名無し1年以上前編集十年目の毬絵を再読したけど、大泉での人間関係とは全然別物としか思えませんでした。 大泉での体験が反映しているとしたら、「かつてあった可能性が永遠に失われた哀しみ」を練り上げ昇華させた、その部分だけではないでしょうか。 登場人物のモデルが竹宮さんや増山さんというのにも違和感を覚えます。 性格が似ているようにも思えず、毬絵さんは薬物濫用で亡くなってるし、津川はスランプでろくな絵が描けなくなっている。 実在人物がモデルだとしたら、キャラクターに仮託して悪口言ってるようなものじゃないですか。 そんな下衆い真似を萩尾望都が作品上でやる訳がない。心から憤慨しています。 @名無し確かに萩尾先生の作品にしては表現が直接的な感じもしますし登場人物に対して違和感があるなとは思っていました。やはり違いますねよね...12わかるfavoriteわかるreply返信report通報
名無し1年以上前『十年目の毬絵』の3人のモデル問題。 萩尾先生は『一度きりの大泉の話』で、『精霊狩り』シリーズの三作めの登場人物は、かの先生とその友人がモデルで、描きながらため息ばかりだったと書いてる。 そんなこと違うと思います。 主人公は毬絵さんを一途に想ってるし。自由広場萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について14わかる
名無し1年以上前十年目の毬絵を再読したけど、大泉での人間関係とは全然別物としか思えませんでした。 大泉での体験が反映しているとしたら、「かつてあった可能性が永遠に失われた哀しみ」を練り上げ昇華させた、その部分だけではないでしょうか。 登場人物のモデルが竹宮さんや増山さんというのにも違和感を覚えます。 性格が似ているようにも思えず、毬絵さんは薬物濫用で亡くなってるし、津川はスランプでろくな絵が描けなくなっている。 実在人物がモデルだとしたら、キャラクターに仮託して悪口言ってるようなものじゃないですか。 そんな下衆い真似を萩尾望都が作品上でやる訳がない。心から憤慨しています。 自由広場萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について30わかる
萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について
確かに萩尾先生の作品にしては表現が直接的な感じもしますし登場人物に対して違和感があるなとは思っていました。やはり違いますねよね...