アフタヌーンの感想・レビュー500件<<1617181920>>正統派のマンガ家とはパロディ作家だ!!天国大魔境 石黒正数影絵が趣味手塚治虫にしても、藤子不二雄にしても、元をただせばパロディ作家なのである。そもそもスターシステム(同一の作家が同じ絵柄のキャラクターをあたかも俳優のように扱い、異なる作品中に様々な役柄で登場させるような表現スタイル)からして自作間におけるパロディであるし、一般に手塚が体系を整えたといわれる漫画的記号の数々にしても発明者本人に特許権のようなものは何ら存在しておらず、作家間を隔てる異空間を超えてあたりまえのことのように浸透している。あまりに広く、あまりに希薄に、浸透しているので、それがパロディだとも気づかぬほどだが、1970年代には吾妻ひでおが『不条理日記』等の作品で漫画的記号の使用を脱臼させてみせ、それがパロディ的要素を備えていることを如実に示してみせた。吾妻はその後、アルコール依存症に苦しみ、一時はマンガ界から姿を消すが、大ヒット復帰作となった『失踪日記』が『不条理日記』の頃からは考えられない"正統派"のマンガであったことは記憶に懐かしい。ちなみに手塚は自作内に吾妻のマンガキャラクターをパロディとして登場させるなどしていたが、手塚キャラをパロディギャグにして世に出てきた田中圭一が最近では『ペンと箸』や『うつヌケ』等の"正統派"のマンガで第二次ブームをむかえている。 そしてほかでもない石黒正数も、手塚治虫や藤子不二雄、それから吾妻ひでおや田中圭一らに連なる正統派のマンガ家であると思うのだ。正統派のマンガ家とは、マンガというものに広く希薄にも共有されて、そして受け継がれているものの使用に自覚的な作家にほかならない。それは当たり前にそこにあるものではなくあまりに貴重な共有財産である。パロディとは、それを使わせていただきます、という一種の照れのようなものである。だからこそ異端であるかのようなパロディ作家こそが正統足りえるのだ。 いっぽうで共有財産の使用を拒んだ真の異端としてのマンガ家が数人いる。彼らはマンガの革命者であり、マンガの可能性の限界を押し広めた者たちであった。大友克洋、高野文子らがそれにあたるだろうか。そして石黒正数のパロディは多岐に渡るが、作品間を超えて貫かれており、今作『天国大魔境』にも見られるのは大友や高野のパロディである。背景の白い建物の壁にひび割れや汚れが描かれるのは大友そのものであるし、ジーンズの描き方は高野から来ているものにちがいないだろう。さらに一巻目をさいごまで読んで驚いたのは、おねえちゃん、ストップひばりくんではないか! 江口寿史とは正統→異端に転じたひとであろう。異端である革命者はやはり偉大だが、わたしは正統派も同様に偉大であると思う。パロディとは一種の愛のようなものではないか。なぜって石黒正数のマンガのそこここから偉大なマンガの数々への愛が感じられるのだ。粗削りな魅力ひぐちアサ初期新装版 傑作選 ひぐちアサhysysk絵もストーリーも扱っているテーマに追いついてるとは思えないけど、何とか表現しよういう勢いが感じられるし、小さくまとまってしまわないなりの魅力がある。 1巻の最後の方と2巻は丸々『ヤサシイワタシ』なので、既に持ってる人は買わないか、リスペクトを込めて買うか。斬新かもしれない宝石の国 市川春子やむちゃ石に戦わせるなんて新しいしかっこいいな!硬度とか光の屈折率って戦闘力に換算しやすいし、素敵やん!!! って思ったんだけど、 宝石・鉱物好きにとっては、 「希少な石が戦闘で傷つく、もしくは折れる」という事実に目をつむることができませんでした。なので、途中で読むのをやめましたが、新しい戦士ものって感じがして、女の子にも受けいれられそうな奇麗な絵が良いですよ^^目の錯覚という物語から遠く離れておおきく振りかぶって ひぐちアサ影絵が趣味単行本デビュー作『家族のそれから』いらい、泣虫弱虫な人物を主人公に据えて、そんな人物像をなぞるかのように、奇妙な頼りなさで泳ぐ線画と、それに似合ってどこか芯の一本抜けてしまったように狂いがちのデッサン、こんな造形ではたして人間は直立することが出来るのだろうか、それこそマウンドでおおきく振りかぶり一本足になった途端にでも崩れ落ちてしまいそうな。 ひぐちアサの漫画はすべてこうした絵までを巻き込んだマイナス的な要素からスタートしているように思われる。