本作を読む前にぜひ「ネムルバカ」を読むことをオススメします。 「ネムルバカ」は1巻完結となっておりますが、自分的には本作とセットで2巻とみなして欲しいッ…とさえ思っております。 小生「石黒正数」作品が好きなのですが、なかでも「ネムルバカ」は名作だと思っておる勢です。 本作は「ネムルバカ」の主人公の一人だった春香の「家族」を描いた作品。 「ネムルバカ」のアナザーストーリーともいえる位置づけ。 ネムルバカの衝撃的なラストで気持ちがロスした人は、この1冊を読めばなんとも救われた感じになるかと思います。 内容としては、春香の姉響子と父との日常を描いた物語。 突飛な行動をした父に響子が振り回される形で進んでいきます。 日常のちょっとした疑問や不思議を織り交ぜて面白くする様は、いつもの石黒節とも言える雰囲気です。 とにかく父が良い味を出しているんですよ。 破天荒な春香によく似た父で、頑固でシニカル、ぶっとんだ発想が「THE・昭和の親父」臭がしてたまらないです。 親父にだって何かと苦労があるのですが、誰もわかってくれない空回り具合と、それでも自分の価値観を曲げずに生きている様は不思議と勇気づけられます。 春香の過去や、ちょっとですが現状の春香も登場します。 あのラストで心配だった「ネムルバカ」ファンの人は一見の価値があると思います。 テーマとしては「家族」的なものなのでしょうが、 家族の暖かさだけでなく、身内故にままならない部分もあって、酸いも甘いも表現されているのが個人的に好きなポイントです。 「ネムルバカ」が思春期の衝動と葛藤的なものだとしたら、こちらの「響子とお父さん」は一歩引いた大人の味なのかもしれません。
オカルト大好きだが霊を見た事が無い漫画家二人(♂)と 編集者二人(♀)と、その他のゲスト参加の人達が 「それでも霊が見てみたい!」 「霊が見れたら連載終了で!」 と有名心霊スポットを実際に訪れる実録体験レポート漫画。 実際に、かなり怖そうな場所に体を張って突撃しています。 この手の実録体験レポなどだと良くあるのが、 ワイドショーみたいにヤラセをするとか、 針小棒大に話を膨らませるとか、 少年マガジンのMMRみたいに牽強付会に こじつけをしまくって壮大なストーリーを毎回演出するとか。 ソレミテは、そういうことはしていません。 ソレミテは、かなり真面目で嘘をつかない漫画のようです。 その結果として、恐怖体験レポというよりは とても面白い実録コメディになっています(笑)。 一話のなかに恐怖体験が一つも無かったりします。 というか 「このままだと霊を見るまえに連載終了になってしまう」 という恐怖を登場人物が味わうことになったりしています。 それらを読んでいる自分の感想としては 「あ~アフタヌーン・ショーとかの製作スタッフって、 こういう現実に耐え切れなくてヤラセをやっちゃったのかな」 とシミジミ思ったりしました。 そういう意味で、メチャクチャ面白い漫画でした(笑) 霊的な存在には面白半分な気持ちで触れてはいけないはずで、 そういう面からの評価をすれば、この手の心霊レポ漫画って 不謹慎すぎる内容になりがちだと思うのですが、 ソレミテは取り組み方はとても真面目です。 ・犯罪行為をしない (立入禁止区域への侵入等) ・地元住民とトラブルをおこさない ・常軌を逸した行動をしない (霊を出すために墓石を蹴る等) というルールを課しています。 とはいえ数回の連載を終えて全く霊と出会えなかったので ギリギリのラインで霊を挑発する行動に出たりしましたが、 それすらも結果的には霊的存在に対する不謹慎な行動ではなく むしろ有名俳優の某M氏に対して謝れ、と言いたくなるような 秀逸なギャグになっていたりします。 (しかもそのギャグは漫画のために狙ってやったのではなく、 本当に天然行動で生まれたマジネタみたいだった) まさに恐怖と笑いは紙一重、というコメディの一面を リアルに産み出してレポートにしています。 私自身も怖い話は好きだけれど霊感ゼロで、 霊をみたことがありません。 けれども、祟られたり憑りつかれるとか絶対にイヤなので、 こういう行動はマネ出来ませんね。 そういう意味では、それをやって漫画にしてくれた 小野寺先生、石黒先生には感謝です。 しかしここまでの結果?になると、むしろ 「つまり霊魂とか実際にはいないってことだよね」 というオカルト否定論に繋がりそうで、 オカルト好きには逆風を浴びせる漫画といえるかも しれませんが、これは恐らく両先生が 私以上に霊感ゼロだからなんだろうな~ それじゃしょうがないよな~と、あくまでもこれは 両先生の霊感の無さによるものだと思うことにしました。 自分よりも霊感が無い人もいるみたいで少し嬉しく感じました。 あと第二巻の第十二夜話に、 霊能者が語る霊感の鍛え方が書いてありましたが、 これだけはマジに怖かったです。 マンガ内でもコメントとして書いてありますが、 勇気のある方はお試しアレ。自己責任で。
