青年マンガの感想・レビュー15413件<<520521522523524>>ゆったりとした“前向きさ”に満ちた物語水惑星年代記 大石まさる名無し自分より一回り年上、40代の方とお話すると、いつもその前向きな姿勢に驚きます。僕自身がフロント2速バック20速ぐらいのとても後ろ向きな人間というのもありますが、基本的な考え方に違いがあるように思います。それに、同じ“前向き”といっても、若者と中高年では全く違います。歳が上になればなるほど、短い期間に激しく燃えるものから、長い期間にジーっと燃える、種火のようなものに“前向きさ”は変化していくように思えます。 『水惑星年代記』は物語自体がゆったりとした“前向きさ”に満ちています。 『水惑星年代記』で描かれる地球は、一度文明が滅びたらしい世界。地上はちょっとずつ水深が上がってきていて、海沿いの都市や、標高の低い島々は水に沈んでいきます。かといって、人類は絶望だけしているわけでありません。失われていった景色に思いを馳せつつも、その目は宇宙へ向いています。『水惑星年代記』では、ちょっと黄昏ながらも次に向かう様々な人が描かれるオムニバス作品です。 それぞれのお話は、時代順に書かれているわけではありませんが、どこかで繋がりを探すことができます。その痕跡を探していくのも楽しみの一つです。 繋がりという意味で『水惑星年代記』の縦糸となるのが「ブラック家」の系譜です。有数の大金持ちであるブラック家の人間はとにかく思い込みで動き、周囲の人間を巻き込み宇宙へと目指していきます。年表上では最初の方に登場するキアラン・ブラックは、有り余る財力を使って“私費”で月面まで来た男。彼は月面事故で遭難しているうちに、偶然“先史文明”と思われる遺跡を発見します。かつて人類は月にまで到達していたという事実は、ブラック家の人々を外宇宙へと誘い、ブラック家の末裔の少女が、物語の最後を飾ります。 宇宙を目指す人々を描く作品以外にも、明るさと言い表せない孤独さを同時に感じさせてくれる人類の創世記「凪と波」や、フルカラーの美しい景色が描かれる「路面電車(トラム)」など、素晴らしい短編はたくさんありますが、私が特に好きなのが『碧 水惑星年代記』に掲載されている「正しい地図」という作品。 この作品は会社を急に辞め、かつて自分が住んでいた町に二十数年ぶりに訪れた中年男が主人公です。彼は、かつての記憶と今を見比べながら町の移り変わりをメモしていきます。あらすじで言ってしまえばそれだけなのですが、とても美しい背景と主人公の印象的なモノローグによって、物語がスっと心に入っていき、彼と同じように“自分の世界”を作っていこうという気持ちが生まれます。そして普段何気なく見過ごしてしまう街の景色が違うもののように感じられてくるのです。とてつもなく心地良い箱庭世界日々にパノラマ 竹本泉名無しよく言われるネタではありますが、私も学生時代に竹本泉が男か女か問題で友人と喧嘩しました。「こんな可愛い作品を描く人が女性じゃないなら…俺はもう何を信じたらいいかわからない…」と言っていた友人は、今でも独身です。 確かに、竹本泉先生が描く絵は可愛らしく、ストーリーものほほんとしたものばかり。だけど少女漫画のような乙女チックすぎて引いてしまうこともなしし、オタク系漫画のような萌えすぎて引いてしまうこともない、オトナになりきれないオトコへの絶妙な浸透圧がある気がします。 『日々にパノラマ』は竹本泉作品でもよく登場する、火山島が舞台。一応、東京の一部という設定です。一応の主人公は小南智尋という中学生の女の子。彼女が塔上洋太や転入してきた大原深海(ふかみ)たちと、浜で泳いだり、ボートにのったり、イルカと遊んだり、島の遺跡をめぐったり、台風にあったり、うじゃうじゃしたり。恋愛要素もなくはないですが、とても薄っすらとしています。 誤解を恐れずに言えば、これだけストーリーのない作品もないのです(竹本泉作品は全てそうですが)。なにかのイベントがあって物語が動くのではなく、箱庭世界をただのぞくような、そんな感じです。その箱庭世界がとてつもなく心地良いのです。