この空気感が田島列島なんだと思う
『ごあいさつ』ってそういう❝ごあいさつ❞でしたか。 まさか、不倫相手のお宅に正妻がご挨拶に行くっていう。 完全に不意打ちを食らった感じでした。 それも、粛々と波立つこともなく過ぎて行く日常の一コマのように描かれていて、この独特の世界観が田島列島なのだと思う。 『おっぱいありがとう』結構好き🎵
「どうすればお金のもらえる漫画が描けるのかそればかり考えていました。それでも今見れば好き放題に描いて幸運にもお金をもらえた漫画たちです」(田島列島) 連載デビュー作『子供はわかってあげない』で各マンガ賞に上位ランクインし、現在は別冊少年マガジンで話題作『水は海に向かって流れる』を連載中の田島列島、初の短編集。表題の「ごあいさつ」は、姉の交際相手の奥さんが突然部屋を訪ねてくるという”大事件”を瑞々しい感性と言葉で切り取り、かわぐちかいじ氏、さだやす圭氏に絶賛された2008年の新人賞受賞作。その後10年の月日をかけて発表され続けた珠玉の短編全7編に加え、「モーニング」誌上に時々掲載されていた1P漫画やイラストも収録。ファン必読、オールアバウト田島列島とも言える一冊です。
寡作故に何年も前から要注目の新人であり続ける田島列島選手もとうとう単行本が3タイトルになりました。そろそろ傾向といいますか、作家性がみえてきそうな気がします。
まあ、とにかく、留まることが嫌いなひとなんでしょう。生まれついて付与された性別からして変えてしまうひとが毎度登場するのも、毎度のこと親が突然家から出ていってしまうのも、まずテコでも動かなそうなものから率先して動かしてやろうとする気概がみられます。
今作も、まあ、いきなり不倫からの幕開けで、しかも、不倫された奥さんが不倫相手のアパートを訪ねに行く。さらに本妻が訪ねて来るというので同居人の姉さん(不倫相手)が家から出ていってしまうのが主人公の妹の境遇なわけです。もう初っ端から動きまくり。そして、はじめはこの事態を「昼ドラ」と形容して、一歩引いた目線で傍観していた妹がこんどは、くりかえし訪ねてくる本妻に心を動かされて、自らアクションを起こす。ただ受け身でいるのが嫌だといって自分のほうから積極的に奥さんに働きかけるんです。この「ただ受け身でいるのが嫌で自分のほうから積極的に働きかけようとする瞬間」こそが田島列島マンガにおける決定的な動きなのではないかと睨んでいます。
ひとというのはどう足掻いても外的作用からは逃れられない受動的な生き物ですから、積極性を発揮するといっても、けっきょくは何かを受けての積極なわけです。せいぜい外的作用の決壊を防ぐために土嚢を積むことしかできないといいますか、攻撃のない野球みたいなものですね。ピッチャーがどんなに踏ん張って最高のパフォーマンスをみせても、せいぜいゼロか失点によるマイナスしかないわけで、これでは試合は動きません。田島列島には、このテコでも動かない受動的な状況をどうにかしてでも覆してやりたいとする気概がみられるんです。
ただし、この転覆は極めて難しい。だからこそ、せめて、そのほかのものだけは自由に動けるようにしようとする。これはインタビューで言っていましたけど「キャラが勝手に動く」という言い方をされている。たしかに自分でキャラの動きを先に規定してしまえば、作者本人からしてみればキャラがそこでは自由に動きまわれない不自由が生じることになる。だから、しばらくのあいだ、キャラが自分から自由に動いてくれるのを待つ。それ故の寡作なのかもしれません。そうして待つことで、いま、ここで何か動くのを最前線で捉えようとしているんです。
あとは台詞、というか言葉についてもかなり辛辣な姿勢がみられます。田島列島マンガのキャラたちは互いに言葉を介そうとはしないんです。だからいつだってセリフは間の抜けたギャグのようになり、発した言葉は相手に届かず、会話は常に両者のあいだの宙を空転している。これも留まることが嫌いな田島列島ならではの仕様といいますか、感情というのは常に複雑に流動しているものなのに対して、言葉を発するというのは、そのとりとめのないものを無理やり型にはめるような作業なので、田島列島マンガのキャラは誰も言葉なんか信じてはいない。ただ、それでも、それでも、言葉を伝えなければならない瞬間というのはどうしてもある。『子供はわかってあげない』がそうだったように。ただ、好き、と言っても、それは胸の苦しくなるようなバカでかい感情を小さな型に無理やりはめただけでそれでは嘘になってしまう。ナンセンスなんです。それは朔田さんも重々承知なんです。だからこそ、その一言がなかなか口をついて出ない。でも、それでも、せいぜいゼロかマイナスしかなくても伝えなければならない瞬間があるんです。まさにそのとき、田島列島マンガで何かが動いている。テコでも動かないような何かが動いているんです。