シチハゴジュウロク

これは人気出そう!

シチハゴジュウロク 笹古みとも 工藤哲孝
吉川きっちょむ(芸人)
吉川きっちょむ(芸人)

すぐにでもアニメ化されそうなビジュアルと設定! 絵も表現もめっちゃ良いし、話も面白い! 最近ワクワクして連載を追ってる作品の一つ。 夏、青春、入道雲、煩悩を抱えた男子高校生、謎の美少女、転校生、言葉使いが荒い可愛い幼馴染、突然の死、身代わり、呪い、時間遡行、復活、ミステリ、サスペンス・・・。 高校一年、夏、「五六冴郎(ふのぼりゴロー)」が、危うく死にかけた「藤宮しちは」を助けた拍子にキスしてしまったことで契約は交わされてしまった。 「ゴロー」が殺され、そのたびに「しちは」が身代わりになる。 ゴローは犯人を見つけだすと、しちはが蘇って代わりに犯人が死ぬ。 これを7回繰り返さなければいけないという。 死を繰り返す壮絶なミステリが始まった。 一人目からほぼ何の因縁も無い犯人だったため、2人目からめちゃくちゃ難航するんだろうなあと思ったら、やっぱりそうだった。 しかし、なんだかちょっと訳知り顔っぽいようなユニークなキャラクターたちが出てくるので全く飽きない。 そして、みんなかわいい。 システム的には、何度も殺されるなんてたまったもんじゃないから身代わりになったしちはを放置することもできる。 だが、それをやらないのがこの主人公だ。 ちゃらんぽらんでスケベなだけな男かと思いきや一本芯が通ってるというか、困った女の子は見過ごせないということなのか、迷いながらも覚悟を決めていく。 その過程もちゃんと恐怖と葛藤があってすごくいい。 「"狼(ウルフ)" "山猫(リンクス)" "生贄の山羊(スケープゴート)"」っていう呪文?もかっこよくて最高に中二心をくすぐってくれる。 すぐアニメ化しそうとはいえ、7人分ちゃんと終わらないと厳しいだろうなとも思う。 怪しくて面白いキャラクター達ばっかりだが、ラストに向けてどうなっていくのか! 楽しみにしてます!

ルートダブル Before Crime * After Days After

禁断のソリッドシチュエーションSF

ルートダブル Before Crime * After Days After 桃山ひなせ イエティ/レジスタ 中澤工 月島総記 日向もやし みけおう 月島トラ
兎来栄寿
兎来栄寿

