命に熱心だったのは竹宮・増山女史ではあったのだろうし、萩尾女史は無関心に自分の漫画を描いてたら周りが持ち上げて、革命の一つだと認識したのだろうけど 革命を起こすために描いた作品で革命を起こしたのに、向こうは革命なんてする気なしに革命してる、これもさらに竹宮女史のコンプレックス刺激したのでは サロンなんて言い方してるけど、実際は山岳ベースというか、よく刃傷沙汰にならなかったなとすら思ってしまった なんというかトキワ荘にはテラさんが居た、個室があった、大泉には無かったと言おうか、トキワ荘の物語も決して美しい物語ばかりじゃないというのは描かれてるんだけど、青春の1ページになっていたわけで 「少女漫画のトキワ荘」幻想が粉微塵に吹き飛んだ 実際自分もこの二人の作品は「歴史」的に読んでいただけに少々恥じ入っている、当事者が生きている歴史はナマの過去だと心に刻んで起きたい25わかるfavoriteわかるreply返信report通報
コンプレックスまんだ林檎3巻まで刊行1件のクチコミ運命の小学5年生の時。この事件がなかったら、彼らの運命は変わっていたのだろうか。完全ショタものではじまった二人の関係の意外な行く先。はじまり方とは裏腹に、1話ごとに確実に進む時間と二人の関係はどこまでいくのか。試し読み
うしおととら藤田和日郎全33巻完結10件のクチコミ蔵の中に、500年も閉じこめられていた妖怪。ヤツはその昔、人を食い、悪業の限りを尽くしていた。ひょんなことからヤツを解き放ったのが、蒼月潮(あおつきうしお)。うしおはヤツにとらと名づけた……。うしおととらの伝説が、いま、幕を開ける!試し読み
ある男性漫画オタ1年以上前あまり類型化すべきじゃないと分かってはいるんだが、曝け出してる萩尾女史に対して竹宮女史は肝心な所をボカしてるせいで、実在人物だと庵野秀明・島本和彦的な物を感じた もしもジルベール曝け出し版が出たら「絵、絵が漫画になってるじゃないかー!」とか「やめろ萩尾!俺より面白い漫画を描くんじゃねー!」とか 家に帰ってもライバル視する巨大な才能と顔を合わせ日々神経を擦り減らすシーンとか 「アホやねー」ならぬ、「少年愛わかってるねー」で開き直れる竹宮女史が凄い簡単に想像できてしまう 島本先生はコミュ力お化けだし、庵野監督は良い嫁さん見つけて復活できてるし、同居もしてないから全く違う結末に至ってるけど、自分と違う才能に嫉妬するって詳細に描いたらああいう苦悩は絶対あるだろうし 何というか野次馬根性というか、ねらー的な下品な興味本位なのは分かってるのだが「嫉妬」の一言で済ませないで完全に吐き出した竹宮恵子の見解を読んでみたい そんな事しても登場人物が凄いだけで、どこにでもあるオタサー崩壊秘話な気もするが自由広場萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について9わかる
名無し1年以上前「萩尾望都のギムナジウムものは竹宮惠子の風と木の詩のパクリ」という噂を当時聞いたことがある。 似てないよね? そもそも萩尾望都の方が先に描いてるし。なんでやねん、と当時不思議に思ったけど、この本読んで噂の出処を理解した。 竹宮惠子本人が疑っちゃったのかあ…。 昔から両者におけるパクリかなんだかよくわからないけど異常に似ている事柄として、竹宮惠子の「地球へ…」の第一部と萩尾望都「あそび玉」があるけど(これも萩尾望都が先行)。 萩尾望都の盗作を疑った側の竹宮惠子が、盗作というか剽窃というか「そっくりでね?」と読者が首をひねる作品を描いちゃったのが非常に不可解ではある。 仲良し同士ならうっかりそういうこともあるかもだけれど(一度きり〜を読む前はそういう理解だった)、パクられるのを嫌がっての絶縁後に何故こんなことに? マジで訳わからん。 単なるパクり以上に闇を感じる。 萩尾望都が徹底的に竹宮惠子を避けた挙句、殺す勢いで「復縁はないよ」と宣言し、大泉時代を埋葬して墓碑銘まで書いた理由はそういうところなのかも。自由広場萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について162わかる
名無し1年以上前完膚なきまでにボコっちゃったせいなのか、 はたまた「二人は仲良し」の幻想を砕かれての錯乱なのか、 「ここまで容赦なく切り捨てるということは、萩尾望都は竹宮惠子側の事情にさほど関心がなかったのか」 「頑なすぎる、人として欠陥のある心性」 「傷つけられたからといってここまでやっていいのか」 的な感想をちょいちょい見かけるけど、正直それよくわかんないんだよね。 竹宮惠子にああまでされたら反撃するでしょ普通、としか思えない。 「大泉企画本(少年の名はジルベール)には協力できません、萩尾望都に関して本には書かないでください、書いたとしても数行で」 と事前に説明してあるにも関わらず、メインの登場人物にされてるわ、 マスコミからの竹宮惠子との対談要求を竹宮サイドは断りもせず萩尾サイドに丸投げしてくるわ。 献本送り返すほどなんだから、迷惑なのわかってる筈なのに、そういうことしてくる訳でしょ。 迷惑なのを説明するため過去を紐解いたら、当時の事情も語ることになる訳で、萩尾望都は真摯に誠実に己が事情を世に出しただけだよね。PTSDで血まみれになりながら。 竹宮惠子は喜ぶべきだと思うよ。 一度きりとはいえ、大泉に関して、萩尾望都から返事がきたのだから。 萩尾望都に公開処刑される経験も滅多にないというか空前絶後だろうし、スペシャルな存在になれたよね。 永久凍土の中とはいえ。自由広場萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について114わかる
