兎来栄寿
兎来栄寿
1年以上前
コメディではありながらも基底となる設定に切なさがあり、敷き詰められた笑いの隙間から仄かに滲み出てくる作品は何とも堪りません。 『魔法少女大戦』や『消滅都市』などで有名なイラストレーターの山口カエさんによるこの『お守り女房』もそんな作品です。 83歳で妻に先立たれてしまった男性・伊豆沼蓮太郎の下に、死んだ妻・華代が何とお守りの姿となってやってきて共に暮らしていく様子が描かれます。 妻のキャラクターが典型的な昭和の妻という感じではなく、箪笥にはエアガンやヌンチャクがしまわれていたり、暗視スコープやギリースーツまで所持していたりと自由奔放。お守り姿となっても賑やかで、蓮太郎との愛と優しさに溢れた掛け合いは非常にハートウォーミングです。 華代は生前に蓮太郎から一度も「好き」という言葉を言ってもらったことがないという未練を抱えており、しかし昔気質の蓮太郎はそういった言葉を軽々には口に出せないという部分のもどかしさも良いです。 独居老人を狙った瓦詐欺や闇バイトなど時事ネタも上手く取り入れながら、賑やかで忙しない日常や非日常が面白おかしく描かれます。 しかし、華代も言う通りこの状況は本来不自然なもの。明るい雰囲気の裏には、いつか終わる夢のようなエクストラタイムの儚さと切なさがあります。それは、物語という優しい幻想の在り方にも似ています。 一人になったら米を炊くこともできない蓮太郎のような人は、現実にもたくさんいることでしょう。喪ってから気付いたり後悔したりすることばかりなのが人間ですが、こうした物語を通して喪ってしまう前に今大切にできるものをもっと大切に、できることをできる内にしようという気持ちにさせてくれます。 絵柄も綺麗で人を選ばない、間口の広い良質なコメディです。 補足として、細かい好きな点も挙げておきます。 ・長女の梗子も孫のはこべもすみれも女の子がみんなかわいい ・ステュムパーリデスはギリシャ神話、ヴェズルフェルニルは北欧神話とごった煮で好きな感じの厨二病あるある ・1話冒頭の謎の映画の腕ひしぎ十字固めから逆エビ固めに笑顔で移行するところ ・134Pの1Pまるまる使ったパロネタ
名無し
1年以上前
大友克洋に単行本未収録作品が数多いのは漫画マニアなら周知のこと、 あーAKIRAや童夢以前の感じな、ショートピースでお馴染みの初期短編のノリなら知ってるぜ、さアどんなもんよーーと、読んでみたら........難しかった。 未発表の習作を含めた1960年代〜70年代に描かれた短編が載っているのだけれど、その時代というとまんが表現が子どものものから青年を経て、大人を志向したものに変化していく過渡期の時代なだけあってかなり文芸色・実験性の強い作品が多い。 だが気に入った作品もいくつかはあったので軽く触れておく。 ・エンタメ部門 「スマイリーおじさん」 賭け事がやめられない喰えないジジイに、死んだ父親に代わってジジイの借金を回収しようとする若者が翻弄されるユーモラスな話。原作マーク・トウェインの力もあるだろうが、本作品集のなかでは一番オモロい内容だった。 ・文芸部門 「橋と そして...」 アンブローズ・ビアスの「アウルクリーク橋の出来事」を翻案したと思しき一作。ベトナム戦争下、米兵に橋に吊るされ処刑されんとする若者。幸運にも綱が切れて逃げ延びるも.....。戦争って、マジでクソだと思わされる話だ。 ・芸術部門 「まっちうりの少女」 東京に上京する際、編集者に見せるために描いたという習作で、じつに本巻ぶっちぎりの大傑作。当時の公民権運動に触発されたと思われる、童話と人種差別を組み合わせた少女漫画的内容。マッチ売りの貧しい黒人の少女が主人公で、すごく悲しいストーリーなんだけど、その悲しさの向こう側にほのかな叙情が浮かび上がってくる。ある少年に助けられるけど、主人公がお礼を一言も言わないでいるので少年が立ち去ってしまうシーンが、何か来るものがあった。この一作が読めただけでも、買った甲斐はあったかなと思う。一番好きです。 巻末には大友自身による各作品を語った談話が載っている。これは割に面白かった。 結論としては積極的にはすすめないが、大友克洋の大ファンなら読んでみてもよいだろうといったところ。
兎来栄寿
兎来栄寿
1年以上前
『伝説のお母さん』や『私の息子が異世界転生したっぽい』などで知られる、かねもとさんがTwitterやマイナビ子育てで発表していた作品です。 『What’s Home』なども含めて色々な形の「母親」を描いてきたかねもとさんですが、本作は我が子の「夜泣き」に悩まされる非常にリアルな現実世界の母親たちの姿が描かれます。1話完結のオムニバス形式で、それぞれのお話ごとに微妙に違った形で悩みを抱えている母親たち。 育児に協力的な夫もいれば、無関心・無意欲な夫もおり、酷いところは夜泣きに対して母親を責めたり怒ったり。たったひとりの夫にすら理解されず、たったひとりの子供に対しての愛情が薄れるばかりか憎しみすら芽生えてしまう、自分が自分でなくなるような恐ろしさ。 結婚して子供ができて幸せなはずなのに、同級生に誘われることもなくなり、SNSで楽しそうに遊ぶ友人たちを見て深める孤独感。 人生を賭して愛してきたアーティストの曲や、好きな小説、好きな食べ物、すべてが無味乾燥に感じてしまう瞬間。 疲れ果てて、眠りたいのに眠ることもできない終わりなきストレスの連続。 安らげる場所がない、笑えない、夜がくるのが怖い…… そんな迷える母親たちの救いの場所となるのが、正体不明の「よなきごや」。誰でも自由に入れて、赤ちゃんに必要なものから母親用のあたたかい飲み物や軽食まですべて無料、さらには防音の眠れる場所まで提供してくれる夢のようなスペースです。 何より、そこには自分と同じように悩み苦しむ他の母親がいて、自分の苦しみや辛さを分かち合い助け合うことができて、孤独な戦いから解放されていきます。 現実には難しいとは思いますが、こんな場所があればいいのにと心底思います。しかし、現実にはなかったとしてもこの物語が形として存在することには大きな意味があります。彼女たちが「よなきごや」によって救われる描写を通して、まさに今同じような窮状にある人も心が救われるでしょう。 すべての命の誕生は奇跡であり、その命を育んでいく営為もまた並大抵のことではありません。今夜も、世界のどこかで押し潰され限界を迎えてしまっている母親がいるのではないでしょうか。そういった人に、この物語の慰撫が届いて欲しいです。 また、父親も読んでおいて損はしません。男性には想像しにくい女性の辛さは多々ありますが、その想像力を補う一助になってくれる作品です。ダメな父親たちを反面教師にしていきましょう。