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彼女と彼氏の明るい未来

恋愛において普遍的なテーマでもある恋人の過去の相手

彼女と彼氏の明るい未来 谷口菜津子
吉川きっちょむ(芸人)
吉川きっちょむ(芸人)

恋人の過去の相手が全く気にならないという人は極少数なはず。 そんな誰しもよぎったことのある思い、疑惑、心配性、ネガティブさを最大限に高めて爆発させて包み込んだのがこちらの作品。 最高に揺さぶられる。 全く付き合ったことがないわけでもないが、ロクな女性と付き合ってこなかった一郎。 流されるままに、性格もブスな女性や、自己評価低すぎてネガティブすぎる女性、占いやマルチにハマっている女性と付き合ったりして散々な思いをしてきて若干こじらせてしまった一郎。 現在、そんな一郎(28)が奇跡的に2年付き合ってるのは、性格も良くてめちゃくちゃにかわいいゆきかちゃん(28)だから余計に過去が気になってしまう。 そんなある日、居酒屋で言われるがままにゆきかちゃんの写真を見せていると隣で飲んでいた男に見られ「この女ヤったことある!超ヤリマンなのよ!しかも乱交しちゃった♡」と無茶苦茶に最低&失礼な外野がいたもんで、元来の心配性とネガティブさがムクムクと膨れ上がりいても立ってもいられなくなってしまう。 そんなときにちょうどよく?現れてしまった誰の過去でも見れる(情報を収集してシミュレーションして再現する?)VR。 一郎はどうなってしまうのか。 真実とは!? 「恋人の過去の相手が気になる」というのは「最近の若者は・・」という言葉が古代エジプトの石碑から見つかったのと同じくらい世界中で普遍的なテーマな気がする。 結婚相手以外に処女を奪われたら、奪われた女性側が死刑になってしまう国さえあるし、いろんな宗教があるが処女であることをどこでも重要視しているように感じる。 声優も処女であることを求められるというのを聞いたことがあって大変な世界だなと思う。 それほどに世の男性は処女だとか、初めての相手という部分に縛られ頭を抱えている人、女性から言わせると「キモい」人が多い。 だが、そんなのは野暮以外のなにものでもない。 今が違えば過去のことは関係ないし、相手も自分も現在が幸せであればいいじゃないかと思う。 そう、思うのだけど・・。という永遠ループの悩みがこの漫画だ。 乱交、それが事実かどうかは置いておいて、その結果にとらわれて本質を見失ってはいけない。 たとえ事実としても、大事なのはヤったかどうかじゃなく、なぜやったのか、彼女にはそこに至るまでの背景や理由があり、それを現在黒歴史として隠しているとしたらなぜ隠しているのかまで考えなければ相手の気持ちを思いやってるとは言えないんじゃないか。 相手の優しさかもしれないのに。隠したいのであればそっとしてあげればいい。 そして、本来乱交の事実を確かめるすべなど、本人に聞くしかないはずなのに登場してしまったのが、謎のVRだ。 これが事態をややこしくしてしまった。 こんな本当かどうか怪しい機械の情報をストンと信じてしまう。 本当かどうかも分からないのに。インプットした脳内の情報・願望・妄想を勝手に読み取って映像化するマシンなのかもしれないのに・・。 そして一郎は事実かどうかも曖昧な判断材料でさらなる妄執に囚われどん底に堕ちてしまう。 純文学的とも言えるテーマを新しいギミック(VR)の導入で新しく描き、素晴らしいデフォルメ具合の絵で表現されているのがめちゃくちゃにいい! 作者の谷口菜津子先生は漫画家の真造圭伍先生とご結婚されているので、もしかして一郎は真造圭伍先生がモデルだったり?と勘繰ってみたり。 1巻のあとの最新9話に出てくる女性たちの証言もよくあるというか、なんだか三者三様でリアルだけど、女性は男がいるところではあまり言わなそうな話だよなーと。でもそこは作者が女性っていうの思い出して、少し腑に落ちる。 すごく男性主観の話なのに女性が描いているのは本当に凄い。 久保ミツロウ『モテキ』や新田章『あそびあい』もそうだ。 奇しくも二人共男性っぽい名前を使っているのも面白い。 悩んでいるときに一人で思い悩んでクソみたいな考えが醸成されて突っ走る前に周囲に話を聞いているというのは、一郎がコミュ障でもないごくごく一般的な男性という描かれ方をしているからこそなんだか救いはありそうな気がしてくる。 もしくはだからこそ共感できて絶望が広がるのか。 誰しも囚われかねない妄執に区切りをつけて過去の相手ごと恋人を愛する決意をすることで有名なのが「めぞん一刻」だ。 変えられない過去を受け止め前に進む、あまりに有名すぎるあのシーンは感動的だ。 そこに到達できてようやく本当の恋人と言えるのかもしれない。 頑張れ一郎!幸せなはずの現在を、現実を見るんだ!

