難民の殺し屋女性が、一般女性との愛を貫けるかを試される物語。さまざまな思惑が錯綜するスリリングな物語ですが、その思惑の中には、殺し屋の恋人の「父親」のものがあります。
そしてこの父親の「善良さ」が、物語を複雑にしてゆきます。
父親は神父さん。彼はどんな内容の告解も……たとえ殺人の告白でも、誰にも漏らさない。そんな善良さを見込まれ、彼は告解の常連から殺害予告をリークされたり、教会上層部に利用されてしまう。
一方父親としては寡黙だが心配性。ついデートを尾行しちゃったり。それでも真摯に思いを告げるため、娘にも信頼されている様子。
彼はついに恋人と対面する事になる。二人は娘の人柄の良さで意気投合する。しかしこの邂逅は、一寸先の読めない大きな争いをもたらす。その火種がちっぽけで実直な「父(父親・神父)」の善意である、という皮肉と複雑さ。それは間違いなく「面白い」!
こんなドキュメンタリー映画があったら絶対観る。
地味・ブスを自称するヒロインも、漫画の中では人並み以上の可愛さで描かれる少女漫画の不思議。それに違和感を感じていたくせに、いざ「じゃあリアルなやつで描きますね」と言われると途端に不安になってしまう私の不甲斐なさよ…
本作の主人公・美人(みと)は「恋愛対象圏外の垢抜けない地味女子(クラスにひとりふたりは居るやつ)」をこれほど忠実に再現したかと思われるキャラクターです。これは美人を差別しなかったひとりの男子のために地道な努力を重ねて、圏外女子から対象範囲内女子(それでも上位グループには入らない感じの)にのし上がる成長の記録。
面白いのが、自分を変えようと決意させてくれた国松くんとの恋だけを描くのではなく、中学卒業と同時に一旦区切りを付けたら、高校から「第二幕」が始まるところ。「国松くん一筋じゃないのかよ」なんて野次はゴミよりも無意味。環境が変われば人間関係も変わる。顔面偏差値とか関係なく、容姿に対して“もっとこうだったら”と思ったことがある人に、美人に自分を投影させない人なんていないと思う。美人はもう私です。