レタイトナイト

豊かなファンタジーの極致 #1巻応援

レタイトナイト 香山哲
兎来栄寿
兎来栄寿

『ベルリンうわの空』の香山哲さんの新作です。 前作の『香山哲のプロジェクト発酵記』では「新しい連載プロジェクトの立ち上げ方」自体をマンガで描くという珍しい試みにも取り組んでおられましたが、まさにそこで考え捏ねられ発酵させられていた新作がこの『レタイトナイト』です。 『香山哲のプロジェクト発酵記』自体も、自分の寿命の使い方や物事の進め方を考え、見つめ直すという点でとても面白い本ですし、何より本作と併せて読むことで濃密なメイキングとして両方をより楽しみるのでぜひ読んでみて欲しいです。 香山哲さんは、その在り方が真の意味で「豊か」であるということを感じます。 わかりやすい流行や、かくあらねばならないといった縛りから解き放たれた自由にところで、読み手のこともある程度考えながらも自分が好きなもの・味わいたいものを全開にして描いている。こういう作品が、こういうマンガが世にある、出版されるという状況の何と素晴らしいことかと思います。 一口で言えばファンタジーですが、もう開始数ページの絵だけで魅せられる世界の様子、そして「レタイトナイト」と書かれた扉絵まででも香山哲さんの生み出す圧倒的な世界観に気持ちよく呑み込まれます。 地図や各地のスポットが描かれているところや、いろいろな小道具、その描き方も含めて幼いころに『エルマーのぼうけん』を読んでワクワクしたときのような感覚を呼び起こしてくれます。 ファンタジー世界を描く際に大切なのはそこで生きる者の日々の暮らしのディティールですが、『レタイトナイト』はそこの解像度の高さが素晴らしいです。そこがどんな世界で、どんなルールがあり、どんなことをして、何を思いながら、何を食べて暮らしているのか。そういった部分はつぶさに描かれていき、世界の匂いや温度を感じられます。 この世界独自の生き物や概念などもありながら、光を照らす角度によっては現実と繋がり考えさせられる部分があるのも良きファンタジーとしての性質を満たしています。 個人的には、食堂「フメンカダ」で出されるバラエティ豊富な「マリム(定食)」の数々に心惹かれます。野菜や穀物や豆など、素材としてはシンプルなものが多いのですが、その美味しそうなこと。巻きクブなども、絶対好きです。 これだけの世界観を作り込みながら、比較的ミニマムなお話を展開しているところもまた独特で良いです。普通であれば大国同士の戦争のような大きい話になりそうなものですが、そうではなくこの世界で生きているひとりひとりの地に足のついた生活をじっくり描いているところが、ある種の贅沢ですらあります。 読んでいる間はここではないどこかへ飛んで、豊かな時間を過ごせる作品です。

レタイトナイト

『ベルリンうわの空』香山哲先生の新作! #1巻応援

レタイトナイト 香山哲
さいろく
さいろく

『ベルリンうわの空』香山哲先生の新作はマイナーRPGを彷彿とさせるファンタジーだった。 ベルリン〜で独特かつ魅力的な絵柄で多くの読者を魅了し、電子先行だった?と思うが紙書籍も欲しくなって久しぶりに紙書籍も購入した。 私のチープな語彙力では「おしゃれ」とかしか表現できないがとにかくオシャレで可愛く、気持ち悪そうなデザインのキャラクターですら作中の柔らかい雰囲気で包んでくれていいデザインだなぁと感じる。何にせよどこを読んでいても心地よいのがすごい。 そんな香山哲作品、常に二色刷り(弘兼憲史作品などでよくある、白黒にプラスもう1色使われているもの。多いのは黒+朱色かな?)なのだが、ベルリン〜ではオレンジを基調にしていたところ本作では少し氷っぽい水色のようなアイスブルー(ブルーグレー?)みたいな、とにかく雰囲気がオシャンティでまた良い。 色々と前提となる設定が今回も多く(ベルリン〜と比べてばかりでアレだけど、あちらはドイツで生活する上で日本人には馴染みがないところの紹介があって面白かったがやはり前提がいくつかある)昨今の漫画の中でも珍しくじっくり理解しながら文字も読み込むのが楽しい作品になっている。 早く2巻が読みたいものだ。編集長頑張れー