と、そんなことを改まって書くまでもなく、漫画をはじめとした大体の物語なるものは何か欠如的なものがあるという認識からはじまり、その欠如的な何かを乗り越えるなり克服するなり、そんなような方向性に向かうこと必定である。では三橋くんはどうなのかというと、まず野球的な要素にだけ絞っていえば、初っ端からけっこう凄い能力をもった投手であることが明かされる。九分割のコントロールに、何よりもクセ球の真っ直ぐ。そして、このクセ球の真っ直ぐの原理も早々に説明される。いわく、打者というのは現実にボールを見ているのではなく、ある程度の経験と予測でもってボールの来るであろう位置をはかり、それでバットを振っていると。つまり別の言葉でいえば、打者はストレートという名のあらかじめ刷り込まれた定型の文脈、物語を読んでいるだけで、けっして現実をしかと見ているわけではないと。事実、三橋くんはそんなふうにして中学時代にはダメピー扱いを受けていたのである。中学時代のチームメイトは現実の投手三橋を見ていたのではなく、球の遅いピッチャーという物語を読んでいたにすぎなかったのである。 さて、この物語を読むばかりに現実を見誤ってしまう目の錯覚、これは私たち漫画読者にも当てはまりはしないか。読むという行為は時と場合によっては自分にとって都合のよい解釈にしかならないし、まさしく打者が三橋くんの真っ直ぐを打ち上げてしまうように紋切型の煽情的な物語に目くらましをされていることだって大いにあり得ることだと思う。『おおきく振りかぶって』のひぐちアサはそのことに始めから自覚的だったのではないか。この漫画はある欠如を克服する方向に持っていくという定型の物語を、目の錯覚という現実を介して、いきなり短所から長所に逆転させてしまうことからはじまり、長短でも、高低でも、正負でも、そういったいかにもありそうな物語的な対立を、けっして向かい合わせるのではなく、すべてみんなでいっせいに前を向いていこうする、それに対応する否定的な要素がみられないほどの断固たる肯定的な姿勢で乗り越えていく。その肯定的な姿勢とは、ありそうな物語を読むのではなく、しかと現実を直視しようとする試みに他ならない。三橋はあくまでも弱虫泣虫のままそれでもマウンドに立ち続けるし、田島は背が伸びないなりにそれでも工夫をし続けるし、花井は持前の勝負弱さを抱えながらそれでも強気な気持ちで打席に立ち続ける。マイナスがありプラスがあるなんて図式におさまらない、マイナスもプラスもいっしょになっていっせいに前を向こうとしている。『おおきく振りかぶって』がとても感動的なのは、ある種の物語的な感動から自由になったこの肯定の姿勢、この健気さ、この懸命さに尽きると思う。そして選手たちが正も負もないまぜにいっせいに前を向こうとしているとき、ふしぎと、そんなパワーに勢い押されているのか、狂いがちであったデッサンが芯の通ったもののように見えるのである。 本格戦略マンガ以上の物語マージナル・オペレーション キムラダイスケ 芝村裕吏フルカワ最初はゴリゴリのフィクションとして読んでいたけど、巻数が進むごとに 世界を取り巻く頁の問題を考えると、あながち現実味の無い話ではないのかと思った。 子供達の幸せのため子供を戦地へ送り出す主人公の葛藤がよく描かれていると思いました。͡真実の愛ディスコミュニケーション 植芝理一影絵が趣味恋ならもう知っているけれど、ほんとうの愛はいまだ知らないでいる。 愛とは何よりも過酷なものである。その愛の過酷さを描いて、このマンガの右に出るものは未だ存在しないのではないか。 作者は何故タイトルを『ディスコミュニケーション』にしたのか自分でもよく分かっていないらしいが、愛という事と相互不理解という事とは切っても切り離すことのできない二律背反の関係にあるのではないだろうか。 そのために戸川さんと松笛くんはどこまでもどこまでも真実を探しにゆく、その行く道のなんと瑞々しいこと......。魔性の『ピンボール×ラブコメ』漫画FLIP-FLAP とよ田みのるにわか最近では「金剛寺さんは面倒臭い」の単行本化もした、とよ田みのる先生の短編。ピンボール×ラブコメというニッチな題材であるが、非常に面白く、上手にまとめている。 あこがれの山田さんと付き合うために「ピンボールのハイスコア」更新を目指して、ピンボールを始めるところから、その魅力にハマるまでの描かれ方がキャッチー。