何という面白さ! 面白すぎる! 凄すぎる!! ルートダブルに本腰を入れ始めた時、私は「ジョジョの奇妙な冒険」のアニメのリアルタイム視聴すら諦めて、この過酷な世界に徹夜で没入してしまいました。そして、暫くの間うわ言のように「ルートダブル面白い」「ルートダブル面白い」としか言わない、壊れたレディオのようになりました。 「ルートダブル」は、2012年の6月にXBox360で発売されたAVG。今や禁忌とも言える極限状況。知的好奇心を刺激して止まない、近未来における新たな理を描くSF設定。それらが合わさって構築される、濃密な物語。その圧倒的な面白さは、私が2012年に触れた全ての物語の中で最高ともいえるものでした。   ■禁忌の絶望的極限状況 「ルートダブル」は、メルトダウンした原子力施設の中に閉じ込められた9人の脱出劇を描いた物語です。蔓延する放射線、火災、バックドラフト、酸欠空気、殺人……様々な苦難が満ちた地獄の世界で、果たして彼らは生き残れるのか。 このあらすじを聞けば、「福島の事故があったのに、そんな話は不謹慎ではないか」と感じる方もいるでしょう。実際、社会情勢を鑑みて発売中止になるかもしれない、という時期もありました。しかし、この作品の制作が発表されたのは2010年。元々、原発事故の被害者を貶める意志など微塵もなく、むしろ極限状況における人間の希望を描いた作品であるということが強調され、何とか発売されました。私は、この作品が世に出てくれて本当に良かったと思っています。純粋に面白いのは勿論ですし、触れれば悪意を持って創られた作品でないことは明白に理解できます。そして、放射線・放射能・放射性物質やベクレル・シーベルト・グレイの違いといったような知識を改めて学ぶことができる内容、そして作品の中で語られるテーマは今の社会において非常に重要で有用であるからです。   ■視点は「二つ」あったッ! 双極から立体化する物語 「ルートダブル」は、そのタイトルが表す通り、二つの異なる視点から同じ対象が描かれます。√Aは、記憶喪失になってしまった救急隊員の笠鷺渡瀬の視点で、√Bでは母親が研究所の職員である高校生の天川夏彦の視点で。マンガ版でもそれぞれのルートの話が別々に一本の作品として描かれ、単行本も√Aと√Bが二冊同時に発売される形でした。   たとえ見るものが同じであっても、観点が変わればその印象は全く違う……そんな面白さも見事に表現されています。一方的な視点見るだけでは解らない側面。他者の立場に立ってみて初めて解ること。この双方向的な構造それ自体が、批評性を持っています。これ以上ない緊張感溢れるシチュエーションで、二転三転していく物語。何でこんなに続きが気になる所で仕事に行かなければならないのか! と理不尽な怒りすら湧くほどの牽引力でした。この作品に込められた様々な趣向と構造には、思わず溜息すら漏れます。   ■SFの世界が現実に ジュール・ヴェルヌが描いた潜水艦や宇宙船、アーサー・CD・クラークが描いた衛星通信技術、H・G・ウェルズの描いた光学迷彩……優れたSFは、未来への真摯な想像力によって、現実を先取りしすることが多々あります。「ルートダブル」もその好例です。実際に制作中に原発事故が発生してしまった、というのも先見的ですが、この作品では根幹となる部分に一つ大きな設定を導入しています。それが、「Beyond Comminucation(BC)」、いわゆるテレパシーと呼ばれるような能力です。脳と脳による直接的なコミュニケーションが超能力としてではなく、極めて濃厚な科学的考証を経て、社会では普通の存在となった能力として描かれます。「"情報"もエネルギーの一種である」という理論は近年研究が進められ、今作で描かれるような現象も近い将来には実現しているのではないか、と思わされるリアリティがあります。知的好奇心の擽られるSFが好きな人間には堪らない作品です。   ガンガンオンラインのサイト上で1話の試し読みができますので、まずは騙されたと思って触れてみて頂きたいです。商業的な要請から美少女が全面に押し出されてはいますが、中身は実に重厚です。 ただ、この「ルートダブル」は、マンガ版は物語の途中までで完結となっており、事件の全ての真実や、より細かい世界設定などを楽しむためには原作をプレイする必要があります。とはいえ、マンガ版にはマンガ版の魅力も勿論あります。ゲームでは見られなかったアクションやキャラクターの表情・魅力といったものを堪能できるのは、マンガ版の強みです。原作と共に相乗的により深く物語を楽しめる作品として、まずマンガ版から入るも良し、先に原作をプレイして後から読むも良し。現在、PS StoreにてPS3版とVita版の半額キャンペーンが行われていますので、是非とも原作と併せてこの類稀なる傑作として「ルートダブル」の世界をお薦め致します。     ■余談 マンガソムリエを名乗り、あまつさえマンガレビューサイトでこんなことを言っていいのか悩みます。しかし、敢えて言いましょう。こと物語創作において、今最も可能性を持った媒体はノベルゲームではないかと。ヴィジュアル面とサウンド面、そして構造的演出による相乗効果を駆使できながら、映画やアニメに比べれば遥かに低コスト。その気になれば四畳半の部屋で個人単位で制作し、世界を変えて行くこともできます。 原稿用紙数万枚分や単行本数十巻分、あるいは映像にして数十時間分の超大なボリュームの物語をいきなり新人が打ち出すのは極めて困難ですが、ノベルゲームはそういったことも可能にする世界です。今後も、野心的な素晴らしい作品が生まれることを期待しています。 ただ、マンガにおける音声面の補完としては、最近では集英社のVomicや、Domixといった試みもあり、非常に興味深い所です。あるいはニコニコ動画などでも絵が多少動きつつ音声も付けられた作品があり、そちらにも新たな可能性を感じています。ロッキーの練習シーンや、ラピュタ上陸シーンのような、聞けば一瞬でそのシーンを想起するような音楽の力がマンガに付加されたらどうなるのか。Webマンガやスマホで読むマンガが隆盛を極め、マンガ業界も過渡期を迎えている今、どんな形のマンガが今後生まれてくるか、楽しみです。

