中学生くらいの時は主人公が「加藤」なのか「源」がわからなかったが主人公が今読むと誰が主人公とかいう話でないのかなと思う。 「90年代に生きる武士道一直線のクレイジーな男」の加藤と「対照的な社員」の源ジェームス頼和のバブル時代のサラリーマンギャグという扱いだけど、俺は加藤の生き様に共感する。 あとなんでか知らんけど初期の山田芳裕が書くスーツが異常にかっこよく見えるんだよな
私が山田芳裕作品を知ったのは、わりと早くて「大正野郎」の単行本が出たころでした。弟の部屋に本が転がっていて、最初は「なんてレトロな絵なんだろう」と思って、あまりそそられなかったんですが、ページをめくっていくうちに、ついつい読み込んでしまっていました。なぜなら、どうしてこんな地味なところを突けるんだろう、という着眼点の凄さと、それを作品にまで仕上げるパワーに心ひかれたから。「大正野郎」はタイトル通り大正時代にこだわっています。そしてその後もスタイルには大きな変化がなく、今作ではこだわる部分が“哲学”に。侍が刺客に対して仏陀を引き合いに出してダメ出しし、林羅山を説いても、作品中では何の違和感も無い。葛飾北斎に意見したり、松尾芭蕉を船頭と語ったり、さらにはソクラテス、ナポレオンなどなんでもござれ。タイトルもパスカルのもじりですし。これがうまく武士道や粋、そして生き方といった、目に見えない観念とマッチしているんですね。まさに一味違う切り口の時代劇、です。
「望郷太郎」 なんていい響きなんだ。 「BOKYO TARO」 山田芳裕先生の最新作。 そして、第一回のタイトルから「たそがれ」 痺れるぜ!文明の衰退、人類の黄昏時・・。 https://comic-days.com/episode/10834108156683852712 かつて人類が築いた文明の残滓を辿っていきながら、イラクからかつての故郷である日本を目指す、素晴らしいロードムービー的な漫画になりそうな予感ビンビン! 終末世界を旅する終末漫画でもあるのが廃墟好きにもグッと来る。 絶望しても、舞鶴太郎が持ってるのは強い心。 スーツに革靴、コートにキャリーケース引っさげて渋い顔して旅立つ、山田先生ここにあり。 本当にいつも顔の力、顔面力の描写が素晴らしい。 果たして、文明の中で人よりお金の価値を選んだ社長は、この時代を生き残れるのか!? 先を読むのが楽しみでしょうがない。
久しぶりに山田芳裕のデビュー作を読み返してみました。う~ん、絵はおどろおどろしいですけど、気持ちのいい作品という印象に変わりはありませんね。主人公は大正時代を愛する大学生・平徹。変人で一般人とかなりズレた行動を取りますが、憎めない男で基本、イイ奴。脇には平の下宿先の娘でニコニコ顔の癒し系・由貴ちゃんや、平の隣の住人で典型的遊び人の佐山が控えており、彼らの生活する日常が、ほほえましく描かれています。人物にヘンな裏表はなし。そして一本気な男を肯定する目線がいいんですよね。賄いつきの下宿という設定も絶妙で、下宿のおじさんおばさんを交えた食卓シーンなどは、大正と昭和を融合させた、何とも言えない良い味を出していると思います。最終回も作品全体の雰囲気を凝縮した「平、よかったなあ」というお話。自然に平を応援してしまうと思いますよ。ちなみに3巻へ続くと最終頁にありますが、紙の単行本も出ておらずこの作品はここで完結。もう少し続きを読みたかったかなあ。
まず『望郷太郎』というタイトルからは望月峯太郎の名前を思い起こさせずにはいられない。いまでは望月ミネタロウとして活動している、あの望月峯太郎である。彼はやはり『ドラゴンヘッド』を境に名前をあらためたのだと思う。次の連載作の『万祝』は望月峯太郎名義ではあるが、内実は峯太郎→ミネタロウへの過渡期、もしくはミネタロウ名義の作品と位置づけられると思われる。というのは『ドラゴンヘッド』を境にして、動的で黒いコマ作りが、静的で白いコマ作りに変貌しているからである。これはマンガ家としての作家性を追求するための"閉じた"姿勢であると思う。逆にいえば、それ以前の望月峯太郎は"開いて"いた。開いて世間の荒波に揉まれる方向から、閉じて自らの作家性を研磨する方向へシフトしたともいえるかもしれない。 ところで『ドラゴンヘッド』をはじめ、あるいは岡崎京子の『リバーズ・エッジ』や『ヘルタースケルター』、新井英樹の『ザ・ワールド・イズ・マイン』など、90年代~2000年代初頭のある種のマンガには、いわゆる世紀末感というか、何かが崩壊してゆく感覚、良くも悪くもそういうような時代的なスペクタクルがあった。