ナイトメアアンドフェアリーテイル

翻訳が出てくれてありがとうな作品

ナイトメアアンドフェアリーテイル フー・スウィ・チン セレナ・ヴァレンチノ 兼光ダニエル真
なかやま
なかやま

シンガポール出身のフー・スウィ・チンさんの日本で最初の商業誌 出会いのキッカケは「弐瓶勉先生がウルヴァリンのアメコミを描いているらしいぞ!」と言うことでネットの通販サイトを観ていたら、たまたま隣に表示されていたことだったと思います。(十数年前のこと・・・ 当時はマーベルやDCでもない作品が翻訳される事など無いと思っていて、一生懸命 英語で読んでいたのが懐かしいです。 作品は、各話で変わる「人形のアナベル」の持ち主の女性を主人公とし、彼女たちが何らかの事件に巻き込まれていくことで話が進んでいきます。 後半は赤ずきんやシンデレラのおとぎ話をベースにした話に変わっていくので読みやすくなっていきます。 ただ、全体を通して後味が悪い話が多いため、人を選ぶとは思います。 自分がこの作品(作者さん)が好きなのは  日本人にはかけない絵柄で、日本人に読みやすいマンガの形で成立している という点です。 現在出版されている他の作品も魅力的ではありますが、彼女の作風がよく出ているという点では自分はこの作品を一番推しています。 絵柄が気になったら是非気にかけて頂きたい作家さんです。 とにかく日本で出版してくれてありがとうございます 何かのキッカケに 同人誌で描いていた muZz も出版されないかなぁ・・・ アレも良いんですよ・・・

少年レボリューション ダディ・グース作品集

スズキさんの休息と遍歴―またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行

少年レボリューション ダディ・グース作品集 ダディ・グース
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し

ダディ・グースは、かつて幻の漫画家だった。 70年代初めに、週刊漫画アクション誌上で鮮烈な印象を与える作品を発表しながら消えた、伝説の存在であった。 だが、既に、ダディ・グースが後の小説家・矢作俊彦の若き日の姿であったことが明らかになっている。 矢作は、最近新作が38年ぶりに発表され大きな話題となった『気分はもう戦争』(大友克洋画)や、『サムライ・ノングラータ』(谷口ジロー画)、『鉄人』(落合尚之画)などの漫画原作を手がけてはいるが、基本的には、小説家として活動している。 大変申し訳ないが、このクチコミは「少年レボリューション」に対するものではない。 (興味があるかたは、高騰している中古などで手に入れてもらうしかないが、現在の漫画読者が読んで面白いものとは、ちょっと言えないと思います) タイトルに書いた『スズキさんの休息と遍歴―またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行』という、矢作俊彦の“小説”について、書きたいと思う。 なぜ漫画のクチコミで“小説”を取り上げるのか、と言えば、これこそが、元漫画家で後に小説家になった表現者が、その可能性を真に見せつけたものだと信じるからだ。 この小説には、元「気鋭の漫画家」だった矢作自らが、物語世界に有機的に存在する多量の「絵」を添えていて、その見事さも、この小説の魅力となっているのだ。 初めて読んだ時、「ああ、これこそが、漫画を描ける小説家の“新しい”小説だ!」と感嘆したのを覚えている。 「漫画」という表現が持つ力は、必ずしも漫画それ自体の中にだけ存在するわけではない。小説『スズキさん〜』は、「おそるべき子供」であった漫画家ダディ・グースの、「最新作」でもあったのである。 矢作のように、元は「あまり売れない漫画家」で、後に小説家になったものといえば、山田詠美(漫画家のペンネームは山田双葉)が思い浮かぶが、彼女は画力の点で漫画家として決して高いレベルではなかった。 著名な例では、小松左京が「もりみのる」などのペンネームで漫画を発表していたり、山上たつひこが漫画の筆を折って小説家・山上龍彦に転身したりなど、実は漫画家(ないしは漫画家志望)だった小説家というのは、結構いるのである。 極めて特殊な例で、イラストレーターとしてデビューし漫画的作品を発表している橋本治がいるが、漫画にとても詳しかった彼が「漫画家志望」であったかは寡聞にして知らない。(橋本の作画能力は素晴らしく高いが、超多才だった彼に漫画を描くことを期待するのは、少し酷だったろう) しかし、どの場合でも、「漫画」と「小説」の世界観やテーマに共通性があっても、その両方の能力を活かして作品を作り上げた例は、あまり見つからないと思う。 この矢作の『スズキさん〜』は、本当に貴重なトライであり、先鋭的な達成だったのだ。 『スズキさん〜』が三島賞の候補になった時、審査員の大江健三郎が、その「絵」を激烈に批判して落選させたと、最近、やはり同賞の審査員だった筒井康隆が矢作との対談で明かしていたが、それもその「新しさ」を証明する勲章である。 矢作俊彦=ダディ・グースという稀有でへそ曲がりな表現者が、再びそうしたトライをしてくれることを、ずっと願っているのです。