稀代のストーリーテラー石黒正数における、マイベストな作品。 1話目から中学生が本屋でエッチな本を買う方法を真面目に語りはじめたのでギャグ漫画?と思っていたら最後腰抜かしました。 SFミステリーともいえる、人型ロボットや「フェアリー」という人工生命体が存在する近未来が舞台のお話。 一見、非連続なオムニバス形式で語られているのですが、そこは石黒正数。 全ての話が伏線であり、最後の最後で一つに収束していくさまは、ある種のカタルシスを与えてくれます。 また、ギャグテイストで間口を広くしておきながら、徐々に人間のもつエゴや狂気など深いテーマへ切り込んでいくのはさすがの一言。 各話のピースが一つの解へと到達する爽快感と、物悲しいクライマックスの読後感と相まって、1巻完結ながら定期的に何度も読み返してしまう作品です。 おそらく「天国大魔境」とかから石黒正数に入った人はこの本も好きだと思います。 「それ町」から入った人はたまげますが、それでも、あの作品のちょっと不思議な世界観が好きな人はハマるかと思います。 いずれにせよ作者の魅力が詰まった1冊になっております。
なんでこの読切を描こうと思ったのかよくわからないけど、これが雑誌の巻頭カラーで掲載されたという事実がとりあえず面白い。 小説にしようとしてた話とのことだが、本当だろうか。笑 石黒先生の短編集とか全部読んでる人には最後にちょっとサプライズがあります。
読んでまず思ったのが、1話1話本当に無駄がなく丁寧につくられている作品だなということ。 そのせいか、何度読んでも色んな発見があり、1巻完結ものでおすすめしたい作品だったりします。 内容も、熱量の低い情熱が空回りするどこにでもいる大学生を描いていて、どこか痛々しく、どこか共感してしまう内容となってます。 全能感に満ちあふれていた、昔を思い出す。 大学生ーー大人の自由と子供の自由を持っている最強のモラトリアム時代ですが、そんな時代に誰もが直面する理想と現実の乖離。 主人公はバンドでデビューを目指す「春香」と、ごく普通の後輩「入巣」という女子大生二人。 生きる目的ともいえる「目標」のある人とない人の対比なんですが、目標があっても、才能や情熱が追いつかないことはよくあること。 平凡な才能しかない自称クリエイティブな人あるあるを独特に煮詰めた表現で随所に散りばめてきて、なんとなく生きてしまっているような自分にはグサリと刺さります。 綺麗事や正論、漠然とした希望とぬるい情熱だけでは何一つ変えられないのです。 ネタバレになるので詳しくは控えますが、最後に春香のとった行動は、やりたいことをやれた人だからこその苦悩と解放を見事に描いていて胸を締め付けられました。 何をしていいかわからない8割の人間にとって、自分も本当は何かあったんじゃないか?と焚付けられます。 年食ったおっさんでも、残りの人生、心躍ることに情熱を捧げたいものです。
別冊少年チャンピオンのリニューアル特大号から始まった不定期連載。 初回は「きめージジイの巻」「将来の巻」と2本立て、4ページのみ。 キャラの等身やコマ割りなど、雰囲気は「木曜日のフルット」に近い感じだった。 ちょっと抜けたところのある、ギザギザ歯の金髪ヤンキー嬢ちゃんが主人公。 (フルットの鯨井早菜をヤンキー化させたらこんな感じになるんだろうか?) 主人公も周りの先輩たちも、格好は不良なのだが、生活感に溢れて親しみやすく、いまいちビッとしたヤンキーになりきれてないところが微笑ましかった。
漫画家ならではだなと思ったのは、原稿明けにボロボロの体で食べたものの思い出を語っている作家さんの多いこと。 殆どがエッセイですが、スエカネクミコ先生は創作でした。 衝撃的だったのは峰なゆか先生の炭水化物愛。 役に立ったのは晴川シンタ先生の蟻塚と、釣巻和先生の心太アレンジレシピ。 エッセイとして面白かったのは、石黒正数先生のラ王と多田基生先生の普段の食事が粗末すぎて美味しいラーメン食べたら脳がバグっちゃった話。 酒、肉、麺ときたら次はなんだろう。 スイーツ?