それまで行ったことのなかったゲーセンという未知の場所で色々な人との縁を繋いでいくのも見どころだ。 私は読み終えたとき、あまりにもピンボールをやりたくなって、高田馬場にあるゲーセン「ミカド」へ走った。山田さんはいなかった。 にしても全一巻でこれほどの物語を仕上げるのは流石だなぁ。。。 崖際のワルツ崖際のワルツ 椎名うみ作品集 椎名うみむ青野くんに触りたいから死にたい、が好きでこちらも読みました。劣等感をもつ人間、他人の心にずけずけと入り込む人間…どの短編の登場人物も魅力的に思えてきます。そして青野くんに〜同様感情の入ったキャラの顔がいい!ニートが異世界じゃなくて紛争地帯で人生やり直す話マージナル・オペレーション キムラダイスケ 芝村裕吏mampuku艦これで一躍ブレイクしたしずまよしのり先生がイラストを手掛けた小説「マージナル・オペレーション」がアフタヌーンで漫画化。小説表紙では雪風そっくりのキャラクターに目を引かれましたがコミックスは一転硬派な感じです。 仕事を辞めてニート同然の暮らしをしていたが、このままではまずいと思い応募した就職の面接で知らないところへ連れていかれ、わけのわからないまま戦いに巻き込まれていく……と書くと一見異世界ラノベみたいなあらすじですが、主人公・アラタが連れていかれたのは現実の紛争地帯!類まれなる戦術眼を開花させ、少年兵らと共に戦場を渡り歩いていきます。ガンパレード・マーチやったことある人はちょっと懐かしくなるかもしれませんw 絵は上手いとは言えませんが濃すぎず薄すぎず読みやすいです。あと、ミリタリーモノっとはいえあまり蘊蓄ウンチクしてないぶん、異世界転生ラノベほどではないですがハイコンテクスト気味です。良い概念概念ドロボウ 田中一行starstarstarstarstar吉川きっちょむ(芸人)「概念」を盗むという概念が僕の中になかったので新鮮で面白い。 人間ー「とある概念」=何か の構図が面白い。 主人公は刑事を目指す女性。 不可解な時間が起きてある探偵事務所に助けを求めに行く。 そこで待っていたのは、ある「概念」を盗めるという探偵。 世の中に蔓延る概念ドロボウを二人で追いかけていく変わったサスペンス漫画だ。 概念を盗まれた人の姿から、何を盗まれてしまったのか推理していくのが面白い。 元々の人格がそうなのか、盗まれた結果なのか、盗まれた結果のある一面でしかないのか。 この探偵が盗めるのは人の「欲」だ。 「欲」を盗まれた人間は何もする気が起きないので廃人のようになってしまう。 人間ー欲=廃人 だが、この結果である「廃人」である部分しか見えないと何を盗まれたのか考えるのが途端に難しくなる。 「やる気」かもしれないし、「記憶」かもしれない。 同じような状態の被害者たちから、共通項を探し出し追い詰めていくのが楽しい。 いろんなパターンを見るのが楽しみだ。 良い目をしてる大上さん、だだ漏れです。 吉田丸悠starstarstarstarstar吉川きっちょむ(芸人)絵が好き。 エロいことに興味津々な女子高生が主人公で、特殊な体質を持つクラスメイトの柳沼くんとの交流を描く。 特殊な体質、それは触れた相手がそのとき考えている本音を思わず口に出してしまうというものだった。 ちょうどいい青春具合で良いですね~。 しっかり下ネタを叫んでしまうんですけど、別にそんなにいやらしくないんですよ。 おそらく悶々として知らないがゆえにだいぶ手前の「ちんこ見せて」くらいの爽やかなもので済むんでしょうね。 それを口にしてしまうのは、女子高生には十分なほどに恥ずかしいことですが。 これが二人の関係が進んでしまうと一歩踏み込んでエグみが出てきてしまったりするのでしょうか、心配です。 とりあえず、絵がなんか好きなんですよね。 ちょうど読みやすくて無個性でもなくハマってて気持ちいい感じ。 特に目。 目が感情を存分に語っていて素晴らしい。 いい意味でだけど、吹き出し全部潰してもなんとなく話の流れ分かるんじゃないですかね・・。 ちょっとズレてる柳沼君と大上さんの関係が少しずつではありますが、進んでいくのを微笑ましく見るのが楽しいです。声聞いてみたい!はしっこアンサンブル 木尾士目大トロ低い声は努力で出るものじゃないからほんと才能ですよね! これからの展開が楽しみです!