メイコの遊び場

メイコの遊び場の設定・子どもの遊び【登場人物まとめ】

メイコの遊び場 岡田索雲
メイコの遊び場の遊び

メイコとアスマたちがやった遊びをまとめました。(更新:2020/02/21) 【登場した遊び】 **1話目「遊びのはじめ」** ・じゃんけん(虫けん・足じゃん・顔じゃん・舌じゃん)   **2話目「釘」** ・釘遊び(かこみ・改造釘) **3話目「灰」** ・だるまさんがころんだ **4話目「縄」** ・投げ縄・縄跳び **5話目「松葉」** ・松葉遊び(形を作る・松葉相撲) **6話目「タンポポ」** ・タンポポ(花相撲・種痘・風車・かんざし・笛・花占い) **7話目「影」** ・鬼ごっこ(高鬼・色鬼・形鬼・影ふみ鬼) **8話目「暴動」** ・自転車 **9話目「男の子女の子」** ・おはじき ・お手玉 ・まりつき **10話目「蝸牛」** ・クチベニマイマイ **11話目「ハンカチ」** ・ハンカチ遊び(てるてる坊主・赤ずきんちゃん・バラ・バナナ・イカ・カメ・リボン・ブラジャー・ネズミ) **12話目「槌の子」** ・自転車 ・スルメを網で焼く **13話目「8月の事件」(1973年8月)** ・ジャンケン ・あんたがたどこさ ・毛笛 ・ロープ回し ・釘遊び **14話目「赤青」** ・昆虫採集セット(赤…殺虫液 青…防腐液) **15話目「変身」** ・ライダーごっこ **16話目「糸」** ・あやとり(はしご・東京タワー) ・糸電話 **17話目「何処」** ・どこいき **18話目「字」** ・字隠し **19話目「月」** ・あやとり ・けん玉 **22話目「名前」** ・魚鳥木 **23話目「恐怖」** ・地面にお絵かき(恐怖の大王) **24話目「石けり」** ・石けり **25話目「馬」** ・馬とび ・胴馬 ・蹴り馬 **25話目「最後の一人」** ・かくれんぼ

よいこの黙示録

夭逝の天才・青山景の遺作

よいこの黙示録 青山景
mampuku
mampuku

 もう7年以上も前になります。32歳という若さもあり、ショッキングな事件でした。  「SWWEEET―スウィート―」「ストロボライト」「チャイナガール」を経て、イブニングで連載されていた本作。徐々に知名度を上げながら着実に階段を駆け上り、「このマン」上位進出も有望視された中での急逝……当然ながらこの「よいこの黙示録」は既刊2巻で未完となりました(厳密には、既に連載されていた分と第6話のネームおよび下絵、設定画などが第2巻としてまとめられ翌年刊行されました。)  内容に関しては、永遠に未完となってしまったことが悔やまれるほど素晴らしいもので、続きが気になる、というより結末が気になる複雑怪奇なストーリーでした。クラスを言葉巧みに操る一人の天才的少年の手によって、新任教師・湯島朝子をも巻き込んだ新興宗教「神童教」が誕生していく様子が描かれている。一人称主人公であり唯一の大人であるはずの朝子が、無意識のうちに取り込まれていくのがとても面白かったのですが、首謀者・伊勢崎少年の素性がこれから明らかになるか……といったタイミングで終了となってしまいました。  宗教という、人類社会の繁栄と密接な関係にある普遍的テーマと、小学校の教室という特殊な閉鎖環境、この奇妙な組み合わせが斬新で、緻密に練られたストーリー展開にワクワクさせられました。  2巻にはその後の展開も含めたプロットが載っていて、これがまためちゃくちゃ面白く、この内容が漫画化される日はこないという残酷な現実に絶望させられます。(プロット案によると朝子は伊勢崎によって完全に手籠めにされてしまうようです。ショタおね大好きなのでこれ是非は見たかった……!!)