ある意味ゲームの『ザ・シムズ』に近いような気がします、キャラクターを含めた世界観がしっかりと存在していて、キャラクターの目線で語られる様々な日常が、確実に俺を癒やすのです。フラジャイルフラジャイル 草水敏 恵三朗名無し考えてみれば、『ブラック・ジャック』『スーパードクターK』はじめ、医療漫画といえば外科医が主人公な作品ばかり。確かに、ドラマ性や派手さを考えれば外科医が選択されるのは納得です。だからといって、他の科を題材にした漫画が面白くないわけではないのです『フラジャイル』は普段あまり聞いたことがない病理医を主人公にした漫画なのです。 『フラジャイル』で描かれる病理医(私の病理医に関する知識は海外ドラマ『Dr.HOUSE』で止まっています)は、完全なる黒子です。病院内の各科から送られてきた血液や細胞を分析し評価するというお仕事です。この検体からどう判断できるかという情報を渡すだけで、実際に診断を決めるのは臨床医。病理医が患者と会うことはありません。 裏方だからこそ発見できる真実、組織のしがらみから離れて行動し、病気の原因を見定める…。その病理医のカッコイイ姿を体現するのが岸先生です。誰もが優秀と一目おきながら、誰もが煙たがる。臨床医のボケた診断に強く噛み付き不遜な態度を崩さない。その姿勢を支えるのは彼の並外れた能力です。患者を顔を突き合わせる臨床医が何の病気がわからず不安なとき、その支えと成るのが彼の能力なのです。 安楽椅子探偵のような推理、複雑な院内政治、そして医療に従事するそれぞれの思い入れが複雑にからまった上質のドラマが展開されているのです。想像しうる未来を描いた宇宙開拓史MOONLIGHT MILE 太田垣康男名無し周期的にどこか遠くへ行きたくなります。ギアナ高地かゴビ砂漠かヒマラヤか…。想像は膨らみますが、実際にはせいぜい飯能で僕の冒険心は終了です。ただ、もし僕が頑健な体と知性(と美しさと財力)があれば、宇宙に行ってみたいと思い、たまに空を見上げるることがあります。 この「MOONLIGHT MILE」も二人の男がヒマラヤの頂上から月を見上げるシーンより、物語がはじまります。世界中の極地に立った二人は、さらなる頂を目指すために宇宙を目指すのです。 二人の内の一人、猿渡五郎は日本の建築会社に就職しありとあらゆる重機の資格を取得し、宇宙空間での建設業務に従事するビルディング・スペシャリストを目指し、もう一人の“ロストマン”と呼ばれるウッドブリッジはアメリカ空軍に入隊し、そこからパイロットとして宇宙を目指します。 紆余曲折を経て、二人がISS(国際宇宙ステーション)で再会するのは7年後。しかしこれはまだ物語の序盤、1巻の出来事でしかありません。そこから、宇宙開発の表舞台を吾郎、軍の陰謀うずまく裏舞台をロストマンが主人公となって、宇宙開拓史が描かれて行きます。 「MOONLIGHT MILE」の凄いところは、この宇宙開拓史が事細かに、もしかしたら本当にこうなるかもしれないというリアリティをもって描かれているところです。ビルディング・スペシャリストとなった吾郎は、次世代エネルギー開発“ネクサス計画”のため、様々な任務をこなします。月面上の作業用機械の開発を手伝い、月往還船の建造を行い、そして第一次月遠征隊の一人として月面のエネルギー開発の最前線基地を建設します。 一方、ロストマンは宇宙における軍事的な覇権を推し進めるアメリカ軍のパイロットとなり、表舞台で宇宙開発が世界の注目を集める中、中国とアメリカの高高度戦闘が行われます。「表舞台か… 軍事利用こそ宇宙開発の真の姿だぜ 悪夢に染まらなきゃ、一番遠い場所には立てねえさ…」そう言いながら確実に任務をこなし続けるウッドブリッジは、やがてアメリカ宇宙軍の要人となります。 ふたたび吾郎とロストマンの道が交差するのは、表舞台と裏舞台がひっくり返るタイミングになるのですが、そこまでいたる夢の様に壮大な開発現場の個人の思いと、人類社会を左右する各国の思惑がからみ、壮大な物語になっているのです。 