これから金のひつじ 尾崎かおり名無し尾崎かおり先生の新作。 まだまだ痛々しい描写が多いが、最後にはきっといい感じになるはず… はやく続き読みテェ… いつも不機嫌そうなその医師に癒されるフラジャイル 草水敏 恵三朗JER医療マンガは大抵面白い。 でも、その主人公の多くは、外科医。 ドラマもそうだけど、見せ場が作りやすいのだろうと思う。 そんな中、医者人口からしても珍しい病理医が主人公。しかも、「チーム医療」を重んじる多くの医者から、変人扱いされ、恐れられる特異な病理医。 非医者である人間としては医者は病気のことをなんでも知ってるんでしょ?と思ってしまうのだが、実際そうではないらしい。 分からないことも多い中で、色々な情報を集め、推測し、100%の診断を出すために、他科とケンカし、時には根回しも面倒くさがりながらもする。 「腰の引けた病理医なんてゴミでしょ」 と主人公は部下に言う。 その発言の通り彼は妥協しないが、常に不機嫌そうな彼のその発言に裏にあるのは怒りのような気がする。 社会でうまく生きるには、他人との調和が大事で、ほとんどの人は摩擦をさけているのではないかと想像するし、僕も極めてそういう風に生きている。 だからか、怒りのまま、不機嫌そうに生きる彼らのストーリーには何度も心動かされる。 毎月買ってるアフタヌーンは、フラジャイルから読んでる。「きみと過ごした最後の夏休み」←こんなん号泣不可避やんぼくらのよあけ 今井哲也mampuku 子供と大人、子供の賢しさ、心の成長、子供から見た世界の鮮烈さ。 「アリスと蔵六」今井哲也の原点ここにありというべきか、「アリスと蔵六」はファンタジーでしたがこちらはSFという違いはありますが変わらず素晴らしいです。2011年刊行でありながらIoTと人工知能、ARVRが発達した未来は十分に説得力とリアリティがあります。 一方で子供達の繊細な感情や人間関係の描写と、大人たちとの対比がとても面白いですね。わからないことだらけで手探りの冒険をしている小学生たち、生き方動き方が経験に基づいてマニュアル化していて一見あっさりして見える親たち。子供たちは時に大人たちを敵視し反発するが、28年の年月をつなぐ絆となったのが、子どもでも大人でもないもう一つの家族でした。 第一話の終わりに、 「それが僕らの一緒に過ごした最後の夏休みになった」 というモノローグがあります。なんとなく最後の展開を察してしまうのですがw それでもわかってても泣いてしまうやつですわ。読んで損なし!ブルーピリオド 山口つばさdjab作中の中にたくさん名言が出てくる 主人公の設定も良く面白い 700円と少し高いけどまだ巻数は少ないし早めに買うことをすすめる 出オチ夏の前日 吉田基已大トロ「夏の前日」っていうタイトルがマジで最高だと思います。 内容は「イケてない男がなぜかモテちゃって調子に乗っちゃう」みたいなよくある話でした。恐竜がひしめくジュラ紀のジャングルを数千キロ踏破せよ!ブルー・ワールド 星野之宣名無し※ネタバレを含むクチコミです。まってました!天国大魔境 石黒正数フルカワ石黒先生の最新作!ガッツリSFなんて面白くないはずがはない!荒廃した世界で旅を続ける2人のパートと、隔離された子供達との2つのパートで展開していくが、1巻はまだまだ謎が多く続きが気になります。石黒ワールド特有の不思議でのほほんとした雰囲気も健在なのでファンにも納得の作品です。 キャラクターの過去に共感できる大上さん、だだ漏れです。 吉田丸悠柴犬大上さんのコンプレックスをあえてネタにしてた過去の苦しみがすごいリアルで良かった!結構好きな古代生物が出てくる漫画全生物に告ぐ オオヒラ航多starstarstarstarstar吉川きっちょむ(芸人)小柄な見た目からじゃ分からないほどやたら滅法に強い浪速じゃ負け知らずの喧嘩好きである主人公が、強い敵を追い求めていくうちにタブーである領域に触れてしまいつけ狙われることになり、本人もそれをよしきたと迎え撃つ。 絵面も面白いバトル漫画。 タブー、それは秘密にされ人間に扮した絶滅古代生物たちのことだった。 ネズミもいるから絶滅した古代生物限定じゃないかも? いくら人間相手に敵なしの主人公でも恐竜など相手には手こずるものの、見事に倒してしまう爽快感もあって楽しい。 そして面倒を見てくれている兄貴のやれやれな小物感と1巻で早くも覚醒。 