オールド・ボーイ

無記名的な、無国籍的な、大陸横断的な

オールド・ボーイ 嶺岸信明 土屋ガロン
影絵が趣味
影絵が趣味

狩撫麻礼の名義でもっとも世に知られる土屋ガロンが原作をつとめているのが『オールド・ボーイ』。韓国の名監督パク・チャヌクにより映画化され、カンヌ国際映画祭では審査員特別グランプリ、さらには映画大国アメリカはハリウッドでもリメイクされ、その際、それら会社間での権利関係で色々と揉め事が発生したようである。 そんな作品のほうが勝手にひとり歩きしている状況は原作者冥利には違いないが、この原作者、狩撫麻礼という名義でもっとも知られている男はじつに変な男である。まず、狩撫麻礼という名はカリブ=マーレー、つまりレゲエ音楽家のボブ・マーリーと彼の生活の拠点であったカリブ海とを掛け合わせたものらしいが、土地や名前などの固定的なイメージをペンネームに使用していながら、当の本人、狩撫麻礼という名義でもっとも知られているこの男は、土地や名前などの固定化したイメージから浮遊して逃げさるかのように極めて無記名的な存在である。いくつものペンネームを使い分けるさまは言うまでもなく、そもそもマンガ原作者であるために絵柄は作画担当に委ねられ、ひとつのイメージに定まることはない。さらにはいっさいメディアに顔を現さないために誰も彼の姿形を知らず、狩撫麻礼は彼のマンガに出てくる登場人物たちのように部屋には冷蔵庫とサンドバッグだけがポツンと置いてある、冷蔵庫の中身はすべてビールで埋め尽くされている、なんていうような妙に信憑性のある伝説だけが勝手にひとり歩きしているのである。そう、作品だけではなく、彼の存在自体も"物語"となり勝手にひとり歩きしているのである。 そもそも物語とは何か。物語とは話し語ることであり、物語の起源とは伝承にほかならない。当然のことだが、物語の伝承には著作権などなければ固有性も何らそなわっておらず、しかし当の物語のほうは極めて匿名的に、希薄にも、希薄であるが故に霧や空気のように所かまわず浸透して、あらゆる隙間を縫って各方面へひろく拡大伝播していく性質をもっている。著作者という概念など人類のながい歴史において近代になってようやく発生したものにすぎない。では、物語の本質とは何か。著作者という概念が発生した近代以降は、それは著作者その本人に帰依するものと一般には言われているようだが、人類のながい歴史からみた物語の場合はそうはいかない。その物語の発話者を遡って探していこうにも、その先には深淵があるばかりである。あるいは都市伝説によくあるように、その物語伝承の起源を仔細に追っていった結果がじつに身も蓋もないことであることも往々にしてあるだろう。すなわち物語の本質とは、その発生の起源ではない。物語の本質とは、むしろ、著作者を置き去りにして、極めて匿名的に、希薄にも、希薄であるが故に霧や空気のように所かまわず浸透して、あらゆる隙間を縫って各方面へひろく拡大伝播していく性質のほうにあるのではないか。それはまさしく物語が勝手にひとり歩きするということである。 そして、まさしく『オールド・ボーイ』はそんな物語の本質を貫くかのように、狩撫麻礼の名を置き去りにして、マンガというジャンルを越えて日本から韓国へ漂流し、ヨーロッパへ渡り、とうとうアメリカ大陸にまで辿り着く。しかも、ひとつひとつ国を跨ぐごとに、その物語の中身は少しずつ改変されているのである。狩撫麻礼とは物語の本質を身に纏い、世界各地をさながら無記名の幽霊のように彷徨い歩く男の仮の名前ではないか。そして、そんな男が、わけもわからずに何十年も監禁されて、そのわけを探すために街を彷徨い歩く、さながら記憶喪失のような男の後ろ姿と妙にかぶさるのである。 ところで、幽霊で思い出したのがロシア文学の代表格ゴーゴリが書いた『外套』という小説である。極寒の地、ロシアで、アカーキイ・アカーキエウィッチというひとりの男が新調したての外套を追い剥ぎに奪われて死んでしまうという小説だが、アカーキイの死後、各地でアカーキイの幽霊が現れて外套を奪っていくという噂が流れはじめる。じっさいに幽霊をみたというひとが遠い街から現れたが、その幽霊の風貌はアカーキイの姿形とはまったく違っていたという。 カリブ=マーレ―から拝借したという狩撫麻礼の名をみるたびに、私にはそれがカリブ海の南国のイメージとはどうしても繋がってこない。むしろ、なぜだか、狩撫麻礼ときくと大陸を横断してはしる極寒のシベリア鉄道を思い浮かべるのである。