あらすじ

豊臣家滅亡の後、家康は大御所として幕府永続の方策を次々と実行に移すが、巷間には、松平忠輝と伊達政宗が謀叛を企んでいるという、不気味な噂が流れている。家康は波爛にみちた生涯の総仕上げとして、忠輝に永対面禁止を命じ、政宗には鷹狩りに名を借りて呼び出し、無言の威圧を加えて臣従を誓わせる。が、元和二年正月、病に倒れ、四月十七日、駿府城内で大往生を遂げる。
徳川家康(1)[コミック]

今川か織田か、二つの強国にはさまれた松平・水野両家の命運は、ゆれ動く大国の政爭の渦にもてあそばれ、一日とて平穏の日はなかった。戦国の世の習いとはいえ、弱者の悲しい知恵として、水野家から十四歳になる於大が松平広忠に嫁ぐ。風雲急をつげる中に、竹千代誕生の兆しが見られる。横山光輝氏によるベストセラー山岡「家康」の書き下ろし長編電子コミック第一弾。

徳川家康(2)[コミック]

於大の兄、水野信元が織田方につくとみるや、今川家をはばかって、広忠は於大を即刻離縁。生後間もない竹千代に、生木を割れる思を残して岡崎を去る於大。嫁するも政略、離別もこれまた政略。神も仏もない疑心と暗鬼の渦巻く中に、ただ竹千代の成長のみが岡崎衆の希望の星として光芒を放つ。その竹千代の運命もまた……ドラマはいよいよ竹千代を中心に展開する。

徳川家康(3)[コミック]

於大を離別した広忠の心中は、火炎となって燃え盛る。於大を思う広忠の恋情は妄想となり、ついに端女のお春に狂う。刈谷へ帰った於大に、織田方の随身久松俊勝との再婚の噂が流れる頃、広忠は田原の城主戸田康光の娘眞喜姫を正室に迎えるが、二の丸に移したまま、一指も触れない。俊勝への憎しみは安祥城攻めとなるが大敗し、竹千代(家康)の今川家への人質という惨事がもちあがる。

徳川家康(4)[コミック]

六歳の竹千代(家康)は今川家への人質として護送される途中、織田方の手中に落ちる。父広忠が非業の死を遂げると、岡崎の城は即刻、今川家に明け渡される。竹千代は今川に捕えられている信長の兄、織田信広との人質交換で、ようやく駿府へ送り返される。自分の意思では一日の安穏もない弱小国岡崎の主従の悲しい運命……その中で竹千代のみがただ一つの救いの星であった。

徳川家康(5)[コミック]

人質交換の話もまとまり、今川家の人質となった竹千代は、「三河の宿なし、性度なし」とさげすまれ、忍従と屈辱の生活が強いられる。仕組まれた義元の姪鶴姫との結婚話にも、じっと忍の一字。主なき岡崎の家臣達は、流民のような苦しみに耐えて竹千代の帰還を待つ。斎藤道三の娘を娶った信長は、暗愚をよそおい、大うつけ者と呼ばれ、四面楚歌の中で、ひとり時機の到来を待つ。

徳川家康(6)[コミック]

十四歳になった竹千代は元服して次郎三郎元信と名のり、翌年義元の姪鶴姫と結婚。母親代りの祖母華陽院に続いて、生涯の師雪斎禅師が世を去る。猿に似た風来坊、人呼んで針売りの猿、後の秀吉が朝市で信長と出会い仕官。斎藤道三は息子義龍に寝首を掻かれ、信長は清洲に居を移して尾張を統一、いま旭日昇天の勢いにある。群雄すべて京を目指す時、義元は上洛を前にして元信に十年振りの岡崎帰国を許す。名を元康と改める。

徳川家康(7)[コミック]

総力を結集して上洛の行動を開始した今川義元は、信長の奇襲戦法に遭い、あえなく田楽狭間の露と消える。元康は十四年の人質生活から解放されて、名実共に岡崎城の主となる。永禄五年、元康は清洲に信長を訪ねて和睦し旧交を温め、名前も元康改め家康とする。ようやく岡崎に帰ることを許された瀬名姫は、築山殿と呼ばれているが、長男信康と信長の娘徳姫との婚約話が密かに進められている。ここは彼女にとって安住の地ではなかった。

徳川家康(8)[コミック]

岡崎に帰って来た瀬名姫(築山御前)と家康の間には、不安と怨恨の深い亀裂が、日毎に大きくなっていったが、家康は領国支配に万全の手を打ってきてた。ところが家康を驚愕させる事件が足もとから起こった。三河の一向一揆である。「法敵家康を倒せ!」と徒党を組んだ一揆の群れは、蓆旗をかかげ怒号叫喚して、三河一円に火の手をあげた。団結を誇っていた岡崎衆がここで真二つに分かれた。家康にとって初めての試練を迎える……。

