やれたかも委員会

やれない後悔は甘くて苦い

やれたかも委員会 吉田貴司
野愛
野愛

やらない後悔よりやる後悔みたいな言葉がありますが、やらない後悔も悪くないかもと思いました。 やれたかもしれないという思い出を持つ人物の独白を聞き、やれたかも委員会が「やれた」か「やれたとは言えない」かを審査するお話。 ゲスいお話がはじまるのかと思いきや、独白は甘くてほろ苦くて、まるで初恋の記憶のよう。 絶対やれたらたぶん忘れちゃう。 絶対やれないならたぶん忘れたい。 でも「やれたかも」にはどことなく甘い響きがあって忘れられない。 遠足の前の日にわくわくしながらお菓子を買いに行く瞬間って、遠足当日よりも楽しい。 やれるかもしれないとドキドキしながら、こっそり手を繋いだりカラオケでキスしたり飲み会抜け出したりするのも、遠足の前の日と同じだ。 いちばん楽しいし、いちばんエロい。 「やれたかも」それはすなわちお菓子の詰まったリュック。 遠足に持って行ったら友達と分け合って一瞬でなくなっちゃうけど、家にあってたまにひと口かじるだけならなかなか無くならない。ある意味長く楽しめてしまう。ああなんて罪深い。 恋は甘くて苦いって 忘れられない香りばかりって某国民的アイドルグループが言ってたけど 「やれたかも」も一緒なんだな。某国民的アイドルグループだったら間違いなくやれるんだろうな。 やるよりエロくてエモい、やれたかも。 読んだら似たような思い出が蘇って「ああ〜」ってなります。でも、悪くない「ああ〜」だと思います。たぶん。

母親に捨てられて残された子どもの話

顔も知らない母親に捨てられたことを、中学生で知った子供

母親に捨てられて残された子どもの話 菊屋きく子
名無し

いかなる理由があったとしても、自立できない子供に「自分はいらない子だ」「死んだほうがまし」と思わせることは罪深い。 自分に無関心な父親と、自分に異様に厳しい祖母と3人ぐらしの主人公、ゆきはなぜ自分に母親がいないか知らない。しかしある時に実は自分は「捨てられた」という事実を知ることで、今まで押し殺してきたものが一気に爆発してしまう。 それをきっかけに、ゆきが今まで父親と祖母から受けた仕打ちをちゃんと怨み、怒り、この人達から離れようと強く思えたことは読み手としては非常に救われた。強いものに押さえつけられながらそれがおかしいことだと気づかない子供を見るのはつらいので。。 そして更に興味深いのは、父親目線と祖母目線の話も描かれていること。一方向だけから語られる話は、受け取り方に偏りが出てしまうこともあるので。とくに父親がどうして娘に無関心に仕事に没頭していたのか知ると、彼は決して娘が憎かったわけではないんだと知ることができた。ただやり方が極端だっただけ(しかし責任は重い)。 老人ホームに入居してから祖母には会ってないということだけど、どうやって祖母目線の話を描けたかというのが気になった。父親づてに聞いたか、想像かはわかりません。いずれにしても、それぞれの事情を考えると他人事ではない身近にわりと起こっていそうな話。 この話でよかったのは、主人公のゆきが自分で考えて行動できる強さと賢さを持っていたこと。実際はもっと大人になるまで自分が置かれている状況がおかしいと気づけない人のほうが多いのではないかと思います。 ただいちばん恨むべき母親が、顔も知らなければ連絡先も今生きてるかどうかも知らないという状況はしんどいなと。

BOMBER GIRL CRUSH!  ボンバーガール・クラッシュ!

プロレス好きにはわかりやすいモーション

BOMBER GIRL CRUSH! ボンバーガール・クラッシュ! にわのまこと
さいろく
さいろく

サイバーパンク+賞金稼ぎ、という感じの世界観でヒロインの羅生門エミーがトンファー片手に(両手か)賞金稼ぎをしていく。 にわのまことセンセーと言えばジャンプ黄金期終了間際?にやってたプロレス漫画「THE MOMOTAROH」や「リベロの武田」だが、サッカー漫画でもモンゴリアンチョップを筆頭にプロレスネタがバリバリ出てくる作風。 ボンバーガールシリーズも同様で、女子プロレスラーっぽいヒロインたちがセクシーに技を決めていくのだが最終的にはロボだったりトンファーの仕込み銃だったり何でもありな感じの内容。 何も考えずに読めて割と好きだけどもう少しシリアスにギャグなしで描いてたら結構違う方向性もあったのではーと思える。でも合わせて3回も続いてるんだから多分相当描きたかった事なのでしょう。 すごいどうでもいいけどリベロの武田だったかの作者コメントでプロテイン飲んだ後にタンパク質を出しちゃった、というのが小学生の頃何のことかわからず親に解説を求めた記憶がある(親がなんと言ってたかは憶えてないけど) にわのまことセンセーが元気にタンパク質を摂取されてることを願う。

