この小さな手

愚者の詩

この小さな手 郷田マモラ 吉田浩
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し

郷田マモラは、稀有な才能である。 彼は、あのしなやかで硬質な、独自としか言いようのない描線で、極めて重いテーマを果敢にフィクションへと昇華する。 遺体の監察医が主人公の『きらきらひかる』、新人刑務官と死刑囚の友情を描く『モリのアサガオ』、さらに、裁判員制度を通して死刑を見つめた『サマヨイザクラ』など、彼の作品は不器用だけれど真率な力に溢れている。 関西の巷のエネルギーに満ちたはるき悦巳と、猥雑さにまみれた青木雄二を、足して二で割り、さらに端正にしたかのような、真にユニークな存在だったのだ。 だが、郷田マモラは、愚か者でもある。 彼が犯した罪について、ここで触れるつもりはない。 しかし明らかに、彼は愚か者だ。 本作『この小さな手』は、郷田が原作を担当し、吉田浩が作画を担当している。 マンバの「あらすじ」の、郷田が寄せたと思しきテキストにある通り、あまりキャリアがあるとは思えない吉田は、郷田が描いたネームを忠実に漫画に起こしたであろうことが、その画面からうかがえる。 本来は、郷田自らがあの筆致で描くべきだっただろう。 この、それほど優れているとは言えないかもしれない漫画には、しかし、確実に漫画家・郷田マモラがいる。 その愚かさが、傲慢さが、不器用さが、真率さが、弱さが、痛いほど脈打っている。 「漫画」という宿痾のひとつの内実が、ここにはある。

変人偏屈列伝

エジソンがヤバい…だけではない「人間讃歌」の短編集

変人偏屈列伝 荒木飛呂彦 鬼窪浩久
ANAGUMA
ANAGUMA

世界の奇妙な人たちの逸話を荒木飛呂彦と鬼窪浩久がマンガで紹介する風変わりな偉人(?)マンガ短編集。 事実は小説より奇なりと言いますが、実在の人物を荒木飛呂彦が取り上げて面白くならないはずがありません。 ニコラ・テスラに向かって「このスカタン野郎がアーッ」と怒鳴り散らす発明王エジソンの姿が有名だと思いますが、読んだ当時もかなりキレてるなと舌を巻いた思い出があります。 今となっては外道エジソンの人物像も割と普及してる気がしますが、1989年の時点で荒木先生がここまで完成させてたわけですね。 個人的に一番好きなのは『ウィンチェスター・ミステリー・ハウス』。 銃火器メーカー・ウィンチェスター社の社長夫人サラは、人命への罪の意識に苦しみ、生涯に渡り「悪霊から逃れるため」自身の邸宅を増築し続けたことで知られています。 夫の手掛けた銃が世界中に広まることは歴史の必然のようなものであり、彼女にはどうにも防ぎようのない出来事でした。 手の届かぬ因縁に人はどう立ち向かうのか、という『ジョジョ』のテーマでもある問いかけが本作にも通底しているのです。 いずれの短編も、とんでもない人物たちへの驚嘆、畏敬の念を綴った荒木イズム満点の紛れもない「人間讃歌」の物語です。 可能であれば初回刊行時の函入り単行本で読むと味わいが増すような…気がします! 実に奇妙なデザインなので。

吾輩の部屋である

一人暮らしの平凡な日常を異常に描く意欲作

吾輩の部屋である 田岡りき
六文銭
六文銭

登場人物は、基本的に主人公だけ。 基本、というのは、メールとか電話などで、友人や想いをよせる人(植村さん)は出てくるのだが、姿としては一切出てこないから。 主人公以外は文字だけの存在になっています。 部屋の人形が語りかけてくるが、たぶん主人公の妄想でしょう。 舞台も、主人公が暮らしている「部屋」の中のみ。 これまた、外出シーンは一切出てこない。 そう、まさにタイトルどおり「吾輩の部屋」なのである。 こんな困難な設定でよく描けたな、すごいなーと。 思ってしまうのですが、それ以上に 「誰もが経験する平凡な日常を面白く描ける」 という点が作者の力だと思います。 普通の人なら見落としてしまう点も、独自の着眼点で見つけてふくらませる。日常系マンガの面白さの分水嶺はここだと思うんですよね。 ともすれば、全部なんてことないことばかりなんです。 台所の吸盤がやたら落ちるとか、絨毯の端がめくれるとか、雨で洗濯ものが乾かないとか、好きな人からメールがこないとか、逆に怪文が送られて悩むとか。 それを、主人公が悪戦苦闘しながら、一話完結方式でオチまでもっていく展開が不思議とクセになるのです。 主人公は大学院の修士課程で専門的な研究をしているからなのか、個々の問題の本質を探り、そして深く悩み、時に本格的かつ凝った対応をします。 ロジカルに、テクニカルに。ぶつぶつと垂れ流しの独り言をしながら。 ・・・まぁ、一人しかいなんでね、思考がさまよいますね。 スキマスキマでずっと読んでいられる、そんな作品だったのですが、なんと6巻で終わってしまい悲しい限りです。 でもまぁ、この設定で6巻も続いたのが奇跡でしょうかね。 また、ドラマ化もしたようです。 この設定なら、きっと低予算ですんだんだろうなぁとか勘ぐってしまいます。 最後に、私、上記で嘘を言いました。 主人公しか出てこないといいましたが、最終巻最終話には、そのルール破って「ある人」がでてきます。 そこも要チェックですよ。