彼女と彼氏の明るい未来

好きだからこそ、揺さぶられる倫理観

彼女と彼氏の明るい未来 谷口菜津子
sogor25
sogor25

前作「彼女は宇宙一」の評判が私の周りでやたら良かったので、谷口菜津子さんの名前を見つけてあらすじも何も見ずに今作に手を伸ばしたんです。冴えない感じで超ネガティブ思考の彼氏・一郎とそんな彼のことが大好きな美人の彼女・ゆきか…読み始めは「地球のおわりは恋のはじまり」みたいな幸せなラブコメなのかと思ってました。 そしたら突然明らかになるゆきかの過去に関する噂。生来のネガティブさもあってその噂を異常なまでに気にし始める一郎。そして唐突に登場する噂の真偽を確かめることのできるふしぎ道具。疑惑とそれを検証する術を目の前にして激しく揺れ動く一郎のメンタル。予想以上に読者の倫理観を揺さぶってくる恐ろしい作品でした。谷口さんの絶妙にデフォルメされたキャラクター造形、ベースは整然と並んだ長方形なのに突然崩れたようになるコマなど、いろんな方法で作品のリアリティラインを曖昧にしてきているのもその揺さぶりを効果的に支えているように思います。 1巻の段階ではその噂が事実かどうかは分からないけど、少なくとも現在のゆきかの気持ちは一郎に対して一途であることが伺い知れます。一郎の視点のないゆきかだけしかいない空間の描写からもそれは分かります。それを鑑みると、この作品の肝はゆきかの過去に囚われてしまった一郎の心の移り変わりにあるのだと思います。一郎が現在のゆきかだけを見て過去の噂など気にしないという態度を取ることができたなら、もしくはその噂を検証する手段があったとしてそれを実行しなければ、この2人はこれまでと変わらず穏やかに過ごすことができた、でもそうすることができなかった一郎の咎と、それを一概に否定することのできない読者側の人間の性、を描いた怪作だという印象を受けました。 「hなhとA子の呪い」「青春のアフター」「それはただの先輩のチンコ」等、好きという感情とそれに付随して回る負の感情をファンタジー設定を交えて描く作品が好きな方と相性のいい作品ではないかと思います。 1巻まで読了。

佐武と市捕物控 【石ノ森章太郎デジタル大全】

天よ、私を自由にしてください。嘲笑われない為に、脅かさない為に。誰かの支配からではなく己の底から行えるように。

佐武と市捕物控 【石ノ森章太郎デジタル大全】
阿房門 王仁太郎(アボカド ワニタロウ)
阿房門 王仁太郎(アボカド ワニタロウ)