徳川家康(9)[コミック]

天下統一をめざす信長の求めに応じて姉川に出陣して善戦。さらに根城を岡崎から浜松に移して東国経営にあたる家康にとって、三方ヶ原の合戦は、その生涯の最大ピンチ。上洛戦の火蓋を切った甲斐の猛虎武田信玄を迎え討つ若き家康――その乾坤一擲の大決戦を前に、正室築山殿と寵臣大賀弥四郎の思いがけない大陰謀が進められている。家康の運命もここにきわまるかに見えた一瞬、信玄倒れるの噂が流れる……。

徳川家康(10)[コミック]

信玄陣没の情報を得た家康は、武田勝頼の機先を制して、長篠城を手中に収める。朝倉浅井両氏の滅亡は信長の覇業を確定的なものにした。内部の裏切りと打続く敗報にいら立つ勝頼。事の多かった天正元年も過ぎて、武田勢と徳川勢は緊迫したまま天正二年を迎える。雌雄を決する高天神城の攻防をめぐる徳川織田武田の駆引きと肚の探り合いに明け暮れる中に、岡崎城中にはただならぬ妖雲が漂い、さしもの大賀弥四郎の大陰謀もついに露見……。

徳川家康(11)[コミック]

武田軍猛攻の前についに落城の高天神。最後の砦長篠に籠城する奥平貞昌の苦悩と、三河武士の意気地の限りを盡す鳥居強右衛門の壮烈な討死――。世にきこえた武田の騎馬隊も、織田徳川連合軍による鉄砲隊の一斉射撃の前に潰滅。さしもの大賀弥四郎一世一代の大陰謀も画餅に終わり、岡崎城外でのこぎり引きの晒し首。不安動揺する築山殿最後の足掻きは……。

徳川家康(12)[コミック]

上総守から大納言右大将となって、名実ともに天下人となった信長から、ついに家康に無理難題がもちかけられてきた。嫡男信康と正室築山殿の即刻処分である。信長を仇敵と呼ばわる築山殿、粗暴短慮な振舞いの多い信康ではあるが、これは家康にとってまさに青天の霹靂ともいうべき生涯の驚きであった。素直に請けるか、一戦を交えるか。城内は蜂の巣をつついたような騒ぎとなり、家康は迷いに迷ったが、自らの判断で二人を裁こうと決意した……。

徳川家康(13)[コミック]

五層七階の豪壮華麗な天守閣の聳える安土城に、最初の客人として家康を招く。その接待役を仰せつかった明智光秀は、信長の忌避に触れ、衆人環視の中で言語に絶する侮辱をうけ、中国出兵を命ぜられる。信長との対面を無事終えた家康は、京に遊び堺で本能寺の変を知る。急遽帰路を変更した家康は、命からがら伊賀の山中を越えて三河に逃れ着く。信長歿後の二十日間は、家康にとって、その後の運命を決める大きな転機であった。

徳川家康(14)[コミック]

大坂に築城して天下に覇を唱えようとする秀吉に対して、信長の子信雄が反旗を翻すと、家康は信長との義によって織田方に味方し、兵を小牧・長久手に進める。双方とも、相手を滅ぼすことの不利を知って、適当のところで和を講じる。面子上、秀吉からは家康の二男於義丸(結城秀康)の人質要求がくる。勝ち戦だとばかり思い込んでいる家康家臣の間では、秀吉何する者ぞとの怒りが渦巻く……。

徳川家康(15)[コミック]

諸侯列座の大坂城で、何としても家康に頭を下げさせ、その威を天下に誇示したい秀吉は、家康の二男於義丸(秀康)を養子として迎える。それでもなお足りぬと見るや、妹の朝日姫を無理矢理に離別させて家康に嫁がせ、義兄弟の誼を結ぶことを考える。その間に立った石川数正の身を捨てての奔走によって、ようやく縁組は成立し秀吉と家康との和解が実現したものの……。

徳川家康(16)[コミック]

秀吉の妹朝日姫が家康のもとに嫁いできたとき、家康四十五歳、姫は四十四歳であった。秀吉は家康の上洛を促すために、さらに生母の大政所を人質として岡崎に遣わす。後事を本多作左衛門に託し、家康は三万の精鋭を率いて上洛。ここに両雄は義兄弟としての固い契りを結び合う。後顧の憂いがなくなった秀吉は、十二万の大軍を擁して九州を平定。残るは小田原の北條父子のみとなったが……。

徳川家康(17)[コミック]

