ベイビーステップ

新しい形のヒーロー

ベイビーステップ 勝木光
名無し
よく、犬に追いかけられます。犬は僕をみると何故か興奮し、どこまでも追いかけてくるのです(マルチーズに追われたこともある)。集団でいても僕を狙い撃ちするので、おそらく弱いものが直感的にわかるのでしょう。しかし、犬はどんな基準で僕を“弱い”と判断しているのでしょうか。たしかに一対一なら全く歯が立ちませんが、助けを呼んだり、道具をつかえば互角になれないこともない。要は創意工夫が大事なのです。  『ベイビーステップ』の主人公・丸尾栄一郎は、自分と相手の特性を把握し、着実な一歩を重ねることで勝つという、新しい形のヒーローです。  丸尾栄一郎は、小学校から成績はオールA。周囲の人間からはエーちゃんと呼ばれています。クソ真面目で完璧主義で学業優秀ですが、それは性分であって、まだ将来の目標を見つけられていませんでした。そんな、こなすだけの日々を変えたのがテニス(+ヒロイン・鷹崎ナツ。すげー可愛い)との出会い。テニスの面白さに夢中になった栄一郎は、数々のライバルを打ち破り、やがてプロの道を選ぼうと考えていきます……。スポーツ漫画の王道とも言える展開ですが、ほかのスポーツ漫画にはない特徴があります。  一つはとにかく理詰めで進められる漫画だということ。スポーツ漫画ですから、努力を重ねたりもしますが、その努力は常に理屈を必要とします。なんのためかもわからない、ムダな山ごもりはしません。  もう一つは、栄一郎の武器が、恵まれた身体でも特化した技術でもないことです。遅くにテニスを始めた栄一郎は、技術も体力もライバルたちに比べて劣っています。「派手な武器はひとつもないが 穴という穴もない」そんな特色のない地味な栄一郎と、華やかなライバルのギャップを埋めるのは、観察し、考え、挑戦する、という力です。  ゲームの結果を常にノートに書き込み、どのような流れになっているか、相手が好む傾向はなにかを確認します。そして、勝つために自分に足りないものは何か、それを覆すために挑戦すべきことは何かを考えるのです。今の段階で勝機が見つからないなら、状況を変えるための挑戦をする。的確な観察、考察、挑戦の繰り返しが、効率よくエーちゃんを成長させていくのです。  こんな地味にスゴイ主人公のエーちゃんと、スポーツ漫画の主人公タイプの井手義明との対決(15~16巻)は非常に盛り上がります。井手は、エーちゃんとの対戦に遅刻しますが、その理由も交通事故にあった少年を助けたものという。その少年と勝利の約束もしているという、スポーツ漫画の黄金パターンです。勢いのある井手に対して、自分のペースを守ろうとするエーちゃんですが、徐々に試合場全体が井手応援の空気になっていきます。そんな逆境のなか、エーちゃんは空気に呑まれないメンタルの作り方を考えはじめるのですが…。スポーツにおけるメンタルについての非常に重視しているのも、この漫画の特長だと思います。  自分の目標を見据え、自分と相手の能力を確かめ、今できる最善策を選び続ける――。大事なのは“意志”であるということが描かれる『ベイビーステップ』は、普段、何に悩んでいるかもわからないで鬱屈としている時に、きっと新しい道を指し示してくれるはずです。
新巨人の星

