名無し1年以上前編集別の方が表現力について触れていたので、私からも補足をさせてください。 あらすじとプレゼンテーションは似て非なるものです。 映画の感想を言う時にWikipediaに書いてあるあらすじをそのまま言う人は少数派ですよね。 お気に入りの映画を勧めるとき、表現力のある人はそれを見たことがない人にも面白さが伝わるように解説をします。それが表現力というものです。 あらゆるエンタメも同じで、ただただ事象を説明するだけでは感動も面白さも伝わりません。 表現力のある作者は読者に思っていることがより伝わって欲しいからこそ、魅せゴマだとかキャラクターの表情といった演出に力を入れるわけです。 また、どんなに素晴らしい作品でも評価されないということはザラにあります。 画家で言えばゴッホ、作曲家のサリエリなんかはその代表例の一人です。受け取り側の勘が鈍いということもしばしばありますし、マーケティングの問題やさらに凄い作品が同じ時代にでてきたという運の悪さが関係してくることも普通にあります。それが、芸術やエンタメの世界です。 しかし、そういった凄い作品は確実に後々認められます。なぜならそれらの作者たちは「表現」からは逃げたりはしてこなかったからです。さらに言えば、読者のせいにはほとんどしてこなかったはずです(苦悩はしたでしょうが)。 だからこそ認められたともいえますね。 あなたが読者や編集者に対して文句を言うほど、「なんだこいつ。せっかく読んで感想を言ったのに…もう知らね」と呆れてしまう人も少なくないはずです。(実際、この掲示板でも、あなたが反論をするたびに呆れたり攻撃的になっている人が増えているのはそう言うことではないでしょうか)。12わかるfavoriteわかるreply返信report通報
名無し1年以上前ありがとうございます。僕は「理解できない編集と読者が鈍いだけ」と憤りを感じてるわけではなく、正しいと思った意見は取り入れて修正し、あてにならないと感じた意見は取り入れません。 宮内由香は、なぜショタが出てくる三丁目を全28pに留め、ショタが全く無関係なロリエロ漫画に膨大なページ数を費やすのですか? しかも、三丁目はショタロリエロ漫画の名著なのにロリ8割ショタ2割と描写に差がありすぎます。なぜショタの比率を上げない。 ページが少なくてもやもやする上に、ショタの描写が更に少ないと更にもやもやします。 その比率にもやもやが溜まり、あぶだくしょんが55pにまで膨張してショタ7割ロリ3割になったんですよ。 三丁目とあぶは反比例の関係にあります。三丁目が何もかも足りないものだらけだから、あぶがあんな詰め込みすぎになったんです。自由広場ジャンプ新世界漫画賞に応募したんで感想ください。
名無し1年以上前三丁目の長尺版が見つからないという課題も解決していません。 検索しても未見のページのひとつも出てこない。 僕は全く読みませんが、宮内由香の放課後塾は青の時代に収録 されてない1P漫画が同人誌に載っています。 みずいろシリーズは単行本1冊分描かれてる上、フラワアとい う同人誌が20Pぐらい描かれています。 なぜ宮内由香はショタが関係ないみずいろを推しまくって描く のでしょう。だったら三丁目も未見のページの1つや2つ出て きてもおかしくないんですが。自由広場ジャンプ新世界漫画賞に応募したんで感想ください。
名無し1年以上前>秀造と麻耶子が可愛くなかったらなんですか?ブスですか? 不細工とブスにしか見えないよ。 秀造はショタというよりは高校生くらいに見える。 イケてない丸刈り、長すぎるモミアゲ、ダサい丸眼鏡に団子っ鼻、目も眉もタダの一本線で構成されてる手抜きに見える。 可愛い要素なんか全くない。ゼロ。芋臭い田舎のガキで顔からは性格の悪さが漂ってるいけ好かないヤツといった印象だ。友達にもなりたくない。 麻耶子は更に年齢が上に見える。30超えたおばさん。顔は眼鏡のない秀造といった所。こちらも性格が悪そうに見える。 服も酷いセンスである。指とかそれ何?ロボットか何かか?角ばってゴツゴツしていて人間らしくない。この子を好きになれるか?なれるわけがない。 この二人が脱いでも全く魅力なんかない。一ミリもエロくならない。自由広場ジャンプ新世界漫画賞に応募したんで感想ください。64わかる
名無し1年以上前> こういう文句を言われて落とされたことはありませんよ。 じゃあそういうアドバイスをする以前の出来なのだと思います。 あと編集のアドバイスや意見を「文句」とか言ってたらそりゃ編集さんだって一緒に仕事をしたいとは思わないと思います自由広場ジャンプ新世界漫画賞に応募したんで感想ください。55わかる
ジャンプ新世界漫画賞に応募したんで感想ください。
別の方が表現力について触れていたので、私からも補足をさせてください。
あらすじとプレゼンテーションは似て非なるものです。
映画の感想を言う時にWikipediaに書いてあるあらすじをそのまま言う人は少数派ですよね。
お気に入りの映画を勧めるとき、表現力のある人はそれを見たことがない人にも面白さが伝わるように解説をします。それが表現力というものです。
あらゆるエンタメも同じで、ただただ事象を説明するだけでは感動も面白さも伝わりません。
表現力のある作者は読者に思っていることがより伝わって欲しいからこそ、魅せゴマだとかキャラクターの表情といった演出に力を入れるわけです。
また、どんなに素晴らしい作品でも評価されないということはザラにあります。
画家で言えばゴッホ、作曲家のサリエリなんかはその代表例の一人です。受け取り側の勘が鈍いということもしばしばありますし、マーケティングの問題やさらに凄い作品が同じ時代にでてきたという運の悪さが関係してくることも普通にあります。それが、芸術やエンタメの世界です。
しかし、そういった凄い作品は確実に後々認められます。なぜならそれらの作者たちは「表現」からは逃げたりはしてこなかったからです。さらに言えば、読者のせいにはほとんどしてこなかったはずです(苦悩はしたでしょうが)。
だからこそ認められたともいえますね。
あなたが読者や編集者に対して文句を言うほど、「なんだこいつ。せっかく読んで感想を言ったのに…もう知らね」と呆れてしまう人も少なくないはずです。(実際、この掲示板でも、あなたが反論をするたびに呆れたり攻撃的になっている人が増えているのはそう言うことではないでしょうか)。