江戸の蔦屋さん

がんばれ蔦屋ちゃん

江戸の蔦屋さん 桐丸ゆい
名無し

蔦屋重三郎という人物は、 知っている人は知っている、というか、 もしかしたら謎の天才浮世絵師・写楽を 世に送り出した版元の経営者として 有名な人物かもしれません。 しかしただそれだけの人物ではなく、 今よりも娯楽が限られていた、というか 生活するだけで色々と大変で、という時代に 各種娯楽をプロデュースして世に送り出し、 それを生業として繁盛させており、なかなかの ヤリ手ビジネスマンだったと言えるでしょう。 そういうヤリ手、切れ者というと、マンガ的には 大人物でセンスがあってそれでいて金銭感覚がシビア、 という少しクールな完璧人間に描かれがちです。 しかし、この漫画の蔦屋重三郎は「蔦屋ちゃん」とでも 呼びたくなるようなカワイイキャラに描かれています。 他の登場人物(とくに歌麿)に振り回されますし。 作者の桐丸ゆい先生が江戸文化を愛する方らしく、 史実にそった範囲の中で、蔦屋、歌麿、写楽などの 喜怒哀楽に満ちた江戸生活が愛らしく描かれています。 吉原が舞台の話もあります。 なんせ吉原ですから光と影というか、陰鬱な部分も 実際には存在したでしょうけれど、 このマンガは良い意味で江戸文化の愛すべき部分を カワイイ絵で描いていて、明るく楽しめるマンガです。 ゴロゴロしてばかりで働かない歌麿や 吉原で女郎として働く女性たちなどを描きながら。 江戸文化の良い面を味わえるマンガだと思います。

ダンピアのおいしい冒険

ゲテモノ喰いで、新世界攻略! #1巻応援

ダンピアのおいしい冒険 トマトスープ
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ

ウィリアム・ダンピアは博物学者であり、作家であり冒険家、そして海賊である。 彼は十七世紀に、40歳まで海賊として世界を冒険し、詳細な旅程や風物の記録を残す。彼の本は後の地誌学や『ロビンソン・クルーソー』『ガリバー旅行記』などの文学にも影響を与える。 本作で描かれる彼の面白さは、海賊として荒事にも参加し、海賊を仲間として信頼しながらも、知識層に属する航海士への尊敬と好意も持ち合わせる、ニュートラルさ。その冷静さと熱い知識欲の眼差しで、彼は航海中のあらゆる物事を詳細に記述していく。 彼の物事を知るためのアプローチの一つとして「食」への挑戦がある。 ちょっとグロくても、食えそうと思ったら、何でも捌いてみて食べる!動物も植物も、現代の私達には想像もつかない物が多く、「それ喰うんすか?」である。 食材のバリエーションを広げることが生死に直結する航海。美味くても食いづらくても栄養価が重視される事情と、ダンピアの知識欲が噛み合って、かなり興味深い未知の食材が見られる。 当時の世界情勢と海賊事情、冒険のリアルと食事情、地理学や民俗学の原点……見所満載の航海記。世界一周を最後まで追いたい!