ブブとミシェル

死を側に置く孤独な少年と、堕天使の出逢い #1巻応援

ブブとミシェル コドモペーパー
兎来栄寿
兎来栄寿

『十次と亞一』のコドモペーパーさんが描く、絵本のようなファンタジーです。 "日曜日の朝は 堕天使が降る" という、印象的なフレーズから始まる本作。 主人公は両親を亡くしてしまい幼い身でありながらひとりで暮らす少年ミシェル。天国から追放され地面に着くころにはいろいろな姿に変貌して死ぬ堕天使の死骸を使った「堕天使パイ」を作り、ミシェルは生計を立てています。そんなある日、ミシェルは堕天使の卵を発見して家に持って帰ります。やがて、その卵から堕天使が生まれ、彼はかつての愛犬と同じブブという名前を与えます。赤ちゃんのように本邦で世話が焼けるブブですが、こうしてミシェルとの不思議な共同生活が始まります。 堕天使の寿命は地上に落ちてからたったの7日。両親を亡くして以来ずっと孤独でもう別れの辛さを二度と味わいたくないミシェルは、最初はブブを突き放します。生きている堕天使は、売れば安くても金貨30枚。ミシェルにとってみればスリをして糊口を凌がなくても良くなる大金です。しかしながら、それでもブブはミシェルにとって段々と掛け替えのない存在になっていきます。その過程が、非常に堪りません。与えられた僅かな時間で、ミシェルは果たしてどのような決断をしていくのでしょうか。 得体のしれない堕天使という存在があることで、常に世界観には不穏さが漂っています。ただ、そこが逆にこの物語がファンタジーでありながらもどこか現実と地続きである観想を生み出しているとも思います。多くの人々が忌む存在。しかし、それによって生かされている人もいるという世界の多様さ。また、世界にはどうしたって理解しがたいものや自分の手ではどうしようもないものがあるということ。堕天使はそんなさまざまなことやものの象徴となっています。 そして、何より主人公ミシェルの幼いながらに死を意識して身近に置きながら日々の生活を必死に営んでいるさま。本当はいつだって泣き伏したいほど辛い状況でありながら亡き両親のことを想いながら強く生きるさまにに感じ入ります。そんな彼に手を差し伸べようとしてくれる、隣家のネリのような存在がいることも胸を暖かくしてくれます。きっと、本書を読んだときに孤独の深淵にいる自らに光を当てられたように感じる人がいることでしょう。ミシェルは自分だ、と思えるような人が。何よりそういった人に届けたい物語です。 宣伝になりますが、以前に私が行った路草編集部へのインタビュー記事も併せて読んでいただけると、本作もより楽しんでいただけるかと思います。 https://manba.co.jp/manba_magazines/24676

きらきら、あおい

アオハルというリトマス試験紙 #1巻応援

きらきら、あおい ito
兎来栄寿
兎来栄寿

最早、兵器とも言える破壊力です。 人気イラストレーターであるitoさんが描く、淡いフルカラーで彩られる青春の1ページ。 ある人は、若い男女のもどかしくなるようなやり取りに緩む頬やときめく心を止められないことでしょう。 またある人は、異次元のようなできごとに虚無感を覚え魂の慟哭が起こるでしょう。 読む人の人生を照らし浮き彫りにしてしまうほどの、何なら粒子に返してしまうほどの眩さを放つ、純然たるボーイミーツガールです。 高校生になって最初の日に出会った、同じクラスの前の席の男の子。 初めて触れた手。 勉強会。 初めての通話。 初めて一緒にする校外でのお出かけ。 ふたりで乗る観覧車。 席替え。 そして…… ある種『別冊マーガレット』や『デザート』を超える甘さを呈しながら、しかしそれだけでは終わらずアオハルの渦中の繊細な感情を丁寧に掬い取ってつぶさに描いていきます。 高校生の男女が迎えていくひとつひとつのイベントが、itoさんの絵の魅力を伴って心を揺さぶってきます。 「あったなぁ、こんなとき」 と共感するか。 「自分の人生にはまったく存在しないものだ」 と断絶を感じるか。 あなたはどちらでしょうか。

フツーの恋って何?