『巨人の星』のエピローグ

新巨人の星 梶原一騎 川崎のぼる
名無し
大リーグボール養成ギブスやちゃぶ台返し、車を運転する小学生など、自分が生まれる随分前の作品だというのに『巨人の星』について知っている自分に驚きます。 昨年には野球からクリケットに換骨奪胎した『スーラジ ザ・ライジングスター』の放送がインドで開始され、『巨人の星』という作品の遺伝子は世界にも広がり続けています。この『巨人の星』ももちろん面白いのですが、それよりも私が好きなのは、星飛雄馬のその後を描いた『新巨人の星』です。  『巨人の星』で描かれていたのは、星一徹の執念によって生まれた星飛雄馬という野球マシーンの誕生と崩壊です。自分の果たせなかった夢を、息子・飛雄馬に叶えさせようとする一徹は、はっきり言って異常です。こどもらしい遊びもできず、ただ野球のために生きる飛雄馬のクライマックスが、父・一徹との対決です。そこで自分の野球人生を犠牲に、ようやく父と野球の呪縛から解き放たれ、関係者の前から姿を消す飛雄馬…というのが『巨人の星』のエピローグ。  星飛雄馬が消えた数年後から『新巨人の星』ははじまります。結論からいえば、飛雄馬は野球以外のものを見つけることができませんでした。盟友・伴宙太と花形満は、星飛雄馬のいなくなったプロ野球に興味を失い、それぞれ親の会社を継ぎ普通の生活に戻りました。あの星一徹でさえも、花形満と娘・明子の結婚を見守った後は、完全な隠居として野球からは離れています。しかし、左腕が破壊された飛雄馬だけが、まだ“巨人の星”になるという妄執から離れられずにいるのです。いまだ、燃える目の星飛雄馬を目撃した星一徹はひとりごちます。「時代は移り いや終わり わしは老い果てた… もはや戦ってやれんついていけぬ!な なぜやつは…!?」。造物主である一徹の手を離れ、暴走をはじめた飛雄馬の行動は、普通の生活に戻ったはずの伴宙太、花形満、そして星一徹の心にも火を付けてしまいます。  一度失ったはずの夢を追い始めた漢たちの、頼もしくもどこか物悲しい姿を是非読んで欲しいですね。
男おいどん

永遠のモラトリアム

男おいどん 松本零士
名無し
私が今住んでいるアパートは、一説には東京オリンピックと同じ時期に建てられたともいわれる年代物です。当然、フローリングではなく畳敷き。床にビー玉を置くと、勝手に転がっていきます。  口さがない友人たちからは「男おいどんハウス」とか「どくだみ荘」など呼ばれ、端的に「女にもてなさそう部屋」とまで言われています。でも、「おいどんと一緒ならそれもいいかな」なんて思ってしまうのです。それに我が家は6畳なので、おいどんの四畳半よりは1.5倍マシなはずなのです。  『男おいどん』は、『宇宙海賊キャプテンハーロック』や『ガンフロンティア』といったフロンティア精神に溢れた男らしい男を書かせたら日本一の松本零士が、それらに先駆けて書いた、それはそれは、男らしさが空回りした青年の物語です。類似作品に『元祖大四畳半大物語』『聖凡人伝』『ワダチ』などがあります。  九州から上京した大山昇太は、大学を目指して、働きながら夜間の学校に通っています。トラブルを起こして勤め先をクビになり、当然ながら勉強をしている余裕はありません。けれど周囲にはたくさんの女性が登場し、なぜか昇太に優しくしますが、なにひとつ進展はありません。「おいどんには春がきたど!!」なんて言いますが、目当ての男性の気を引くために利用されただけだったり、元彼にかっさらわれていったり、結局はいつもの四畳半で一人涙に暮れながら寝ることになるのです。  おいどんのセリフはいちいちたまりません。松本零士作品は名台詞の宝庫ですが、『男おいどん』も、どのページをみても名台詞だらけです。 「でもねー あいつらはみんな将来への軌道にのってちゃんとやっとるんよねー」「なんだくそっ おいどんは先が長いんだど くそ おのれくそ」「てめーら ろくな死に方はせんのど というてみてもすききらいは女のほうのみかたしだい こりゃだれをもうらめんねー」  何者でもないというコンプレックスと、結局何者にもなれないんだという諦観が合わさったおいどんは、“前向きだけど後ろ向き”という不思議なキャラクター性をもっています。未来も女性も、決して手に入らないとわかりながらも、求め続けるその姿に、同じような家に住んでいる私は感情移入してしまうのです。  永遠のモラトリアムを過ごしたおいどんは、最後にどうなってしまったのか、それはみなさんに読んでいただければと思います。