悪女

あまりに面白くてあっというまに読んでしまった

悪女 深見じゅん
マンガトリツカレ男
マンガトリツカレ男

主人公の田中麻里鈴はコネで一流企業に就職したけれど出身大学は三流がおまけにコネには力がない。入社してすれ違った男性社員に一目惚れして、その男性社員の近くにいくには「出世が一番」と助言されてから物語の本編がスタートする。 マンバにあったクチコミを見て気になって読んだが予想以上に面白い。あらすじの時点では合わないかもと思ったが最初のほうで「峯岸さん」で登場して出世するには話あたりから「これ面白くねーか?」と思い「夏目さん」「小野さん」「璃羅のよしえさん」あたりが登場した辺で確実にハマった。 配置転換などでいろいろ部署が変わるが個人的に特に好きなのが「ホワイトローズクラブ編」と「レディスシンクタンク出向編」 「ホワイトローズクラブ編」は始まりから結末までむちゃくちゃよかった。令和の景気の悪さでは絶対ありえなそうな事例だがバブルの頃にだったらあったかもしれない内容とそれに対する会社のやりかたが興味深かった。 「レディスシンクタンク出向編」は「峰岸さん」「高井さん」の間に挟まれてどっちかにつけば楽になるというのに最後の最後まで悩み抜いてあの結論をだしたのはすごい良い内容だった。 「総務部総務課山口六平太」の全体を見て最適化する会社員や「サラリーマン金太郎」のすごい会社員とも違うし、同じ女性が主人公の「この女に賭けろ」のような正統派キャリアでもない今まで俺がしらない路線の会社員マンガだった。 好きな登場人物は「峯岸さん」「小野さん」「高田さん」かな

お母さん二人いてもいいかな!?

壮絶だけどその辺で普通に生活している人の話

お母さん二人いてもいいかな!? 中村珍 中村キヨ
nyae
nyae

読み始め、作者の中村キヨさんが前の奥さんを病気で亡くして別の女性と再婚するところから始まるんですが、別れの部分があまりに衝撃的だったので「その話を描いたエッセイがあるのでは」と思って探したんですけど、多分ないみたいです。そして、作中でも亡くなった方とどのような暮らしをしていたかはほぼ語られません。 メインは酔っ払って道端で座り込んでいたところを中村さんが介抱してあげたことがきっかけで知り合い、結婚(もちろん事実婚)したサツキさんとの生活が描かれますが、その中身は私が想像できるレズビアン同士のやり取りからは想像を遥かに超えるものがありました。 ただそれは、この人達がこうなだけであって、レズビアンとはLGBTとはこういうものという話ではなく、言うなればその辺で生きてるとあるカップルの日常を描いたに過ぎない。 サツキさんには息子が3人いるのですが、当然中村さんとは血の繋がりはありませんので、父と母が1人ずつではない家庭を彼らなりに受け入れなければならない。そこで親が先駆けて周りにカミングアウトするのもありではという中村さんに対し、サツキさんが「子は親を選べない以上、選べることは全て選ばせたい」「遠くの1億人が理解してくれたって、身近な10人が無理解だったら地獄でしょ」と伝えます。ほんとその通りですね。 「愛とはなんなのか」というのも常に問い続けているのも印象に残ります。もちろん答えは見つかりませんが、読者として感じたのは、愛する人が幸せであるように願うこと、かもなと思いました。

