子供の頃から手裏剣を投げ続けた男の話check_circle解決済みvisibility142mode_comment3西岸良平名作集名無し10年以上前、 とある町医者の待合室で読んだ漫画(短編集?)です。 子供の頃、新聞紙を丸めて棒にして剣を作ったり、スーパーのチラシで手裏剣を折って遊んだが経験が皆さんにもあると思います。(私は実際そういう子供でしたw)主人公は普通の男(少なくとも強そうではなく、モブな感じ)はその遊びを発展させ、金属製の手裏剣を作成し、現代に蘇った忍者よろしく、学校や仕事に行きます。特にストーリーは無いのですが、子供の遊び心を忘れたく無い一人の男の葛藤が描かれていたのが印象的でした。(手裏剣術がすごいだけの男) エピソードとして、男が子供の頃、金属製の手裏剣を作る際に、母親のたちバサミをボロボロにしていたこと。 主人公の男とは別に、子供心を忘れない男(別の男は銀玉鉄砲?で現代のガンマンよろしく早撃ちが上手い)が現れて、意気投合するなどのエピソードが描かれていました。
めでたい! なんと目出鯛ことでしょう! 世良田波波さんの漫画がついに世界に羽ばたきました! 世良田波波ってだれ? って人は、いますぐツイッターの世良田さんのアカウントまでいって『きみは、ぼくの東京だったな』という14Pの漫画を読みましょう! 読んでいただければ、どうして西岸良平の短編集に、このことを買いているのかが何となくわかっていただけるかと思います。 世良田さんは無名ながらアックスで細々と活動を続けておられて、もう7、8年になるでしょうか。寡作ながらコツコツと息の長い作家さんで、まだ単行本は出ていません。おそらく今回の件をきっかけに、まずはアックスへの仁義を立てて、青林工藝舎から過去作を集めた初の短編集がでるような気がします。そのあとは、やっぱりトーチでしょうか。まあ、筋金入りの寡作家なので、また沈黙してしまうかもしれません。でも、とにかく、こんなに目出鯛ことはありません。 久しぶりに世良田さんの漫画を読んだら、西岸良平の漫画を思い出しました。比較的最近では『岡崎に捧ぐ』の山本さほなどもそうですが、極端にデフォルメ化された人物が特徴的ですよね。そして特に世良田さんと西岸を結びつけるのは背景への眼差しだと思います。背景への優しい眼差しがあるような気がするんです。お二人とも、背景を人物と同程度に描き込む。背景と人物のタッチがまったく同じなんです。それ故に人物は背景に溶け込んで、背景はただ背景にとどまらず、パースや遠近感を捨てて、コマの平面上に殺到しようとしてくる。背景が後方に逃げていくのではなくて、コマの前面にわらわらと押し寄せてくるのです。語弊を恐れずに言えば、小学生の夏休みの宿題の絵のような気合いの入り様とでも言いますか、おもちゃ箱をひっくり返したようなゴチャゴチャした手触り感覚を平面であるところの漫画に憶えるんですね。これは凄いことだと思います。 今回、世良田さんの短編が深い共感を呼んでいるのは、この背景への優しい眼差しがあるからなのかもしれません。だって、この背景の街々は、私たちが暮らしている街でもあるんですから。あるいは西岸良平の背景に感じる郷愁もそうです。みんな、いっせいに盛り上がれ! このコマの前面に!