名無し1年以上前完膚なきまでにボコちゃったからね 「竹宮先生のアレは若気の至りなのにここまでするなんて酷い!!」という感想もよく見る でも萩尾望都が怒っているのは昔のこと以上に、大泉時代を自分を巻き込んだ形でコンテンツ化しようとする動きじゃないかな 竹宮惠子が「少年の名はジルベール」で萩尾望都のことを書かなければ、 そして対談等の協力企画への対応をマスコミに丸投げしなければ、何も語ることなく静かに暮らしていたろうに 竹宮惠子は自業自得でしかないと思う マスコミ的には「企画的に面白いものを出せ」と藪を突いたら、企画ごと叩き潰す巨龍が出てきちゃった感じかな この先どうするのだろう自由広場萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について100わかる
萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について
遅ればせながら読んだ、両者とも2.3作程度しか読んでないし、それほど思い入れがある訳じゃないし、想像も多くあまりお行儀の良い評では無いが
これ…若さの一言で済ませたり、モーツァルトやサリエリのような天才・秀才キャラの類型化が容易に可能な話になってしまってるな…
あまり類型化して語るのは両者に対して失礼なんだが、両方見た印象として、ベルセルクのニーナとルカ、うしおととらのうしおと秋葉流だわ…
増山女史がどういう役割だったかは分からないが、なんか、萩尾女史は異常に自己評価が低いというか、竹宮の方が人気だったし私は大泉じゃ脇役に過ぎなかったと認識してるから、上から踏みつけられた(事実そういう構図)と思ってるけど
竹宮女史は「嫉妬」とか言う言葉で済ませてるけど、多分うしとらの流というか、萩尾女史の竹宮恵子の方が私より上だという本気の認識が針の筵か、眩しくて死にそうだったんじゃないのかこれ
恐らく少年愛物っていうのは最後の砦というか「萩尾には描けない、私は描ける」という拠り所で、萩尾側の才能に焦りと強迫観念が相当あったのでは
社交性や漫画の人気でルカ姉ポジションに付けても、創作者としての実力でニーナ側に自分を感じていたように見える
「スランプ」なんて言葉で誤魔化してるし、年月と賞賛が傷を癒したんだろうけど、いくら若さで強迫観念や焦りが爆発したとしてもやられた側の傷が癒える筈もないというか
若い個性の強い作家が共同生活を送る以上、いつか訪れる必然的な破局だったように思う
誰だって長い人生の一時、楽しい思い出も嫌な思い出もあるもんだが、竹宮女史が「色々()有ったけど今は全部良い思い出」くらいに書いてるのに、萩尾女史は「最後に180度変わって全部悪い思い出になったから封印した」っと言いきっちゃってる
一応読む限り良い思い出もあったというのはうっすら見えるけど、たぶん自分があの場の中心の一人だったという自覚は微塵も持ってない…
職人型の人間はよく自分の引力を理解してない事があるけど、恐らく萩尾女史は正にそういう人間なんだと思う
少女漫画革命に熱心だったのは竹宮・増山女史ではあったのだろうし、萩尾女史は無関心に自分の漫画を描いてたら周りが持ち上げて、革命の一つだと認識したのだろうけど
革命を起こすために描いた作品で革命を起こしたのに、向こうは革命なんてする気なしに革命してる、これもさらに竹宮女史のコンプレックス刺激したのでは
サロンなんて言い方してるけど、実際は山岳ベースというか、よく刃傷沙汰にならなかったなとすら思ってしまった
なんというかトキワ荘にはテラさんが居た、個室があった、大泉には無かったと言おうか、トキワ荘の物語も決して美しい物語ばかりじゃないというのは描かれてるんだけど、青春の1ページになっていたわけで
「少女漫画のトキワ荘」幻想が粉微塵に吹き飛んだ
実際自分もこの二人の作品は「歴史」的に読んでいただけに少々恥じ入っている、当事者が生きている歴史はナマの過去だと心に刻んで起きたい
コンプレックス
運命の小学5年生の時。この事件がなかったら、彼らの運命は変わっていたのだろうか。完全ショタものではじまった二人の関係の意外な行く先。はじまり方とは裏腹に、1話ごとに確実に進む時間と二人の関係はどこまでいくのか。
うしおととら
蔵の中に、500年も閉じこめられていた妖怪。ヤツはその昔、人を食い、悪業の限りを尽くしていた。ひょんなことからヤツを解き放ったのが、蒼月潮(あおつきうしお)。うしおはヤツにとらと名づけた……。うしおととらの伝説が、いま、幕を開ける!
ベルセルク
巨大な剣を背負い、鉄の義手をつけた剣士・ガッツ。彼の行くところ、血の雨が降り、死体の山が築かれる…!大ヒット!!圧倒的迫力の叙事詩!!