石黒先生の引き出しの多さよ! ギャグやSFやホラーやサスペンスなど毎回色んなジャンルの話をそれ町の世界に違和感なく入れて描いているのが凄過ぎる。 そして主人公の精神的な成長をめちゃくちゃ上手く描けていると思いました。
石黒正数の2000-2004年頃の短編をまとめた一冊。 荒さもあるが、やはり才能の片鱗を感じざる負えない。個人的にはその中の一作「カウントダウン」に注目した。どことなくそれでも町は廻っているの登場人物の原型がちらほら。話自体が特段際立っているわけではないが、掛け合いや、キャラのリアクションも小気味がよく、楽しい。こういうネタが積もっていって、探偵奇譚のようなものと結びついて、それ町は誕生したんじゃないだろうか。ジョセフィーヌぽいのもいた。フーン
手塚治虫にしても、藤子不二雄にしても、元をただせばパロディ作家なのである。そもそもスターシステム(同一の作家が同じ絵柄のキャラクターをあたかも俳優のように扱い、異なる作品中に様々な役柄で登場させるような表現スタイル)からして自作間におけるパロディであるし、一般に手塚が体系を整えたといわれる漫画的記号の数々にしても発明者本人に特許権のようなものは何ら存在しておらず、作家間を隔てる異空間を超えてあたりまえのことのように浸透している。あまりに広く、あまりに希薄に、浸透しているので、それがパロディだとも気づかぬほどだが、1970年代には吾妻ひでおが『不条理日記』等の作品で漫画的記号の使用を脱臼させてみせ、それがパロディ的要素を備えていることを如実に示してみせた。吾妻はその後、アルコール依存症に苦しみ、一時はマンガ界から姿を消すが、大ヒット復帰作となった『失踪日記』が『不条理日記』の頃からは考えられない"正統派"のマンガであったことは記憶に懐かしい。ちなみに手塚は自作内に吾妻のマンガキャラクターをパロディとして登場させるなどしていたが、手塚キャラをパロディギャグにして世に出てきた田中圭一が最近では『ペンと箸』や『うつヌケ』等の"正統派"のマンガで第二次ブームをむかえている。 そしてほかでもない石黒正数も、手塚治虫や藤子不二雄、それから吾妻ひでおや田中圭一らに連なる正統派のマンガ家であると思うのだ。正統派のマンガ家とは、マンガというものに広く希薄にも共有されて、そして受け継がれているものの使用に自覚的な作家にほかならない。それは当たり前にそこにあるものではなくあまりに貴重な共有財産である。パロディとは、それを使わせていただきます、という一種の照れのようなものである。だからこそ異端であるかのようなパロディ作家こそが正統足りえるのだ。 いっぽうで共有財産の使用を拒んだ真の異端としてのマンガ家が数人いる。彼らはマンガの革命者であり、マンガの可能性の限界を押し広めた者たちであった。大友克洋、高野文子らがそれにあたるだろうか。そして石黒正数のパロディは多岐に渡るが、作品間を超えて貫かれており、今作『天国大魔境』にも見られるのは大友や高野のパロディである。背景の白い建物の壁にひび割れや汚れが描かれるのは大友そのものであるし、ジーンズの描き方は高野から来ているものにちがいないだろう。さらに一巻目をさいごまで読んで驚いたのは、おねえちゃん、ストップひばりくんではないか! 江口寿史とは正統→異端に転じたひとであろう。異端である革命者はやはり偉大だが、わたしは正統派も同様に偉大であると思う。パロディとは一種の愛のようなものではないか。なぜって石黒正数のマンガのそこここから偉大なマンガの数々への愛が感じられるのだ。
本作を読む前にぜひ「ネムルバカ」を読むことをオススメします。 「ネムルバカ」は1巻完結となっておりますが、自分的には本作とセットで2巻とみなして欲しいッ…とさえ思っております。 小生「石黒正数」作品が好きなのですが、なかでも「ネムルバカ」は名作だと思っておる勢です。 本作は「ネムルバカ」の主人公の一人だった春香の「家族」を描いた作品。 「ネムルバカ」のアナザーストーリーともいえる位置づけ。 ネムルバカの衝撃的なラストで気持ちがロスした人は、この1冊を読めばなんとも救われた感じになるかと思います。 内容としては、春香の姉響子と父との日常を描いた物語。 突飛な行動をした父に響子が振り回される形で進んでいきます。 日常のちょっとした疑問や不思議を織り交ぜて面白くする様は、いつもの石黒節とも言える雰囲気です。 とにかく父が良い味を出しているんですよ。 破天荒な春香によく似た父で、頑固でシニカル、ぶっとんだ発想が「THE・昭和の親父」臭がしてたまらないです。 親父にだって何かと苦労があるのですが、誰もわかってくれない空回り具合と、それでも自分の価値観を曲げずに生きている様は不思議と勇気づけられます。 春香の過去や、ちょっとですが現状の春香も登場します。 あのラストで心配だった「ネムルバカ」ファンの人は一見の価値があると思います。 テーマとしては「家族」的なものなのでしょうが、 家族の暖かさだけでなく、身内故にままならない部分もあって、酸いも甘いも表現されているのが個人的に好きなポイントです。 「ネムルバカ」が思春期の衝動と葛藤的なものだとしたら、こちらの「響子とお父さん」は一歩引いた大人の味なのかもしれません。