東京のらぼう!

西東京の四季を遊ぶ家族!

東京のらぼう! 関口太郎
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ

ここは東京都あきる野市。タワマンもお台場もないけれど、ちょっと歩けば自然がいっぱい!何でも作れるけど仕事が暇な父たんと、今日は何して遊ぶのかな......(ちょっと面倒) ----- あきる野市は、都心から西にちょっと(?)離れた、そこそこの(?)ベッドタウン。新宿から拝島駅経由、JR五日市線でおよそ1時間。八王子や青梅に隣接する。秋川渓谷や丘陵地帯を擁し、武蔵五日市駅から三頭山(檜原都民の森)へのバスがあるなど、自然にとても近い街。 自然大好きな漫画家の「とうたん(父)」は、連載を打ち切られた時に、「家賃が安い」という「かあたん(母)」の後押しもあり、この地への移住を決める。その時お腹にいた子が13歳になり、10歳、4歳の三姉妹と、かしましくも楽しい「ちょい田舎暮らし」を楽しむ、そんなお話である。 とうたんのアウトドアスキルと好奇心に振り回されつつ、三者三様にとうたんとの遊びを楽しむ姉妹。特に中学生の長女は、簡単には父についてはいかないが、その歳なりの付き合い方で楽しませる父の懐の深さが優しい。 そしてとにかく食に関しては、都会では絶対に手に入らない食材が盛り沢山。調理に成功すればめっちゃ美味いし、多少失敗しても、それすらも楽しめる。「東京」でこんな食生活を送れるなんて、羨ましい。 とうたんは、アウトドア以外でも(暇なのか?)子供達の相手をよくする。そして子供達の写真などの記録をとりたがる。それはまるで、過ぎていく今を何とか繋ぎ止めようとするようで、一緒にセンチな気分になる。 大ゴマで、見開きで、展開される自然と子供達の光景に、息を飲む。そんな美しい自然と、程良く触れ合いながら生き生きと暮らしたいと願う人に贈られた「あきる野暮らし漫画」。憧れるし、あきる野に住みたくなる、そんな作品だ。

麻衣の虫ぐらし

虫愛づる姫君に寄り添う日々

麻衣の虫ぐらし 雨がっぱ少女群
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ

死にゆく祖父を世話しながら祖父の有機農園を守る菜々子と、彼女を手伝いながら寄り添う無職の麻衣。昆虫の挿話に託して語られる、自然と人為、そして不思議な「虫愛づる姫君」達との縁の物語。 —— 菜々子は両親に裏切られ、祖父との絆を唯一の拠り所にして生きている。農業についても、自分の意思で始めたことではない。それ故か、いつも自信がなく、失うことに怯えている。 菜々子の麻衣に対する感情は、友情を飛び越えた強力なもの。依存や崇拝といった、ちょっと危なっかしい感情にも近い。 祖父が亡くなれば、身寄りがなくなる菜々子。祖父に菜々子を託された麻衣だが、距離感に悩み、挙句、菜々子を孤独にしてしまう。そして麻衣の選ぶ、菜々子との関係は……。 —— この作品は、二人の女性の関係性の物語と並行して、二つの「自然と人為」が描かれる。 一つは「有機農業」、もう一つは「自然保護」。 有機農業は、農薬等をなるべく使わない「自然への優しさ」を謳うが、その分労力は大きい。益虫を操り、害虫を殺す日々の営み故に、菜々子は益虫にものすごく優しい一方、害虫に対してはまさに「虫を殺す目」を向ける。菜々子は「益虫を愛づる姫君」である。 一方、麻衣が偶然知り合った来夏は、ヒメギフチョウや湿原を、ボランティアで保護する女性。彼女は自然を愛し、虫という虫に満遍なく愛を注ぐ「全ての虫を愛づる姫君」。また、来夏といつも共にいる美津羽は、簡単に昆虫を呼び寄せる特技を持つ「虫を愛で、共にある姫君」。 さらに、麻衣が出会う、スナックで働く香織は、虫と「食」(人間が食べる、虫が虫を食べる等)を嗜好する「虫食を愛づる姫君」。 様々な「虫愛」の形が提示され、彼女たちから語られる虫の性質と、人間の営みがリンクし、生きることについて考えさせられる。スローライフを描きながらも、「生の実感」の生々しさが常に残る作品である。 日々の営みの繰り返しから、ゆっくりと育てた大きな感情に、いつの間にか心動かされている。麻衣と菜々子が育む、じんわりとした優しさに浸っていたい。

マエストロ

マンガを読んでいる時間にしかマンガは存在しない

マエストロ さそうあきら
影絵が趣味
影絵が趣味

『神童』とそれに続く『マエストロ』で、文字通り音楽漫画のマエストロになったさそうあきらですが、長年に渡り疑問に思っていたことがあります。さそうあきらを筆頭に『のだめカンタービレ』の二ノ宮知子や『BECK』のハロルド作石らの描く音楽漫画はどうしてここまでひとの心を打つのか、ということについてです、肝心の音楽は実際には耳に聴こえないのにもかかわらず。 この謎をひとつ解き明かしてみようではないか、ということで、数年ぶりに『マエストロ』を読み返してはみたものの、まあ、最後のコンサートではボロボロに泣いてしまったんですけど、謎は謎のまま残ってしまいました。 ただ、ちょっとヒントになりそうな台詞が作中にありました。 「音楽って切ないね」 「今確かに美しいものがあったって思っても、次の瞬間には消えてしまうんだ」 「川の、流れのように―――」 「だからこそ、愛おしい―――」 「大切に思うんだ」 つまり、音楽は音楽を聴いている時間にしか存在しないけれども、マンガもマンガを読んでいる時間にしか存在しないということ。この不可逆性、このマンガというコマのうねりと連なりをひとつびとつ読んでゆくことの幸せを今日も逃すことなく噛み締めようと思う次第なのでありました。