あの時代からもうすぐ20年が経ち、来年には、なんとも荒唐無稽なことに、大友克洋の霊感まったくその通りに東京オリンピックが開催されることとなったが、辺りを見渡せば、大友が描いた雑多でゴタゴタしたサイバーパンク感あふれる近未来はどこにもなく、奇妙なまでに画一的でのっぺりとした嘘明るい光景は、本来のミニマリズムが追求する引き算的な美学における完成度の高さとはまるで無縁の心身共の貧しさからくる単なる経費削減であるし、おもてなしの心を履き違えてボランティアでオリンピックを運営しようなどと寝言をいう。ようするに世界の崩壊などは起こらずに、ただずるずると地盤だけが沈下してゆき、見てくれだけはどうにかそれっぽく体裁をととのえながらも、ただ確実に豊かさは随所から消え去っている。いっそのこと世紀末に世界を崩壊させて仕切り直したほうが良かったのではと思うほど、当時からすでに黄昏といわれていたのが、いつまでも沈みきらない夏の夕日のようにいまだ延命を続けている。あの時代には崩壊させるに足る世界がまだあった。しかし、いまではそんな舞台さえ、なにもなくなってしまった。無駄を省いていたら、無駄を省いていたら、無駄を省いていたら、ほんとうになにもなくなってしまったのである。いまや望月ミネタロウのように独自の作家性を発揮する高踏派のマンガ家も安心とはいえないのではないだろうか、何しろ地盤の沈下がいちじるしい。マンガも所詮はいち産業なので、地盤がどこまでも沈下してゆけば、独自の作家性もいつしか個人の趣味と見分けがつかなくなろう。 いま、山田芳裕の『望郷太郎』は、この"なにもない"ところから新たな一歩を踏み出そうとしている稀有なマンガであると思う。キャリアを重ねて閉じてゆく作家が多いなかであえて開いてみせた山田芳裕の冒険者的な勇気に敬礼を捧げたい。マンガ表現の限界を探求する閉じた作家が重要ないっぽうで、また彼らは開いた作家によってもその地盤を支えられているのである。
※ネタバレを含むクチコミです。
「バカ」を描くには知性がいる、と書いて納得して頂ける方は、是非この作品を読んで下さい。腹を抱えて笑える魅力的なバカが沢山出てきます。 作者の山田先生は、「へうげもの」でファンの裾野が一気に広がりましたが、直前に描いていたこの作品も素晴らしい作品です。 基本、山田先生の作品は「快楽主義者」と「禁欲主義者」のせめぎあいになるのですが、この作品はその構図が実に分かりやすく、更に面白く描かれています。 豪速球に思いっきりバットを振り回す。そのプリミティブなコミュニケーションは山田先生のマンガでしか味わえないものですし、時折垣間見えるシリアスな部分もまたスパイスとしてこの作品を引き立ててくれます。隔週連載でしたが、モーニングで読むのが楽しみな作品でした。
「へうげもの」の山田芳裕先生による新作は「NEO時代劇」と銘打たれた暗殺サスペンス&アクション。 元締から依頼を請けて人を殺すところは「仕掛人 藤枝梅安」と同じですが、本作は元締が主人公となり何人か抱えている殺し屋が登場するオムニバス形式になっています。大ゴマなどを使った演出や、ストーリーのセンシティブな部分など、かなり現代的にブラッシュアップされた文字通り「NEO時代劇」になっています。 梅安と違って香具師の元締が「音羽」なのがモーニングっぽいw
100m/走幅跳/砲丸投/走高跳/400m/110mH/円盤投/棒高跳/やり投/1500mの競技の総合得点で勝負する。キング・オブ・アスリートと言われるだけあり、矛盾した能力を駆使して勝負になる。 個人的にお気に入りのキャラは年ソウルオリンピック十種競技の金メダリストクリスチャン・シェンクと度胸星にも登場した大統領「ダン・オブライエン」 登場人物の魂の込もったセリフと絵が最高。最終回はそんなに好きじゃない...
続きを描いて欲しい漫画というテーマで必ず名前が挙がる漫画。 火星へ救出に向かう宇宙飛行士選抜試験も面白いし、火星で助けが来るのを待っている宇宙飛行士たちの身に降りかかった人知を超える遭遇も超面白い。 訓練とか選抜試験みたいな現実的な人間ドラマと同時に火星ではゴリゴリのSFが起こっていて、そのどちらも面白い稀有な作品。今も続編を待っている。描いてくれ〜
中学生くらいの時は主人公が「加藤」なのか「源」がわからなかったが主人公が今読むと誰が主人公とかいう話でないのかなと思う。 「90年代に生きる武士道一直線のクレイジーな男」の加藤と「対照的な社員」の源ジェームス頼和のバブル時代のサラリーマンギャグという扱いだけど、俺は加藤の生き様に共感する。 あとなんでか知らんけど初期の山田芳裕が書くスーツが異常にかっこよく見えるんだよな