名前のない3人の名前のある感情 #1巻応援

フツーの恋って何? いくたはな
兎来栄寿
兎来栄寿

『夫にキレる私をとめられない』や『夫を捨てたい』が世間的にも有名ないくたはなさんですが、近年はオリジナルストーリーでの開花が著しいと感じます。 並行してさまざまな作品を描かれていますが、その中でも個人的に特に好きなのはこの『フツーの恋って何?』です。 まず、表紙絵を見た時に率直に「売れ感が圧倒的に増してる!」と思いました。装画デザインの方の功労ももちろん大きいですが、シンプルに絵の引き込む力がとても増していて、中心となる3人のキャラクターたちが実に魅力的に見えます。 そして、ストーリーも「一目惚れ」を絵で語るところから始まるしっかりと質量のある百合です。 元々、家が隣同士・親が親友同士で幼い頃からずっと一緒でこれからもずっと一緒にいると思ったふたり。そこに、運命的な出逢いを果たした少女が現れて感情を掻き立ててくる三角関係を織りなしていきます。 非常に特徴的なのは、キャラクターの名前が出てこず常に代名詞で「わたし」「あなた」といった形で進行していくこと。あるはずの名前が呼ばれないという不思議な欠落があります。 代名詞は代替物、代わりがあるもの。 固有名詞は、代わりがないもの。 そのメタファー、その演出がどのように作用して、物語がどのように帰着していくのか。今、目が離せない百合です。 連載も面白く追っていますが、単行本で一気に読むと双方向的な視点が際立って改めて良さを感じました。

サバキスタン

ロシア人が描く独裁否定の寓話 #1巻応援

サバキスタン ビタリー・テルレツキー 鈴木佑也 カティア
兎来栄寿
兎来栄寿

ロシアによりウクライナ侵攻が開始されて1年半。現在もなお毎日さまざまな情報が飛び込んできます。 そんな今であるからこそ読まれるべき作品がロシア人の手によって描かれ、そして邦訳されました。本作は、架空の独裁国家サバキスタンを舞台にフルカラーで描かれる寓話です。 ロシアマンガを読んだことがある人は非常に少ないかと思いますが、翻訳も良いですし日本のマンガを読み慣れている方であれば苦もなく読める上手さを感じます。 物語は、サバキスタンを訪れるジャーナリストであったり、国内で忠誠を誓って働く人であったり、また独裁者本人であったり、さまざまな視点から多角的に描かれて進行していきます。その中で描かれる国家としてのさまざまな矛盾や差別、不条理は現実の写鏡のよう。キャラクターが動物の擬人化として描かれているからこそ、逆にありありと現実を思い起こさせます。それらは、日本で生まれ育っていると想像しにくい現実です。 何より帯文にも引用されている ″なぜ、不幸の中の自由は幸福の中の不自由よりも良いと、お前たちは考えるのだ?″ という、同志相棒ことサバキスタンの長であるドゥルジョーク・トレザロヴィチ・シャリチェスク=ライコフスキーのセリフが、この作品に強靭な骨格を与えています。 かつて、『銀河英雄伝説』でヤン・ウェンリーは「私は最悪の民主政治でも最良の専制政治に勝る思っている」と言いました。一方で、本作では「清廉でも公正でもなくとも君主独裁政治の方が、不幸の中にある自由たる民主共和政治よりも幸せではないか?」と独裁者が主張してくるわけです。 この論理に外側から反駁することはできるでしょう。しかし、当人の中では絶対的で揺るがない正当性を持って断行しているわけです。独裁を否定する物語でありながら、非常に強固な行動原理を持つ独裁者が据えられている。彼の言動もまた作中を飛び越え、資本主義社会に生きる私たちも射程に入れて脅かしてきます。そこを否定する論理の帰結が、果たしてどのように描かれるのか。 3ヶ月連続刊行予定ということですが、この物語がどんな形で結ばれるのかは今を生きる者として見届けねばならないと感じます。