百年の恋も覚めてしまう

くらもちふさこの良さをギュッと凝縮したような短編

百年の恋も覚めてしまう くらもちふさこ
かしこ
かしこ

ちょっと誤解しがちなタイトルだと思うんですけど「百年の恋も覚めてしまう」なので「冷めてしまう」話とはちょっと違います。けれどもストーリーとしては主人公の笙子が小学生〜大人になるまでの成長物語で、その時々で好きになった片想いの相手に何度も「冷める」からダブルミーニングでもあるのですが。そういうところもくらもちふさこらしくて面白いです。 小学生の時は魚屋さんちの新田君が好きだった笙子ですが、ママから「あの子目と目が離れてておもしろい顔してるわよねー」と言われて急に新田君のことが嫌いになってしまいます。中学生の時に好きだった広瀬君は声変わりする瞬間を聞いて嫌いになってしまいました。高校生の時は友達に紹介された宇佐美君のことを出会った瞬間から「もう会わないだろうな」と思ってたけど、笙子の本心に気づきながら優しくしてくれた宇佐美君の気持ちを知って切なくなったりしました。大人になった笙子は編集者になり漫画家のおつかいで昔住んでいた町の商店街に行きます。そこには新田君ちの魚屋があって二人は再会します。 ほとんどネタバレしてしまいましたが、あらすじを知っていても心に響く作品なのでぜひ読んでください。こんなに少女の気持ちに寄り添って描けるってすごいです。あんなに好きだったのに些細なことで嫌いになったり、自分の不誠実さに反省したり、誰もが経験したことあると思う。そういうことを大げさじゃないエピソードで語れる素晴らしさもある。現実の人生って細やかなことの積み重ねだから、そこを汲み取ってくれることがとても嬉しいんです。 この短編の為に作られたような一冊ですが、その判断はめちゃくちゃ正しいと思います。

王様達のヴァイキング

ある少年が天使に導かれ世界を変えてゆく物語

王様達のヴァイキング さだやす 深見真
sogor25
sogor25

高いハッキング能力を持ちながらコミュ力が低く、高校を中退、バイトもクビになり、廃墟となったビデオショップに住んでいる少年、是枝一希。彼の目の前に現れたのは"エンジェル投資家"の坂井大輔。坂井は是枝に「お前の手を使って世界征服がしたい」と嘯く。住む世界の全く違う2人の出会いが、やがて世界を大きく変えていくという物語。 一見すると凸凹な2人のバディものっぽいけど、私には是枝が主人公の成長譚のように見える。エピソードを重ねるごとに、是枝のほうは何かしら新しいことを自分の中に取り入れどんどん引き出しを増やしていくけど、坂井のほうは細かい言動には違いがあるけど行動の軸は当初から一貫しているように思う。年齢面もあるかもしれないが、やはり坂井が是枝を導いて広い世界へと引っ張り出しているという印象が強く見えるからじゃないかと思う。ただ、単純な1対1のバディものではないからこそ、是枝は坂井だけではなく、巻き起こった事件に関わる多くの人々と"仲間"となり、文字通り是枝の世界を大きく広げていくことになる。そして最後の最後で是枝は坂井と対等な立場で坂井に問いかける。これによってこの作品が完結するところも清々しい、全19巻で綺麗に最後まで駆け抜けた作品。 全19巻読了

燃えるV

一応テニス漫画

燃えるV 島本和彦
マウナケア
マウナケア

なんとか、格好がつくくらいならテニスはできます。しかし体力の続く限りガンガン打ち込むだけなので、相手に「テニスをしてない」と言われる始末…。で、そんなときに思い出すのがこの作品。一応テニス漫画ですが、作者自ら「あの漫画はテニスなどいやっていない」といっている、そのまんまの内容です。生き別れた父と再会するため、勝ち続ける事を宿命づけられた主人公・狭間武偉。彼はルールも知らずにテニスを始め、インターハイ、そして4大大会で頂点を目指す。なんて書くのもばかばかしいほどで、実際にやっていることといえば、ダブルスを一人で戦ったり、ストリート・テニスなるもので日銭を稼いだり、あげく必殺技は相手の体を狙う技…。テニス漫画として読んではいけません。でも、テニスに格闘(熱血では無い)要素を取り入れて、笑いも涙も盛り込むなんて、凄いことだと思いません? 後の『逆境ナイン』や『無謀キャプテン』などより、テニスというスポーツを突き抜けているこちらのほうが全然いい。最近、作者のこの手の作品はないようなので、ライバル・赤十字の息子編とか描いてくれると、また燃えるんだけどなあ。