天正十八年八月一日、深謀遠慮の結果ついに家康は江戸城に入った。が城とは名ばかりのあばら屋で、町は野盗・浪人の巣窟であった。国内を平定した秀吉は翌年十九年、肥前名護屋に本営を築き、無謀ともいえる大軍を朝鮮に出兵したが、戦勢は日増に不利となった。関白の位を譲られた甥の秀次には粗暴の振る舞いが多く、高野山にて自刃。待望の実子秀頼が生まれたものの、既に秀吉には「浪花のことは夢の又夢」であった。

徳川家康(18)[コミック]

前田利家の死は豊臣家にとって大きな損失であった。石田三成の陰謀を粉砕しようと決意した家康は、群党乱立の政情を収めるため、会津の上杉景勝の討伐に赴く。この間に三成は毛利、宇喜田らを語らって伏見城を攻撃、時に慶長五年九月十五日、家康は七万の軍勢を率いて、三成ら西軍十万八千の大軍と関ヶ原に対決、天下分け目の大決戦の幕はここに切って落とされた。

徳川家康(19)[コミック]

関ヶ原の合戦は家康の地位を不動のものとした。三百年の泰平の基礎を築き、更にその政策を海外へ広めんとする家康の念願。だが全国の切支丹大名の間に反徳川の計略が画策され、大坂方の不穏な動きが嵐を呼ぶ……一代の寵臣大久保長安の死を契機に発見された連判状から、家康の六男忠輝と伊達政宗、切支丹大名をめぐる陰謀が発覚。家康の怒りと痛恨は頂点に達した……。

徳川家康(20)[コミック]

大坂城をめぐる不穏の動きは、日増に激しさをましてくる。なんとかして豊臣家を存続させたいと願う家康だが、秀頼母子が大坂城にある限り、牢人や切支丹信徒の不平分子が、秀頼を擁して大騒乱をひきおこす恐れがある。すでに真田幸村が大坂と連絡をとっている。事態は一刻も放っておけない。その時、太閤の十七回忌を前にして、方広寺の鐘銘事件がもちあがる……。

徳川家康(21)[コミック]

慶長十九年の冬、大坂方は城の外に柵などを造って、関東方の大坂攻めに備えた。だが家康は二条城にあって一向に動こうとしなかった。太閤との昔からの誼で何としても戦だけは避けたい心情であった。その家康の心中をよそに、冬の陣の火蓋は切って落とされた。関東方のしつらえた大砲の威嚇によって一旦和議が成立したかに見えたが、それも束の間、時の勢いは夏の陣へと……。

徳川家康(22)[コミック]

慶長二十年(元和元年)四月、大坂夏の陣の火蓋は切って落とされた。難攻不落の大坂城も、総濠を埋め尽くされては、城外に出て徳川勢に立ち向かうほかはない。名だたる猛将達も相次いで斃れ、最後まで家康の心坦を寒からしめた真田幸村の軍勢も玉砕するや、大坂勢は崩をうって退却……。秀頼と淀君は城中の籾蔵に難を避けたが自害。豊臣家はついに滅亡した。

徳川家康(23)[コミック]

豊臣家滅亡の後、家康は大御所として幕府永続の方策を次々と実行に移すが、巷間には、松平忠輝と伊達政宗が謀叛を企んでいるという、不気味な噂が流れている。家康は波爛にみちた生涯の総仕上げとして、忠輝に永対面禁止を命じ、政宗には鷹狩りに名を借りて呼び出し、無言の威圧を加えて臣従を誓わせる。が、元和二年正月、病に倒れ、四月十七日、駿府城内で大往生を遂げる。

徳川家康

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徳川家康 横山光輝 山岡荘八
マンガトリツカレ男
マンガトリツカレ男

・読んだ直後に思ったこと ※一番大事!※ 久しぶりに読んだけど相変わらず竹千代(徳川家康)が出てくるまで長いな。まさしく徳川家康の一生を描いている内容でまあ苦難の人生だな。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。」というのを体現している。 ・特に好きなところは? 特に好きなところは2箇所あって本能寺の変で織田信長が亡くなった後の河尻秀隆と豊臣秀吉が亡くなった後の石田三成。 織田信長がいた頃に河尻秀隆は優秀で出世も順調だったと思うが織田信長が亡くなった後は織田信長のやり方をやろうとしているが表層的な真似に過ぎず結局をうまくいかずに終わった 石田三成も豊臣秀吉もいた時は良かったが豊臣秀吉が亡くなった後、豊臣家を守りたいゆえに独善的になりうまくいかずに終わった。特に同じ地位ぐらいのやつに文句言ったあとに前田利家に話を進めてもらうとしたが前田利家に断れてるあたりは今の仕事にも通じそうだ ・作品の応援や未読の方へオススメする一言! 徳川家康が出てくるまでは長いが戦後に経営者虎の巻やビジネス書として言われるのもわかるのでおすすめです