べんりなふたり

田舎の移動スーパーは便利 #1巻応援

べんりなふたり あやき
兎来栄寿
兎来栄寿

自由広場の「読んでたら「趣味が良いな」と思うマンガのレーベル」トピックでも名前が挙がった、去年の1月から始まったばかりの注目レーベルである路草より、あやきさんの連載作品が単行本となり発売されました。 https://manba.co.jp/free_spaces/48016 くらげバンチに掲載された読み切りの「番台さん」もそうですが、あやきさんは劇的ではない日常のありふれた出逢いから始まる関係性を、卒なく丁寧に描くのが上手いなと感じます。 本作は小学生のときに出逢った少年ふたりが大人になってから再会する物語ですが、冒頭で描かれるその出逢い方やその後の交流に、私自身が小学一年生のころに初めて一番仲良くなった友達とどのように知り合って仲良くなっていったのかを不意に思い出しました。私の親友もまさに浮世離れしすぎていて庶民が買うようなお菓子や清涼飲料水のことを知らず、色々な駄菓子の食べ方などを教えて俗化させてしまっていたなぁと。描きおろしも微笑ましいエピソードでしたが、カントリーマアムガチ勢の私としてはシティマムがツボでした。 それはさておき、田舎で移動スーパーをしながら独居老人の話し相手になったり電球を替えたり、マルチな何でも屋さんと化している24歳の青年・悠馬が主人公なのですが、車で外に出ないことには何もない田舎にいると移動スーパーはとてもありがたい存在です。商品と共にコミュニケーション体験も運んでくれるのは本当の話。 そして、本当に田舎は狭いコミュニティでさまざまなことが良かれ悪しかれすぐに伝播してしまうことや、権力を持っている人や繋がり、人口が衰微していくのを食い止めるための施策の立て方など田舎のディティールに逐一頷きながら読んでいました。 かつての親友である陸斗との絶妙な関係性の描き方や地の会話の軽妙さなど、派手さはないものの独特の良さが幸せを運んでくれる作品です。

取るに足らない僕らの正義

「特別」への羨望と嫉妬を煮詰めたオムニバス #1巻応援

取るに足らない僕らの正義 川野倫
兎来栄寿
兎来栄寿

1巻完結の物語としては、早くも2023年最高峰ではないかと思わせる非常に上質な作品が登場しました。 シンガーソングライター・多野小夜子とそれぞれ多様な関わりを持つ男女数名が織り成す、連作短編です。 作者はごめん名義でも描かれていた、西野カナさんのMVなども描かれた川野倫さん。 誰しも一度は「特別」になりたいと憧れ、そして多くの人は夢破れて「平凡」になるわけですが、本作では「特別」な小夜子と、それを取り巻く「平凡」な人々で構成されています。さまざまな感情の堆積がやがて歪みを生み発露するさまが、多様な角度から描かれていきます。人間の持つ嫉妬心や他人の不幸を願う気持ち、自分の心を安定させたいがための卑しい行為などが非常にリアルで丁寧で、読み応えがあります。 また言葉のセンスにも光るものを感じました。 ″恥ずかしくて死にたくなれよ。  生きてるなら。″ といった切れ味鋭いセリフや、作中で小夜子が「なぜ歌を歌うのか」と問われた時の ″ただの自傷行為だよこんなの。  曲を作ることも歌うことも。  でもさ、それで救われたって人もいたんだよね。  そういう人のために歌うわけじゃないけどさ、  そういう人もいるんだなって思ったよねー。″ というセリフなどは、特に好きです。 ある種神格化さえされている創り手の神聖に見える創造行為が、本人の認識ではただの自傷や自慰行為に過ぎない。でも、それは決して悪いことではなく、それでもその被造物によって救われる人も確かに存在する。そのことは、創り手にとってのささやかな救いともなる。 理不尽に覆われたこの世界がそれでも美しいと思える理由が、ここにあると思いました。

用九商店

よろず屋と縁と人生達 #1巻応援

用九商店 ルアン・グアンミン 沢井メグ
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ

台北で地上げに従事していた青年が、台北から3時間離れた田舎のよろず屋を受け継ぐ物語。そこには「懐かしさ」と一括りにできない、老若男女たくさんの人の縁の物語が待っていた。 よろず屋「用九商店」で提供される品は、よく見ると日本人の私にはよく分からないものが多くて面白い。日常的なもののはずだが一体何に使うのか……。 近所の顔馴染みが集い、話し笑い合うお店の雰囲気も、町の様子も全く垢抜けない。しかし主人公を含めた人の歴史、変わらない廟、ゆっくりとした仕入れと時の流れ、ざらつく質感……店に結びつくそれらが一つひとつ丁寧に描かれると、そこで人生を大切に生きてきた人達の物語を肯定したくなる。 主人公の青年が、周囲の人々に助けられて創り出す新しい店の形も素敵だ。 古い物をただ否定するのではない、過去を大切にしたままで、新しい時代を迎える方法があるのではないかという、今までにない希望の様な物がそこにはある。 ここに住む人達の悲喜交々を、小さくても豊かな人生達をずっと見ていたい。生きる充実感でこちらも満たされる、少しずつ時の進む台湾の田舎の物語を、もう一度読み返したい。 (#1巻応援 としましたが、1・2巻同時発売なので2巻の内容まで含みます)