吉川きっちょむ(芸人)
吉川きっちょむ(芸人)
1年以上前
加納梨衣先生の短編集が出たら絶対に買う!と誓ったスペリオールの読切。 美大受験で一浪し、予備校に通っている純情少年が初めての裸婦デッサンに動揺を隠しきれず全く描けなくてムキになっていたところに、さっきのヌードモデルが話しかけてきて・・。 あんなに爽やかで胸キュン必至の『スローモーションをもう一度』が描けて、こんなにじっとりとしたエロティックな作品も描けるなんて! 多くの言葉を必要としない、心情を表情や目で語る描き方がとても上手いし面白いし、美しい。 間を表現する表情のアップにハッとさせられる。 セリフは関係や感情を示すわざとらしい言葉は極めて少なくごく自然なやりとりがされているところが映画的で素晴らしい。 50分くらいで映像化してくれたりしないだろうか。 面白くない映画の特徴として、やたらと状況や感情を言葉で説明してしまうものがあって、そうされてしまうと観る側としてはその人にそれ以上の何かがあるようにも思えず、もはやそのキャラクターに自分を重ね合わせてその奥の感情を読み取る気が萎え、全体的に薄っぺらく感じて興醒めしてしまう。 それに比べてこの作品は表情の一つ一つで読者をがっちり掴んで離さない。 彼女の目がすごい。 目は口ほどに物を言うとはいうが、この目が感情を語り、心動かされ、その心情の奥を掘り下げたくなってしまう。 主人公の前にはまだまだ可能性が満ち溢れていて、経験したことがないこともたくさんある。 そんなとき突然鼻先にぶら下げられた魅力的な彼女、突き動かされた性欲に思考がぶん回され本来の目的を見失ってしまうのも分かる。 彼女の好意と興味は確かにあったであろうが、それが相手の人生を狂わせてしまうものであれば、と決断するほどには本気だったのかもしれない。 いや、だからこそ逆に遊びなのか? どちらにせよ、優しさゆえの決断だったと分かるし、もっとしっかりしていれば違う形もあったんじゃないかという後悔も出てきそうだ。 その決断に報いるには前を向いて頑張ることだ。 スマホやLINEらしきものが出てくるので現代と分かるが、それ以外は特に時代性を感じさせず、いつの時代のどこの地方に当てはめてもある程度読めそう、というのが僕は大好きだ。 路面電車とか、髪のなびき方、乱れ方などディテールの良さと画面の白さの抜き加減のバランスもたまらない。 あー、絵とか全然描かないけど、知り合いがやっているヌードデッサンにたまらなく行きたくなってしまった。
吉川きっちょむ(芸人)
吉川きっちょむ(芸人)
1年以上前
2年前の年末にスペリオールに掲載された加納梨衣先生の読切『裸の肖像』がとてもよかったので、今回、新年号で予告が載ってからとても楽しみにしていた。 まだ前編しか読んでないけど、もう好きだ。 早く続きを読みたい・・。 かつて後悔した思春期の一幕を夢に見るところから始まる。 あのとき、ああしていれば、いやでも結局できなかったんだ、あのときは。でも、なんでできなかったんだ・・。 もっと素直になっていたら・・。 なんて誰でも考えることはあるはず。 主人公である彼女もそうで、32歳になったいまでもその気持を抱え、仕事場で他人の噂話で盛り上がる同僚にも嫌気が差し、あることを機にうまくコミュニケーションを取れなくなってしまった夫とすれ違いの生活を続ける。 夫は、毎晩夜釣りに出かけ、釣った魚は夜の海に返す。 これはどういった比喩表現だろう。 釣った魚にエサはやらない、ということなのか、責任を持ちたくないのか、どこか現在の生活への諦念や結婚生活に囚われている自分と釣られて自由を失った魚を重ねているのか。そんな仕草を感じた。 決して他人と比べて大きな不幸でこそないが、そこでは確実に何かが軋んで悲鳴をあげている。 目に見える大きな不幸だけが人生を絞め上げるわけじゃない。 小さいことの積み重ねからくる息苦しさもあるのが人生だ。 夫に性を拒まれ、疎まれ、距離を取られてしまった主人公は、身体を持て余し夢を見たのだ。 受け止めきれなかったあの頃の甘い夢を。 胸がときめいたあの娘とのプールでのその続きを。 しかしもう15年も前のこと、どうすることだってできないが・・。 ここからどうやって、ままならない人たちがスイングしていくのか後編が楽しみだ。 ここで忘れちゃいけないのがタイトルで、溺れる人魚「たち」なんだよなー。ということはあの娘も・・。 そして溺れるいうのはプールか、肉欲か・・。 くぅ~! しかし、『裸の肖像』は小学館のwebで読めるようになったりしないもんかな・・。
2年前の年末にスペリオールに掲載された加納梨衣先生の読切『裸の肖像』がとてもよかったので、今回...
吉川きっちょむ(芸人)
吉川きっちょむ(芸人)
1年以上前
前編・後編を通して読み直してみると印象的なシーンがいくつもあった。 タイトルに「人魚たち」とあるように、「水」と心が密接に関係しているように描かれている。 彼女たちの近くにはいつだって水がある。 中でも象徴的に多く出てくるのは「波紋」だ。 誰とも波風立てたくないと主人公が思うが心にさざなみがたっているときに、すっと場面の背景に合わせて挿入されている。 表立って言えなかった本音を強く意識した時に出ているであろう波紋は、彼女が覚悟して動き出した後編には少ないのも納得がいく。 言いたいことが言えずに逆に人を傷つけてばかりいる、そんな自分を変えたいと願う彼女を、時を超えて本間さんが受け止める。 そこに、本間さんが巨乳である意味があるように思う。 豊満な胸は母性の象徴とされている。 本間さんには主人公を昔から受け止める準備ができていた。 そう、あのときも。 15年前と現在で、お互いに少しずつ変わってはいるが関係性は本質的には変わってないのも素敵だ。 互いに髪の長さはロング→ショート、ショート→ロングと変わり、キスを言い出す側も変わった。 出す乳房も。 しかし、常にリードしているのは本間さんという構図にグッと来る。 波風立てたくないと思っている点は細かく散りばめられていて、噂話に関してもそうだが、最初のシーンでそれとなく体温を測る描写もその1つだ。 そして、本間さんとの会話で子どもがいることを聞き(…あぁ、子供……いるんだ………)と心のなかで思っているシーン。 好きだった本間さんが家庭を持ち子供がいることにも少しショックを受けつつ、自分と照らし合わせている。 邪推かもしれないけど、体温を測っていたのも排卵日をチェックしていたのではないか。 体温計を見ていたのを隠しながら「…ね 将ちゃん、私今日さ…」と言いかけている。 本当は、夫との子供がほしいけど言い出せない。 セリフに直接的に描かず、言外で示す描写がめちゃくちゃ好きだ。 それが最後の1コマに繋がっていて感動した。 さらっと読んじゃったら気づけなかったかもしれない。 (実は一度読んだ時、その真意に気づけなかった) 本間さんと水槽がある喫茶店にいるとき、魚と同じような顔をたびたびしているのがかわいい。
前編・後編を通して読み直してみると印象的なシーンがいくつもあった。

タイトルに「人魚たち...