現在の世界状況の延長線上にある、想像しうる未来を描いた第一部が終わり、想像を越えたディストピアを描く第二部は現在も進行中。「MOONLIGHT MILE」が描ききるのはどのような人類の未来なのか、興味は尽きません。 いうなれば、仕立て職人版の『美味しんぼ』といったところ王様の仕立て屋~サルト・フィニート~ 大河原遁名無し普段から、多浪生と見間違えられるほどしょぼくれた格好をしていても、特にとがめられない仕事についている為か、梅雨や真夏のスーツの苦しみを味合わずに済んでいます。ただ、スーツ姿の同級生と出会うとあまりの見栄えの違いに居心地が悪さを感じてしまう30代。彼らにはもう、嫁も子どももいるのですよ! そんなサラリーマンの戦闘服・スーツをテーマにした漫画が『王様の仕立て屋~サルト・フィニート~』です。ナポリ伝説の職人で“ミケランジェロ”とも称された故マリオ・サントリヨ唯一の弟子・織部悠が、様々なトラブルを抱えた依頼人の悩みを、その卓越した腕で解決しいくオムニバス作品。いうなれば、仕立て職人版の『美味しんぼ』といったところ。仕立ての知識はもちろん、時計や靴といった服飾の知識、同じヨーロッパ圏ということで一緒くたにしがちな、イタリア、フランス、イギリスのスーツに対する考え方の違い、さらにはヨーロッパ文化と日本文化の差異にまで話は広がり、知識欲を多いに満足させてくれます。スーツが話の柱と聞いて、正直、長い連載にならないと思っていました。ネタがすぐに無くなってしまうだろうと思っていたからです。それが『王様の仕立て屋』は、今連載中のシリーズ『王様の仕立て屋~サルトリア・ナポレターナ~』と合わせるとすでに35冊以上にもなる長期連載になっているのです。 それはもちろん、仕立てというジャンルの奥深さがそうさせるのでしょうが、魅力的なキャラクターに依るところ部分も多いと思います。ちょっと老成してる悠の周りには、変わったキャラクターが数多くいます。中でも女社長ユーリア率いるカジュアルブランド・ジラソーレ社はどこを見ても(一癖ある)美女ばかり。往々にして彼女らに流されて巻き込まれてゆく悠に若干の嫉妬を感じます。名言や歌を用いた細かなネタに、細かに挿入されるギャグがリズム感を生んで、長いウンチク部分も冗長にならずあれよあれよと読み進められる、稀有な作品だと思います。 この漫画のお陰でコーデュロイやビキューナ(超高級素材。Amazonで調べたら掛け布団が800万円を超えていた!)、とこれまでの生活では全く知る由もなかったスーツの世界を垣間見ることができました。ただ、それを実践するのには気が遠くなるほどの金額が必要なのです…。「これしかない人生」を歩む神々の山嶺 谷口ジロー 夢枕獏名無し僕の地元・長野県には、中学校集団登山という拷問のようなイベントがありました。一学年240人がみんなで3000m級の山に挑むという荒行です。しかも、登る予定の山で起きた遭難事故を描いた新田次郎の「聖職の碑」の映画版を見せられるという、嫌がらせとしか言いようのないオマケもついていました。とはいえ、このイベントで山に目覚めた人もいないわけではなく、それなりに意味のある行事な気もします。僕は下山中に便意に襲われ、6時間死ぬ思いで我慢するという、これまでの人生で一番の苦行を味わったので、二度と山には登らないと決めています。 とはいえ、山ものの作品を読むと、山もいいかもしれないと思ってしまうのです。『神々の山嶺』は数多い名作を生み出し、海外でも評価の高い谷口ジローのまさに最高峰だと思っております。 『神々の山嶺』には羽生丈二という一人のクライマーの姿が、カメラマンの深町誠の視点から描かれます。 この羽生丈二、初登場シーンから圧倒されます。「その時…むっと獣の臭いが店内にたちこめたような気がした」。この存在感がどこからくるのか、深町は彼の過去を調べていくのです。 羽生を関係してきた様々な人に取材していくうちに、彼の孤高としか言いようのない半生が明らかになっていきます。 羽生は可愛げのない、根性はあっても鈍重で無口な男でしたが、クライマーとしては抜群の才能を発揮。