歩くひと

トーンの魔術師

歩くひと 谷口ジロー
影絵が趣味
影絵が趣味

『歩くひと』完全版の発売にともない、その一話の『よしずを買って』が暑い季節がらもあって大変話題になっています。喜ばしいことです。『歩くひと』ひいては『よしずを買って』は、谷口ジローの数ある作品のなかでも、もっとも谷口ジローらしいというか、彼の真骨頂が発揮されている一作だと思います。 サイレント映画ならぬ、サイレント漫画とも言うべき、台詞の一切ない『よしずを買って』は、いかにも谷口ジローらしい。もともと谷口ジローの描く作中人物はどちらかといえば寡黙な人物が多い。お茶の間にもっとも迎えられた『孤独のグルメ』の井之頭五郎を筆頭に、いちばんコンビを組んだ狩撫麻礼の作中人物もザ・寡黙という人ばかりです。あるいは『坊っちゃんの時代』の夏目漱石にしても寡黙な人として描かれ、漱石が語るのはなく、漱石が世相を"見る"ことで物語が運ばれてゆきます。 そう、夏目漱石の代表作といえば『吾輩は猫である』ですが、これにも全く同じことがいえて、猫は喋れませんから、猫が世相を観察することで小説が持続してゆきます。この漱石の猫をもっと健気にやってみせたのが、大島弓子の『綿の国星』になると思います。 このことは谷口ジローの作風にとても深く関係していると思います。このことから、漫画家でありながら、原作を置くことをまるで躊躇わない谷口ジローの立場というものが明らかになると思います。ふつう、作者心理としては、イチから全部みずからの手で作りたいという想いがあると思うのですが、谷口ジローにはあんまりそういうところがない。たとえば、黒田硫黄や、最近では田島列島なんかは映画作りの側から漫画に流れてきた人です。彼らは他人との共同作業ができなくて、全部みずからの手でやらなければ気が済まなかったんですね。 なるほど、映画作りは分業制です。とくに映画産業がもっとも盛んだった1920年代から40年代ぐらいの映画監督は往々に職業監督と言われ、つまりは映画会社お抱えのサラリーマン監督として、会社が求める映画をその通りに撮っていました。当時の映画監督はどっかの知らない脚本家が書いた脚本をその通りに忠実に撮っていたのです。たとえば西部劇でよく知られるジョン・フォードという人がそうで、それこそ会社の要請で馬車馬のように西部劇を撮りまくり、100本以上の映画を監督しています。現代の優れた映画人の代表のように言われるクエンティン・タランティーノですら10本そこらしか監督していないのですから、この本数の差はあまりにも如実というほかありません。では、当時の映画監督が手抜きで質の悪い映画を量産していたのかといえば、必ずしもそうではない。これは私見ですが、ジョン・フォードの任意の1本は、タランティーノの10本を束にしても勝てないと思います。それほどまでにジョン・フォードの映画は美しい。そして、その美しさは谷口ジローの美しさにもよく似ていると思うのです。 職業監督とはいっても、腐っても映画監督です。どっかの誰かの脚本をその通り忠実に撮るとはいっても、その撮影現場でカメラが何を映すのかは監督に委ねられています。そういう意味で、職業監督は喋ることのできない猫によく似ている。語ることはできないけれど、カメラの目で映すことはできる。そう、たとえば、脚本にはそんなことが一切書かれていなくても、撮影現場に煌めいている木漏れ日の光や影を映すことはできるのです。 谷口ジローの仕事も、まさしく彼の目に見えたものを丹念に描き映すことに捧げられています。彼が一番影響を受けたと語っているメビウス(=ジャン・ジロー)は、メビウス名義で自由で独創的な作風のものを描き、ジャン・ジロー名義では40年間『ブルーベリー』という硬派な西部劇を描き続けました。ひとつのジャンルにあえて固執し続けるということは、自ら拘束着を身にまとい、寡黙に徹することにひとしいでしょう。メビウスに影響を受けたという漫画家が多いなかで、谷口ジローは『ブルーベリー』のジャン・ジローに影響を受けたという数少ないひとりでした。おそらく、語ることよりも見ることに自身の芸術性の発露を感じるジョン・フォードや、ジャン・ジローや、谷口ジローのような作家は、環境が不自由であるほうがむしろ都合が良いということがあるのではないでしょうか。たとえば、散歩をしていて、頭のなかであれこれと考え事をしているときは、周囲の風景が目に入ってこないものです。同じように語ることと見ることは同居が難しいのではないでしょうか。 ところで、『よしずを買って』は、夏の陽射しをトーンで見事に描き映していますよね。トーンの魔術師とは、『絶対安全剃刀』で世にでた高野文子に当てられた言葉ですが、谷口ジローのトーンもじつに素晴らしい。高野文子は何から何まで全部自分でやらなければ気が済まないほうのタイプだと思いますが、やはり、まずテーマがある。よし、ここはひとつトーンを使って漫画に革命を起こそうじゃないか、そういう気概でもって漫画を描いて、しかも、いちど称されたテーマをその一回限りで暴力的に使い果たしてしまう。同じトーン使いの極致とはいっても、谷口と高野ではアプローチの仕方がちがいます。谷口には良い意味でも悪い意味でも発端となる語りのテーマがなくて、丹念に夏の陽射しを描き映した結果があのような見事なトーンとして表現されているように思えるのです。 いま、谷口ジローの境地に近い存在として、『ちーちゃんはちょっと足りない』の阿部共実がいると思います。連載中の『潮が舞い子が舞い』は、寡黙というよりは、むしろ、コマを台詞で埋め尽くしていくのですが、これが逆説的に寡黙のような作用をしているのです。そして時折、たとえば谷口や高野のような素晴らしいトーン描写が挿入される。なんだか話がだいぶ逸れてしまったので、この辺りで切り上げたいと思います。

