名無し1年以上前編集仰せの通り。 『摩利と新吾』の原型になった木原敏江先生の『あーらわが殿!』なんて、旧制高校寄宿舎を舞台に摩利の新吾への恋が描かれるけど、連載は1972〜73年にかけて。『11月のギムナジウム』より後だけど『小鳥の巣』よりは前だし、当然『風と木の詩』よりもずっと前。着想に寄与したのは確か北杜夫の『幽霊』だと仰ってたかと。 小説や映画の題材としちゃ珍しくもなかった少年愛や寄宿学校を、自分がマンガに移植するのはよくて、同居人が同じ題材にインスパイアされるのは盗作認定になるその飛躍がわからない。 当時、というかその数年後、故・橋本治とかのアカデミズム界隈のオッサン連中が、幾人かの少女マンガ家を急に持ち上げ出して(萩尾望都先生は当然その筆頭)。でもその一方で、お眼鏡に敵わなかった"女子供向け"作家は一段も二段も下に見るような風潮が、子供心に鼻持ちならなかったのだけど、まさか、名誉オッサンみたいな女友達の影響(?)で、竹宮先生ご本人までがその手のマインドセットだったとは。 完全なオリジナリティなんてどだい不可能。吉田秋生先生のBANANA FISH(1985年連載開始)なんて、大和和紀先生の埋もれた傑作KILLA(1977-78)の中に驚く程の符合を見出す事ができるけれど、密かなオマージュ?くらいに思ってたけどなぁ。 やっぱり同業同居が諸悪の根源ってことかしら。@名無し橋本治は「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ 」でしたっけ。確か「大島弓子」「萩尾望都」「山岸凉子」「陸奥A子」「倉多江美」あたりがとりあげられていましたね2わかるfavoriteわかるreply返信report通報
名無し1年以上前十年目の毬絵を再読したけど、大泉での人間関係とは全然別物としか思えませんでした。 大泉での体験が反映しているとしたら、「かつてあった可能性が永遠に失われた哀しみ」を練り上げ昇華させた、その部分だけではないでしょうか。 登場人物のモデルが竹宮さんや増山さんというのにも違和感を覚えます。 性格が似ているようにも思えず、毬絵さんは薬物濫用で亡くなってるし、津川はスランプでろくな絵が描けなくなっている。 実在人物がモデルだとしたら、キャラクターに仮託して悪口言ってるようなものじゃないですか。 そんな下衆い真似を萩尾望都が作品上でやる訳がない。心から憤慨しています。 自由広場萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について30わかる
名無し1年以上前仰せの通り。 『摩利と新吾』の原型になった木原敏江先生の『あーらわが殿!』なんて、旧制高校寄宿舎を舞台に摩利の新吾への恋が描かれるけど、連載は1972〜73年にかけて。『11月のギムナジウム』より後だけど『小鳥の巣』よりは前だし、当然『風と木の詩』よりもずっと前。着想に寄与したのは確か北杜夫の『幽霊』だと仰ってたかと。 小説や映画の題材としちゃ珍しくもなかった少年愛や寄宿学校を、自分がマンガに移植するのはよくて、同居人が同じ題材にインスパイアされるのは盗作認定になるその飛躍がわからない。 当時、というかその数年後、故・橋本治とかのアカデミズム界隈のオッサン連中が、幾人かの少女マンガ家を急に持ち上げ出して(萩尾望都先生は当然その筆頭)。でもその一方で、お眼鏡に敵わなかった"女子供向け"作家は一段も二段も下に見るような風潮が、子供心に鼻持ちならなかったのだけど、まさか、名誉オッサンみたいな女友達の影響(?)で、竹宮先生ご本人までがその手のマインドセットだったとは。 完全なオリジナリティなんてどだい不可能。吉田秋生先生のBANANA FISH(1985年連載開始)なんて、大和和紀先生の埋もれた傑作KILLA(1977-78)の中に驚く程の符合を見出す事ができるけれど、密かなオマージュ?くらいに思ってたけどなぁ。 やっぱり同業同居が諸悪の根源ってことかしら。自由広場萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について21わかる
萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について
橋本治は「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ 」でしたっけ。確か「大島弓子」「萩尾望都」「山岸凉子」「陸奥A子」「倉多江美」あたりがとりあげられていましたね
倉多江美
陸奥A子
山岸凉子
萩尾望都
大島弓子