しかし、全てを山に集中する羽生は、普通の生活を送る人間と温度差がうまれ、山岳会でも孤立していきます。誰もが登れなかった壁を登り、山岳界の話題をさらうものの、羽生自信は不遇のまま。海外の山に挑戦することができません。 誰よりも山を想っているのに資金や人脈や名声がないだけで、挑戦できない苦しみを味わい、自分を慕う人間の死があり、やがて羽生は自分から孤立していきます。そして消息を断った羽生がなぜカトマンズにいたのか?彼がなにをしようとするのか、物語は加速していきます。 羽生の姿は、新田次郎の小説ではないですが、まさに「孤高の人」なのです。孤高の人は、人の共感は求めません。自分でも言葉にできない衝動に突き動かされるまま、「これしかない人生」を送るのです。 羽生はいいます「いいか。山屋は山に登るから山屋なんだ。だから山屋の羽生丈二は山に登るんだ!!」また、なぜ山に登るのかという問にこう答えます。「そこに山があったからじゃない。ここにおれがいるからだ」 「これしかない人生」を送る男の寂しさと美しが同時に描かれ、僕もこのような生き方に強く憧れるのです。 いや、既に僕は僕にとっての「これしかない人生」を歩んでいるかもしれない。この、マンガとゲームにあふれた人生は。連綿と連なる歴史風雲児たち みなもと太郎名無し中学時代、あまりに田舎すぎてエロ本を入手できなかった私は、思い余って図書館で林美一先生の春本解説本に手をだしました。そこには「好色一代男」など有名作品はもちろん、もうタイトルも思い出せないたくさんの作品が紹介されていました。その中で、ひとつだけ『長枕褥合戦』という作品は覚えています。たしか、北条政子と弓削道鏡の血を引く男があれやこれやする話だったように思いますが、この作者が実は平賀源内だったと知ったときはたいそう驚きました。江戸時代にエレキテルを発明して見世物にした、色物親父ではなくて、本物のイロモノ親父だったとは…。もちろん平賀源内の功績はそれだけではありません。多才な平賀源内の具体的な人物像を知ったのが『風雲児たち』です。 『風雲児たち』の連載開始は1979年で、30年たった今も続いています。当初は幕末だけを描くはずだったのが、幕末にいたる様々な伏線を根っこをちゃんと描くため関ヶ原の戦いからはじめたという経緯があります。その結果、260年以上におよぶ江戸時代の通史に『風雲児たち』はなったのです。 そこには教科書の味も素っ気もない、のっぺりした記述では知りえなかった数多くの魅力的なキャラクターが登場しています。保科正之、田沼意次、高山彦九郎、江川太郎左衛門英龍などなど、枚挙に暇がないというのはまさにこのこと。 彼らが魅力的なのは、信念をもっている人間として描かれているからです。その信念が、個人的ものであれ社会的なものであれ、こうしたいという信念をもち、抗う姿に心が動かされるのです。江戸幕府という、全体としては250年以上も続く安定した社会には、細部では様々な矛盾や齟齬や一部の人間の犠牲がありました。変化をとてもいやがる社会の目を気にせず彼らは彼らが思う最善を尽くす…。そのような“風雲児”が描かれた物語が面白く無いはずがありません。 連綿と連なる風雲児を追っていくことで知らず知らずに江戸時代の歴史の“流れ”がわかる。そういった稀有な作品なのです。 非日常への扉団地ともお 小田扉ナベテツ以前友人とマンガの話をしていた時に、「無人島に持っていくならこの作品だ」と断言したことがあります。 全32巻というと長く感じるかもしれません。しかし、この作品は飽きることなく読むことが出来るのではないかと思っています。ナチュラルボーン小学生のともおの言葉は時に少年らしく、時には老成した大人のような時もあり、とても上質な笑いが沢山あります(勿論、ストレートなこともあるのですが)。 昔読んだ中島らもさんの小説の中で印象に残っている言葉なのですが、「大賢は大愚に通ず」という言葉があり、ともおは賢なのか愚なのか時に迷ったりします。 忙しい毎日の、日常からふっと離れることが出来る。忙しない生活を送っている人に読んで欲しい。そんな団地ギャグマンガです。