十年目の毬絵を再読したけど、大泉での人間関係とは全然別物としか思えませんでした。
大泉での体験が反映しているとしたら、「かつてあった可能性が永遠に失われた哀しみ」を練り上げ昇華させた、その部分だけではないでしょうか。
登場人物のモデルが竹宮さんや増山さんというのにも違和感を覚えます。
性格が似ているようにも思えず、毬絵さんは薬物濫用で亡くなってるし、津川はスランプでろくな絵が描けなくなっている。
実在人物がモデルだとしたら、キャラクターに仮託して悪口言ってるようなものじゃないですか。
そんな下衆い真似を萩尾望都が作品上でやる訳がない。心から憤慨しています。

確かに萩尾先生の作品にしては表現が直接的な感じもしますし登場人物に対して違和感があるなとは思っていました。やはり違いますねよね...

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