戦後70周年増刊号

戦後70年を過ぎても読んでほしい戦争特集号

戦後70周年増刊号 ビッグコミックオリジナル編集部
ひさぴよ
ひさぴよ

2015年、戦後70周年に際して組まれたビッグコミックオリジナルの増刊号。各世代の漫画家が表現した「戦争マンガ 」16作が収録されています。過去作の再録だけでなく描き下ろし作品が半数近くあり、いずれも力作揃いです。戦中戦後の話だけでなく戦争の未来を描いたものまで幅広く、憲法9条を擬人化した「さよなら憲ちゃん」のような意欲作もあって面白いです。ちなみに、いましろ先生だけは釣り&愚痴のいつも通りの漫画になります(^ ^;) 重いテーマの作品が多いですが、収録順に趣向が凝らしてあり、最後まで疲れずに読み通しやすいです。収録作をまとめてみましたが、これが五百円で読めてしまうなんてお得すぎます。 以下、収録作 水木しげる「人間玉」 滝田ゆう「夢いちりん」 松本零士「晴天365日」 さそうあきら「奈々子戦記」描き下ろし 浅野いにお「きのこたけのこ」 高橋しん「LOVE STORY, KILLED.」 いましろたかし「自爆列島」描き下ろし 山上たつひこ「光る風」 呉智英さん解説付き 三島衛里子「橋のたもとで」描き下ろし 石坂啓「さよなら憲ちゃん」描き下ろし 比嘉慂「砂の剣」 あまやゆうき/吉田史朗「僕はあの歌が思い出せない」描き下ろし 竹熊健太郎/羽生生純「ほーむ・るーむ」 東陽片岡「五式戦じじいのブルース」描き下ろし 井上洋介「少年と戦争」 花輪和一「小日本鬼子穴」描き下ろし <コラム> いとうせいこう、無着成恭、横尾忠則、モーリー・ロバートソン、片岡義男、南信長「漫画と戦争」   漫画の合間のコラム「わたしの戦後70年談話」も読み応えがありました。 著名人が戦争を語ってゆくのですが、有名な教育者である無着成恭先生の「なぜ戦争はなくならないのか」という問いに対しての回答がとにかく素晴らしかったです。仏教的な観点で人間、畜生、餓鬼に例えた説話がおもしろいのなんの、このテーマだけで本一冊作れるのでは?と思ってしまうほど。 最後に<編集後記>堀靖樹さんのメッセージは本当にその通りだと思いました。”時代のカナリア”として戦後70年を過ぎても読まれ続けてほしい一冊です。 > 『こうして眺めてみると漫画家はやはり自由の民です。本能的にお上の胡散臭さを嗅ぎ分けてますし、自分の生死は自分の戦場で決めたいと考えています。だからこの増刊は時代のカナリアかもしれません。漫画家の想像力はもう何年も前から、日本の行く末に警鐘を鳴らしていたのです。 漫画は別にお国のためにはなりません。そして、その作品で仕事をしている我々、編集者もしかりです。だからこそ、この時代の「嫌な感じ」に声を上げましょう。そんな増刊号です』

歳下の先輩ちゃん2

焦ったい恋の時間制限(と、後押しする仲間)

