望郷太郎

"なにもない"ところから…

望郷太郎 山田芳裕
影絵が趣味
影絵が趣味

まず『望郷太郎』というタイトルからは望月峯太郎の名前を思い起こさせずにはいられない。いまでは望月ミネタロウとして活動している、あの望月峯太郎である。彼はやはり『ドラゴンヘッド』を境に名前をあらためたのだと思う。次の連載作の『万祝』は望月峯太郎名義ではあるが、内実は峯太郎→ミネタロウへの過渡期、もしくはミネタロウ名義の作品と位置づけられると思われる。というのは『ドラゴンヘッド』を境にして、動的で黒いコマ作りが、静的で白いコマ作りに変貌しているからである。これはマンガ家としての作家性を追求するための"閉じた"姿勢であると思う。逆にいえば、それ以前の望月峯太郎は"開いて"いた。開いて世間の荒波に揉まれる方向から、閉じて自らの作家性を研磨する方向へシフトしたともいえるかもしれない。 ところで『ドラゴンヘッド』をはじめ、あるいは岡崎京子の『リバーズ・エッジ』や『ヘルタースケルター』、新井英樹の『ザ・ワールド・イズ・マイン』など、90年代~2000年代初頭のある種のマンガには、いわゆる世紀末感というか、何かが崩壊してゆく感覚、良くも悪くもそういうような時代的なスペクタクルがあった。あの時代からもうすぐ20年が経ち、来年には、なんとも荒唐無稽なことに、大友克洋の霊感まったくその通りに東京オリンピックが開催されることとなったが、辺りを見渡せば、大友が描いた雑多でゴタゴタしたサイバーパンク感あふれる近未来はどこにもなく、奇妙なまでに画一的でのっぺりとした嘘明るい光景は、本来のミニマリズムが追求する引き算的な美学における完成度の高さとはまるで無縁の心身共の貧しさからくる単なる経費削減であるし、おもてなしの心を履き違えてボランティアでオリンピックを運営しようなどと寝言をいう。ようするに世界の崩壊などは起こらずに、ただずるずると地盤だけが沈下してゆき、見てくれだけはどうにかそれっぽく体裁をととのえながらも、ただ確実に豊かさは随所から消え去っている。いっそのこと世紀末に世界を崩壊させて仕切り直したほうが良かったのではと思うほど、当時からすでに黄昏といわれていたのが、いつまでも沈みきらない夏の夕日のようにいまだ延命を続けている。あの時代には崩壊させるに足る世界がまだあった。しかし、いまではそんな舞台さえ、なにもなくなってしまった。無駄を省いていたら、無駄を省いていたら、無駄を省いていたら、ほんとうになにもなくなってしまったのである。いまや望月ミネタロウのように独自の作家性を発揮する高踏派のマンガ家も安心とはいえないのではないだろうか、何しろ地盤の沈下がいちじるしい。マンガも所詮はいち産業なので、地盤がどこまでも沈下してゆけば、独自の作家性もいつしか個人の趣味と見分けがつかなくなろう。 いま、山田芳裕の『望郷太郎』は、この"なにもない"ところから新たな一歩を踏み出そうとしている稀有なマンガであると思う。キャリアを重ねて閉じてゆく作家が多いなかであえて開いてみせた山田芳裕の冒険者的な勇気に敬礼を捧げたい。マンガ表現の限界を探求する閉じた作家が重要ないっぽうで、また彼らは開いた作家によってもその地盤を支えられているのである。

いちえふ 福島第一原子力発電所労働記

いちえふ 福島第一原子力発電所労働記

いちえふ 福島第一原子力発電所労働記 竜田一人
兎来栄寿
兎来栄寿

「いちえふ」、と聞いて何のことか判るでしょうか? 世間では「フクイチ」と呼ばれることの多い東京電力福島第一原子力発電所。その呼称は、現場の人間や地元住民の間では「1F」であるといいます。今作は実際に1Fで働いて来た筆者による実録ルポマンガです。 これまでに多くの人が様々な形で福島第一原発について報じてきました。又、3.11や原発をテーマにしたマンガも出版されて来ました。しかし、その中でも現地で原発作業員として働いた人間が、そのありのままの様子をマンガという形で表した物はありませんでした。今作はモーニングで連載開始されるやいなや、国内外数多くのメディアでも取り上げられ大反響。今回はその単行本の感想を書いてみたいと思います。     現地で働くことを志望してもなかなか仕事を回して貰えず、現地で観光をして時間を潰したり原発に何の関係もない仕事を回されたりする6次下請けという歪な構造。 「ご安全に!」という、耳慣れない挨拶が交わされる現場。 身に付ける装備一つ一つに厳密な線量検査を行う一方で、汚染検査済証の半券はコピー用紙を定規で裁断。 東北とはいえ夏は暑く、放射能よりもダイレクトに命に関わる熱中症。 掻けない鼻の痒みの辛さ。 色んな年代が集まるなか、ギャンブルと下ネタが会話の大部分を占める男所帯。 何故か可愛い顔文字が書かれているJヴィレッジの入退記録。 危険区域でもセミはうるさく、道路には牛が飛び出してくることもあり、奇形動物など見た試しもない。 発電所や休憩所の構造、装備品の形状などなど……この作品を読むことで、今まであまり語られて来なかった現場の実情を沢山知ることができます。 > 「外の人に『1Fで働いている』なんて言うと超危険な現場でものすごい被曝しながら戦ってるヒーローみたいに言われたりシますけどね」 > 「なんの実際大半は俺達みたいに安くて地味な仕事タイね」 という会話も。裏方で機械や車のメンテナンスを行ったり、トイレの掃除をしたりする裏方の仕事も克明に描かれます。 > 「そやけどそんな仕事もやる奴がおらんと1Fは回らんのや。どんなつまらん仕事やろうとここで働いとる事には胸を張っていいと思うで」 と語る年配の明石さんがとても凛々しく見えます。現地で働く、あるいは働いていた方々には、感謝と敬意を表します。 メディアを経由して想像される「フクイチ」ではなく、一人一人の人間がそれぞれの想いを抱えて当たり前のように生きて働いている「1F」の姿が解る今作。 やはりマンガは、そのヴィジュアル要素を含む媒体としての特性ゆえに、字だけで書かれた本よりも何倍も解り易く物事を伝える力を有していると思いました。 貴重なドキュメンタリーとして、老若男女問わず一人でも多くの人に触れてみて頂きたいと強く願います。