私の保健室へおいで…

人が持つ、しなやかな強さ

私の保健室へおいで… 清原なつの
pennzou
pennzou

『私の保健室へおいで…』は2002年にハヤカワ文庫JAレーベルにて発行された作品集だ。収録作品は81年〜90年作までと年代で見れば幅広いが、版元の紹介文に「スタイリッシュなラヴロマン」と謳われている通り、全作に恋愛要素を含んだ統一感のあるラインナップである。 こう書くと、恋愛最中の高揚感であるとかシャープな駆け引きみたいなのを想像されるかもしれないが、清原先生の作品ではもっと引いた視点から恋愛が描かれる。それが清原なつのシグネイチャーとしか言いようのない個性をマンガに宿している。 清原先生は、思い込みや呪縛などによって凝り固まってしまった心がフッと解きほぐされる瞬間を描く。 そういった人が持つしなやかな強さに触れた時、自分の心も軽やかになった気分になる。 この特色は、恋愛要素を主軸とした本書において特に傾向が強い。清原作品における恋愛は誰かと誰かの交流であり、他者により自己が変化することがあるためだ。それが本書を魅力的なものにしている。「新説 赤い糸の伝説」とか本当に最高…… 本書から清原先生に入門した場合、次に読むのは何がよいだろうか。 発表当時のコミックスは絶版であるが、近年に月刊フラワーズでポツポツと発表されている作品を除けば、ほぼ全作品が文庫などで網羅されている。(電子書籍化も文庫については殆ど為されている状況) そのゆえ間口がとても広いので、コレという名前を挙げるのは難しい。各々の関心領域と描かれている題材がマッチしている作品が適していると考える。 本書から遠くないニュアンスのものを読みたいのなら『春の微熱』、もしSFが好きであるなら『アレックス・タイムトラベル』、歴史物であれば『飛鳥昔語り』、性に纏わる領域に関心があるなら『花図鑑』あたりだろうか。これらをまとめた清原先生の総体と向き合うのなら自選傑作集『桜の森の満開の下』。清原先生が生み出した発明的キャラクター・花岡ちゃんが活躍する『花岡ちゃんの夏休み』もいい。 ちなみに、マイベスト清原なつの作品は『春の微熱』収録「群青の日々」です。

新日学園 内藤哲也物語

一歩踏み出す勇気、ってやつです

新日学園 内藤哲也物語 新日本プロレスリング株式会社 広く。
野愛
野愛

まず、わたしはプロレスファンである。 そして、内藤哲也アンチである。 推されてきた割に期待されてきた割になかなか花開かなくて、ロスインゴで急に人気出たけどロスインゴ別に内藤のオリジナルユニットじゃないんだし、言うほどスペイン語喋れないし、会社に推されてきた割にオカダに対して会社に推されてる人はいいねみたいなこと言うし って思ってきたのでこの作品を読むべきかどうか迷っていた。大アンチなので。 ファンからはこういう視点で見えているんだなあと納得しました。 推されていたのになかなか花開かなかった部分も含めて、泥臭さ不器用さを感じて応援している人たちがいるんですね。 そう考えると、真田とかBUSHIとかロスインゴのメンバー、内藤の歴史を語る上で欠かせないタイチもそういう魅力がある人ばかりだな…それは認めざるを得ないんだけど…内藤だってそうだよな… 実際の内藤うんぬんはさておいて、漫画の内藤は夢を追う若者として眩しく応援したくなります。 実際のオカダはもうちょっと可愛らしいところがあります。 普段新日本はそこまで見てなくて、インディー団体ばかり見ている者が言うのはアレですが プロレスは幅広くて面白い世界なんです。こういう学園ドラマを重ね合わせて見るもよし、イケメン選手の顔を見るもよし、レスリング技術の細かな部分に感動するもよし…どこからでもいいのでプロレス好きになってくれる人が増えたら嬉しいのです。