歳下の先輩ちゃん2 なめたけ
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ

この作品は、なめたけ先生の『年下の先輩ちゃんには、負けたくない。』の続きであり、一応の終着点です。 ホームセンターを舞台にした、仕事の出来る女子高生先輩ちゃんと、気後れして敬語を使う後輩大学生の焦ったい恋物語は、一巻通してほんの少ししか進展しませんでした。 このジリジリした攻防のトキメキと、バイト仲間の楽しそうなやりとりを、ずっと見ていたいと思いましたが、彼らにはタイムリミットが待っています。 大学生の坂上は就職、高校生のかをりは進学……バイトを辞めればもう会うこともない関係。バイト以外の互いの世界も知らない二人。 時間制限の中でもなかなか前に進めない、二人の焦ったさを眺めているのも良い。けれどもきちんと気持ちを確かめ、勇気を持って相手に向かう時の高揚感たるや!時間と仲間に押されて進む恋の、一応の到達点を是非確かめて欲しい! ---余談--- それにしてもこんな二人、側にいたら見守りたくなります。坂上とかをりを見守る女子高生の若菜と新大学生の間中、さらに新加入の即戦力君なども、いつも一緒に働きながら二人をからかい、共に遊んだりしているのは、楽しそう。 中でもずっと見守って来た若菜。当初から二人を見守っていたこの女の子については、言葉を尽くしたい。 彼女のポジション、何気に楽しいです。気の合う仲間たちとワイワイしながら、仲間内の恋路を応援して、進展があれば心温かくなり、喧嘩すれば心配し……こんな時間がずっと続けば、なんて思ったりするかも(まあ、経験に基づく妄想ですが)。 最後の時間の、若菜の情動について、すごく分かってしまったというか、気持ちを共有してしまいました。泣きましたよ、ええ。 テキトーで時給以上働かない、でも明るくて仲間思いな若菜に……恋に落ちました(ポッ

うしおととら外伝

『うしとら』の世界を広げる外伝集

うしおととら外伝 藤田和日郎
ANAGUMA
ANAGUMA

『うしおととら』の短編エピソードが収録された外伝集。読めばキャラクターの魅力と本編の味わいがいやますこと間違いなしです! 家族を殺された鏢が仙界で仙術を身につけるまでを描く「桃影抄〜符咒師・鏢」や、紫暮と須磨子のなれそめを描いた「里に降る雨」、クリスマス嫌いの少年とうしおの交流が泣ける「プレゼント」など、本編人物を掘り下げるエピソードはどれも粒ぞろい。 最終巻のあとに外伝を読むケースが多いと思うのですが、もう一度1巻からキャラの活躍を読み直したくなっちゃうものばかりです。 なかでもとらの過去を取り上げたものが一番多く、平安時代の陰陽師との戦いをめぐる「妖今昔物語」、源氏の女武将巴御前ととらが出会う「雷の舞」、とらを封印した侍の物語を描いた「永夜黎明」と、時系列はそれぞれバラバラですが、外伝オリジナルのキャラクターが出てくるのが楽しいです。 なかでも「永夜黎明」の最終ページはあまりに美しく、これのおかげで読み終わると1巻にすぐ手が伸びるようになってるんですよね…。 個人的な一番のお気に入りは「雷の舞」です。女だからという理由で義仲とともに戦場に立てず、戦の終わりを「待つ」ことを強いられている巴御前。そんななか、尼僧とともに山に潜む物の怪の群れを退治することになるのですが、そこにとらが現れます(この登場シーンが最高!)。 「乗りてえ風に遅れたヤツは間抜けってんだ。」ととらに発破をかけられた巴御前は「待つ」ことをやめ義仲とともに決死の戦場に赴くのですが、この凛々しさにシビレます。 うしおだけでなく、様々な人のあり方をとらは変え続けてきたんだなというのが、なんかいいんですよね。 また、この『外伝』のコミックスには収録されていないですがうしおととらのコンビが外国の魔道士と対決する「ECLIPS」も超絶かっこいいです。 『原画集 月と太陽』や文庫版、完全版などで読めますのでぜひ。