てことは恐竜に対抗できちゃう主人公も実はめちゃめちゃやばいやつだったりするんじゃないの? と胸が躍る。 短く終わってしまう予感もビンビンだけどどうなっていくか見守りたい。6500万年前の白亜紀の海と現代の海がつながるお話ブルーホール 星野之宣ラタトスクブルーホールという言葉自体は現実にもありますね。海にぽっかりと空いた、見る者をなんとも不安な感覚を覚えさせるかのような大きな穴。普通とは違うブルーホールが海底に存在し、普通とは違う海水であったり、ソナーが効かなったり、磁気異常があったりと、とても不思議。そんなブルーホールに近づいていくと出てきたのはなんとシーラカンスの群れ! さらには白亜紀の海生爬虫類が登場し、シーラカンスを捕食したり、さらに大きな首長竜が出てきたりと(そしてこのシーンが美しいこと)……なんともはや無茶苦茶です(笑) でも、そこはさすが星野先生。無茶苦茶ですが荒唐無稽ではなく、骨太なハードSFとして描かれていて大変おもしろい。ネス湖やバミューダトライアングルにもしかすると本当に何かあるのでは?といったロマンあふれる想像を掻き立てられる逸品。続編「ブルー・ワールド」もぜひ合わせて読んでみてほしい。 ゴーグルゴーグル 豊田徹也大トロふわっとしてるような切ないようななんとなく笑えるようなお話が詰まった短編集です。ミスターボージャングルという話が好きでした。ラブコメホラー青野くんに触りたいから死にたい 椎名うみ!null恋愛なようで、ホラーで、でも恋愛で、すごい作品です。<<1617181920>>
手塚治虫にしても、藤子不二雄にしても、元をただせばパロディ作家なのである。そもそもスターシステム(同一の作家が同じ絵柄のキャラクターをあたかも俳優のように扱い、異なる作品中に様々な役柄で登場させるような表現スタイル)からして自作間におけるパロディであるし、一般に手塚が体系を整えたといわれる漫画的記号の数々にしても発明者本人に特許権のようなものは何ら存在しておらず、作家間を隔てる異空間を超えてあたりまえのことのように浸透している。あまりに広く、あまりに希薄に、浸透しているので、それがパロディだとも気づかぬほどだが、1970年代には吾妻ひでおが『不条理日記』等の作品で漫画的記号の使用を脱臼させてみせ、それがパロディ的要素を備えていることを如実に示してみせた。吾妻はその後、アルコール依存症に苦しみ、一時はマンガ界から姿を消すが、大ヒット復帰作となった『失踪日記』が『不条理日記』の頃からは考えられない"正統派"のマンガであったことは記憶に懐かしい。ちなみに手塚は自作内に吾妻のマンガキャラクターをパロディとして登場させるなどしていたが、手塚キャラをパロディギャグにして世に出てきた田中圭一が最近では『ペンと箸』や『うつヌケ』等の"正統派"のマンガで第二次ブームをむかえている。 そしてほかでもない石黒正数も、手塚治虫や藤子不二雄、それから吾妻ひでおや田中圭一らに連なる正統派のマンガ家であると思うのだ。正統派のマンガ家とは、マンガというものに広く希薄にも共有されて、そして受け継がれているものの使用に自覚的な作家にほかならない。それは当たり前にそこにあるものではなくあまりに貴重な共有財産である。パロディとは、それを使わせていただきます、という一種の照れのようなものである。だからこそ異端であるかのようなパロディ作家こそが正統足りえるのだ。 いっぽうで共有財産の使用を拒んだ真の異端としてのマンガ家が数人いる。彼らはマンガの革命者であり、マンガの可能性の限界を押し広めた者たちであった。大友克洋、高野文子らがそれにあたるだろうか。そして石黒正数のパロディは多岐に渡るが、作品間を超えて貫かれており、今作『天国大魔境』にも見られるのは大友や高野のパロディである。背景の白い建物の壁にひび割れや汚れが描かれるのは大友そのものであるし、ジーンズの描き方は高野から来ているものにちがいないだろう。さらに一巻目をさいごまで読んで驚いたのは、おねえちゃん、ストップひばりくんではないか! 江口寿史とは正統→異端に転じたひとであろう。異端である革命者はやはり偉大だが、わたしは正統派も同様に偉大であると思う。パロディとは一種の愛のようなものではないか。なぜって石黒正数のマンガのそこここから偉大なマンガの数々への愛が感じられるのだ。