1860年3月3日江戸・桜田門外…薩摩藩士を含む水戸浪士17名が大老井伊直弼を暗殺。この暗殺が後に会津藩にとって悲劇の始まりになろうとは誰一人考えもしなかったであろう…。――会津藩士七百石・井上丘隅(六十才)無役ながら、子供たちに論語・会津の歴史を教え、その人柄に重役から農民まで誰もが慕っていた。そしてその中には後に飯盛山で壮烈な最期を遂げる…白虎隊二番隊の少年たちがいた…。白虎隊の壮絶な生き様を描いた作品!
1860年3月3日江戸・桜田門外…薩摩藩士を含む水戸浪士17名が大老井伊直弼を暗殺。この暗殺が後に会津藩にとって悲劇の始まりになろうとは誰一人考えもしなかったであろう…。――会津藩士七百石・井上丘隅(六十才)無役ながら、子供たちに論語・会津の歴史を教え、その人柄に重役から農民まで誰もが慕っていた。そしてその中には後に飯盛山で壮烈な最期を遂げる…白虎隊二番隊の少年たちがいた…。白虎隊の壮絶な生き様を描いた作品!
30年近く漫画を描き続け、気づけば齢47になる漫画家・もりむら。次回作のアイディアを練っていたある日、とんでもないことを思いつく。それは、電気もガスも水道もない未開の山で、自給自足の“原始生活”を送ることだった!
「メディアが報じない福島第一原発とそこで働く作業員の日常」、そして「この先何十年かかるともしれない廃炉作業の現実」を、あくまでも作業員の立場から描写。「この職場を福島の大地から消し去るその日まで」働き続ける作業員たちの日々を記録した、いま日本に暮らすすべての人たちに一度は読んでいただきたい「労働記」です。
戊辰戦争・会津若松の戦いに敗れ、自害した仲間とはぐれ生き残った白虎隊士・白石鶴之助。死に場所を探していた彼に、会津藩軍事顧問ヘンリー・シュネルは、会津藩主松平容保より命を受けたアメリカ移民計画・若松コロニーへの参加を提案する。当時のアメリカは西部開拓末期、荒野と銃の世界に幕末の武士が挑む。アメリカ・カリフォルニアに実在した若津コロニーの歴史をもとに世界の歴史をつなぐ壮大な大河ストーリー。
慶応4年(1868年)―――。鳥羽・伏見の戦いで薩長連合軍に敗れた経験から、会津藩主・松平容保は軍制改革を実施。16歳から17歳の武家男子によって構成される「白虎隊」を組織した。ただ愛する大地のため、愛する者達のために戦い、僅か16~17年の短い人生を終えた少年達。彼らは如何に生き、如何に死んでいったのか。いつの時代も変わらない青春が、そこにはあった……!!
慶應4年(1868年)、時代が江戸から明治にかわる時。新政府軍のやり方に反発した東北諸藩は「奥羽越列藩同盟」を結成、東北全土を巻き込む戊辰戦争へと発展した。二本松藩(現在の福島県二本松市)の人々は自分の信じた道のために戦い、13~17歳少年たちもまた、郷土のために命をかけて戦った――。大河ドラマ「八重の桜」にも登場した、二本松少年隊の知られざる姿を描く。
白虎隊と聞いて思い出すのは小学校の修学旅行。日新館に行って「ならぬものはならぬものです」の教えを聞いたり、白虎隊が鶴ヶ城を望み自刃したという飯盛山に登ってお土産買ったりしたな〜ぐらいの知識で読んだ(八重の桜は観てない)。歴史を学んだ今読むと会津藩の最後ってこんな壮絶で悲劇的だったんだな…そら愛されるわと納得。 15、6歳の少年を投じ、女子供は辞世の句を詠み、何千もの砲弾を浴びながら鶴ヶ城に籠城し降伏……。 ずっと徳川家に忠実に仕えてきた会津藩が朝敵となり、それでも最後まで抗い続けた姿はなんとも言えない切なさ美しさがありますね。 ただ1人生き残った白虎隊隊士・飯沼貞吉が昭和6年まで生きていたと知りメチャクチャ驚きました。すげえな。 あとプロイセン人の武器商人を軍事顧問に雇ってたっていうのも19世紀の欧州と福島にそんな形で繋がりがあったなんて…と衝撃。 白虎隊ってタイトルだけど実際は幕末会津藩史だったので、もし本当に白虎隊にフォーカスしたマンガがあるなら読んでみたい。