 江戸時代は遥かに自由な時代だった。下手人は指紋やDNA、目に見えない血痕や油脂、デジタルデータのような生理的、物理的な物証からすら自由だった、取りも直さず、犯行の証拠の所在は現代に比べると(拷問などは有れど)ずっと内心の自由に委ねられていた。  そして、その自由は放置と表裏一体だった。『佐武と市捕物控』に於いては多くの身障者、精神的な苦悩を抱えた下手人が出てくるが、彼らが福祉や行政に救われる事は殆ど無く、それ故に犯罪に追い込まれる様が一種同情するように描かれている。殺人者らの境遇は人間の業に纏わる必然として江戸の花鳥風月と混然一体と物として映る。  然し、主人公の一人、(松の)市はそのような状況における盲人でありながら剣技、頭脳、人柄、どれをとっても申し分無い傑物として終始活躍し続けている、ある意味迫害や無理解により憎悪と貧窮を募らせ零落するという「自然」に逆らうような人物だ。では、何故他の犯罪者と違って市は差別する社会に対する憎しみなどを乗り越え、あれほどの人物と成れたのか。  この答えは市の心理を追った一遍「刻の祭り」にあるように思える。詰り、粗筋の紹介はここでは省くが、残虐な盗賊として集う身体障碍者に対する叱咤「盗みや人殺しが悪いことじゃない……?笑わせるな!!(中略)あたしだって…、目が見えないことを、笑われたことは何度もある。そりゃあその時はくやしい そいつも盲人にしてやりたいとも思った。し、しかし、…いちいちそんなことをしていたら……、世のなかに五体満足はいなくなっちまう……。苦しむのはあたしたちだけでたくさんだ」に隠されてる。  ここで市は率直に世の中への憎悪を語る。しかるに、その憎悪の炎を自然生成され、自然に他人を傷つけるべき物と彼は捉えていない。即ち、それが自然である以上に「盗みや人殺しはどんな場合でも正義にはなり得ない」と言う社会の掟こそを優先すべきと見做している節があり、それで己を律する事で憎悪の炎と向き合わせる。  そしてその格率が彼の憎悪のはけ口に単なる暴力や略奪ではないより高度な技法や思想に彼を追いやっている、それが市の人格の秘密である(余談であるが、このような精神のプロセスをフロイトは防衛機制の内の昇華と定義した)。これはある意味では精神の枷であるが、昇華により市の身心は飛躍し、憎悪と貧窮と言う自然の漆喰から自由になる事が許されたと言う側面もある、パラドキシカルな物言いだが、人を憎まないと言う倫理的な枷が寧ろ彼を自然のままの運命から解き放ったのだろう。  私はそこに「自由主義者」石ノ森章太郎の姿を見た。彼は、どの作品でも身体の桎梏を抱えながらも自由を希求する主人公を何度も描いてきた。そして彼にとって自由は単に与えられる物ではない、寧ろ人間を縛っているのは環境が影響することは有れその人間の憎悪や強迫観念であり、自由はそれとの内なる煩悶の繰り返しでしかないと言う事を、石ノ森は描いてきたのだ。  然し、それは何処までも己で闘い勝ち取ると言う世界観の称揚な以上、ややもすると現代的な福祉への批判に結び付きかねない。実際『仮面ライダー』では国家と言う概念≒ショッカーと言う公式がこそがライダーより弱者を生存させ得たかもしれないと言うアイロニーで幕を閉じている。そのような描写は常に存在し、『仮面ライダーBlack』でそれは極北に達した。その作品はゴルゴムと言う無形で無限大の、グロテスクなオカルトとナーバスな陰謀論の沼にヒーローを引きずり込んでいった。そこにある種の苛烈さを見出さない事は許されない。  上記を踏まえて幾らか不謹慎な発想をするならば、石ノ森の自由主義は戦後日本のリベラルを超えて、どこか今のシリコンバレーの大物に通底するより徹底した自由主義と一脈通じているのではないか?石ノ森章太郎が政府の調整効果を強く敵視していた訳はないだろうが、作品に於いてはそれに近い不信感や抵抗が見られない事の方がむしろ少ないように感じられる。それは市のような確固とした自己を形作るが、同時に『仮面ライダーBlack』の魔王のような存在に人を変えかねない。そのような可能性の光と影が石ノ森の作品には渦巻いており、その二元論的な世界観が彼の作品の基調となっている部分もあるように思える。尤も、単なる自由主義的なヒーロー像だけでは彼の作品が今でも注目を浴びることは無かっただろう、そのような自由の希求と危惧の狭間でそれでも善を求めて戦い、己を擲つ事さえ時には厭わずが欲を否定せず認める、そのストイックさがあって初めてヒーローが暴力的なイデオロギーの奴隷の身分から解放されること事を石ノ森は知っていた筈だ。  そぞろな文章を長々と書いたが、江戸に仮託した人間の自然状態からの脱却による自由を希求した『佐武と市捕物控』は正しくその自由の希求により確かに石ノ森章太郎的なのだと繰り返してこのレビューを閉じさせていただく。 余談: ・実際読んだのは90年代に出た小学館文庫版と笠倉から出た『縄と石捕物控』の文庫版だ。文庫をかなり探し回り、最終的に通販を使った都合上こっちの方が入手自体は簡単だと鑑み、このバージョンでレビューさせてもらった ・『佐武と市捕物控』に関しては、夏目房之介の文章(「『佐武と市捕物控』―青年マンガの革命児」-『別冊NHK 100分de名著 果てしなき石ノ森章太郎』収録)が大変すばらしかったので一読をお勧めします。正直、「刻の祭り」に着目したのは夏目に倣ったからです。私は同じ主題の描かれた珠玉の掌編として「北風のみち」もおすすめします。 ・このレビューのタイトルは吉田拓郎の『今日までそして明日から』の一節のパロディですが、今気に入ってると言うだけで、大した意味は無いです

かのじょとかれしのあかるいみらい
彼女と彼氏の明るい未来 1
彼女と彼氏の明るい未来 2
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