黒真珠そだち【単行本版】

すべての狂えなかったひとたちへ

黒真珠そだち【単行本版】 意志強ナツ子
野愛
野愛

こういうのから解放されるのっていつなんだろうか。 はやく狂ってしまいたくて、新しい世界を開いてしまいたくて、アブノーマルに傾倒していく気持ちは正直わかる。溺れることで自分の精度が高まっていくような気がするのだ。 でも振り切れてるひとなんて滅多にいない。乳首にピアスを開けて女装AVに出てそらに見られながらワカマツとセックスをしたところでユウキは振り切れていない。側から見たら狂っている部類のひとかもしれないけど、ユウキは結局そっち側に行けない人間だ。おそらくそらも。 だからこそユウキはそらに見たいものを押しつけ、そらはワカマツに見たいものを押しつけ、都合よく崇拝するみたいに恋をしたんだろう。 あの人のようになりたい、あの人に受け入れられたい。それが実際のあの人とは違うものだったとしても。 自分の見たいものだけを見て、恋い焦がれることは間違っているのだろうか? ずっと、狂って振り切れて突き抜けてしまえば楽になれるんじゃないかって思っていた。 私は、おそらく多くのひとは、ユウキのところにすら届かない。狂えないことに気がついて、溺れるのを諦めて、うまく泳ぐしかない。 狂おしい日々に若気の至りとか青春とか名前をつけて忘れる日を待っている。 でも、忘れる日なんてくるんだろうか? そんな日々のことを「僕は今からでも輝けるのだろうか?」なんて眩しく思っているうちはきっと忘れることなんてできないんだろうな。 狂えないまま大人にもなりきれないひとに読んでほしい。

哭きの竜

あンた、背中が煤けてるぜ

哭きの竜 能條純一
さいろく
さいろく

麻雀を打つ人はきっと「哭きの竜」という名前ぐらいは聞いたことあるでしょう。 麻雀打ちにとって神のような無敵の麻雀打ちの代名詞のようなものです。 でも意外と読んだことある人は多くないのかも? 著者の能條純一先生は今現在は「昭和天皇物語」を描いておられますが、「月下の棋士」も超有名な作品です。絵柄や間の使い方が独特で、読者を魅了する作品を残しています。 本作の主人公は「哭きの竜」と呼ばれる雀ゴロ。 竜自身はめちゃくちゃ口数が少なく、たまに喋ったと思うとヤクザの親分達相手にも怯まずズバッとコケにしちゃうという恐れ知らずにも程がある性分。 ただ、ヤクザの親分になる器が私にはないのだと思うのですが、親分さん達には「神のヒキ」と言わんばかりの竜の持つ「強運」が魅力的に映るようで、テッペンを目指す親分がたは、こぞって竜の強運を欲しがります。 しかし彼らに対して竜は 「あンた、背中が煤けてるぜ」と言います。 背中が煤けてるってどういう意味?という議論が割とあったようなのだけど私の解釈だと「死相が出てる」ってことかと思ってます。 死相が出ている、今やろうとしてるソレはやめときなよ、と言ってあげているのではないかと。 事実、それを言われた人たちはその後大体死んじゃうんですよね。 死神ってわけじゃないんだけど。 触るもの皆傷つける的な、ギザギザハートの子守唄のような存在。 竜は最初こそヤクザの代打ちで稼いでいたものの、気づけば各方面の組長達からのラブコールで引っ張りだこ。 で、仕方ないからついてって麻雀打てというから打ってあげて、勝ったら相手が激おこで死ぬ。 そりゃー竜も嫌になりますわ。 「ふっ」って嘲笑に近い感じでよく笑うんですが、親分からすりゃ「いい度胸だ」と思われて逆に気に入られちゃうっていう悪循環。 竜本人は根無し草をヨシとしているとこもあるんですが、最初の"甲斐の正三"親分から充てがわれた女をしっかり家で待たせてたりと、人情っぽいものも無くはない。ミステリアスというと安っぽいですが、不思議な魅力の持ち主。 漫画としてはどうなのかというと、抽象的な表現が多く、ヤクザ屋さん達の意地や任侠の在り方がわからない私には少し難しかったですが、逆に麻雀を打つシーンはあるものの麻雀のルールを知らなくても全く問題ない感じです。 詰まるところ、竜を囲う周囲の成り上がりたいヤクザ達の物語、と言っても過言ではない。 というかほとんど甲斐組の話ですが、京都の大親分なんかですら竜に魅了されちゃってるわけで… 竜は「ファブル」の"山岡"のような恐怖を知らないタイプの男かもしれません。 読後感はとても良く、新装版では全5巻っぽいので(1冊380Pとかあるけど)一気に読むのには最適ではないかと思われます。 麻雀打ちなら嗜みとしてマスト、そうでない人でも話のネタにはもってこいの作品でしょう。