名無し1年以上前編集十年目の毬絵を再読したけど、大泉での人間関係とは全然別物としか思えませんでした。 大泉での体験が反映しているとしたら、「かつてあった可能性が永遠に失われた哀しみ」を練り上げ昇華させた、その部分だけではないでしょうか。 登場人物のモデルが竹宮さんや増山さんというのにも違和感を覚えます。 性格が似ているようにも思えず、毬絵さんは薬物濫用で亡くなってるし、津川はスランプでろくな絵が描けなくなっている。 実在人物がモデルだとしたら、キャラクターに仮託して悪口言ってるようなものじゃないですか。 そんな下衆い真似を萩尾望都が作品上でやる訳がない。心から憤慨しています。30わかるmode_comment1返信favoriteわかるreply返信report通報
名無し1年以上前編集十年目の毬絵を再読したけど、大泉での人間関係とは全然別物としか思えませんでした。 大泉での体験が反映しているとしたら、「かつてあった可能性が永遠に失われた哀しみ」を練り上げ昇華させた、その部分だけではないでしょうか。 登場人物のモデルが竹宮さんや増山さんというのにも違和感を覚えます。 性格が似ているようにも思えず、毬絵さんは薬物濫用で亡くなってるし、津川はスランプでろくな絵が描けなくなっている。 実在人物がモデルだとしたら、キャラクターに仮託して悪口言ってるようなものじゃないですか。 そんな下衆い真似を萩尾望都が作品上でやる訳がない。心から憤慨しています。 @名無し確かに萩尾先生の作品にしては表現が直接的な感じもしますし登場人物に対して違和感があるなとは思っていました。やはり違いますねよね...12わかるfavoriteわかるreply返信report通報
名無し1年以上前確かに萩尾先生の作品にしては表現が直接的な感じもしますし登場人物に対して違和感があるなとは思っていました。やはり違いますねよね... 自由広場萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について12わかる
名無し1年以上前橋本治は「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ 」でしたっけ。確か「大島弓子」「萩尾望都」「山岸凉子」「陸奥A子」「倉多江美」あたりがとりあげられていましたね自由広場萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について2わかる
萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について
十年目の毬絵を再読したけど、大泉での人間関係とは全然別物としか思えませんでした。
大泉での体験が反映しているとしたら、「かつてあった可能性が永遠に失われた哀しみ」を練り上げ昇華させた、その部分だけではないでしょうか。
登場人物のモデルが竹宮さんや増山さんというのにも違和感を覚えます。
性格が似ているようにも思えず、毬絵さんは薬物濫用で亡くなってるし、津川はスランプでろくな絵が描けなくなっている。
実在人物がモデルだとしたら、キャラクターに仮託して悪口言ってるようなものじゃないですか。
そんな下衆い真似を萩尾望都が作品上でやる訳がない。心から憤慨しています。
確かに萩尾先生の作品にしては表現が直接的な感じもしますし登場人物に対して違和感があるなとは思っていました。やはり違いますねよね...
萩尾望都