この歴史マンガが今熱い。片喰と黄金 北野詠一兎来栄寿毎月行われている #新刊を語る会 という集まりで、先月の新刊として今日最も多く集まったのはこの作品でした。 現代日本に暮らす私たちの多くは毎日ご飯をお腹いっぱいに食べられることを当たり前だと思っていますが、それがどれだけ人類史的に見て稀有で貴重な状況かということを改めて考えさせられます。 舞台は19世紀。余りにも極まった貧困故に日々の食べる物にも苦労している主人公がアイルランドからゴールドラッシュに沸くアメリカへ渡って一攫千金を狙う物語。 まず、絵が良いです。すっきりと読み易く、それでいていざという時の表情や迫力も十分。マンガとして純粋にレベルが高く、引きつける力が備わっています。 今は読者の目が厳しく少しでも考証的におかしい所は突っ込まれる時代ですし、当時実際にあった事件や差別の描き方にも細心の注意を払わねばならないので昔にくらべて歴史マンガもやり難い時代かと思います。そんな時代にあって、帯で野田サトルさんが語るようにこうした骨太で面白い歴史マンガを送り出して下さる心意気に感謝です。 歴史マンガでありながら、ゴールデンカムイのように歴史に詳しくなくとも楽しめるので誰にでもお薦めできます。魂の叫びが聞こえるマンガを描いてきた作者の半生父のなくしもの 松田洋子兎来栄寿人生の不条理に晒されながらも必死に生きる人間の姿、心揺さぶる物語を心身・魂をも削るような筆致で描き続けて来た松田洋子さん。 「こんな作品群を描く松田洋子さんは一体どんな人生を歩んでこられたのだろう」と常々思っていたのですが、その答がこの自伝マンガに描かれていました。 タイトル通り中心として描かれるのは父。そして娘から見た父親を中心に、ひとつの家族のリアルな生き様が叙情性豊かに綴られています。 家族との関係性、仕事や対人関係のトラブル、生活の変化、家族に起こる異変……様々なパートのどこかしらは読者個々人の体験に重なり複雑な想いに駆られるのではないでしょうか。 端的に言って私は気付いたら涙していましたし、痛切なあとがきを読んで更にもう一度涙を流しました。深い深い想いの込められた作品で、読んだ後は大切な人を今まで以上に大切にしたくなります。 松田洋子さんはもっともっと読まれてもっともっと評価されるべき作家です。 絶妙に良いとしか言えない居酒屋舌偵 土山しげるstarstarstarstarstar_borderマンガトリツカレ男読めばわかる絶妙な力の抜け具合の漫画と言えば良いのか。「すごい面白いか」と言われるとそうでもない。「面白くないか」と言われるという「いや面白いぞ」という絶妙な感じがいい。あらすじの「料理のウンチクと人情の機微が程よくブレンドされた痛快探偵ストーリー」の通りの内容だった 大食いで人は感動させられる大食い甲子園 土山しげる名無し「最近全然たべれなくなってさー 3杯しか食べられないよ」と嬉しそうに大量の飯をかきこむ友人がいます。これは明らかに、『本調子であればもっと食べれるが、調子が悪いので君たちの3倍しか食べれないんだよ』という、謙遜を装った示威行為なのです。野生動物でも、誰が一番えらいのかの順位付けは重要です。 人間の男性集団ではしばしば、大食いが偉さを図る尺度となるのです。大食いはマッチョなんですよ! そんな“大食い”を漫画に取り入れたのは、なんといっても土山しげる先生です。代表作『喰いしん坊!』では、フードファイターとよばれる大食い人間たちが、プライドをかけて戦うという、あまりにも斬新な設定で、食が細くなった中年男性の胸を焼けさせました。今回紹介する『大食い甲子園』は、このフードファイターの世界観をさらに追及した作品です。読んで時のごとく、大食いの甲子園を目指す高校生たちの物語なのです。 舞台は岡山の桃太郎高校大食い部。15年前に全国優勝したものの、いまでは弱小校になってしまい、廃部の危機を迎えています。ここに、将来を嘱望されながらも賭け大食いがばれて“大食い界”から姿を消した盛山空太郎が監督としてやってくるところから物語がはじまります。 それまでは、ただガムシャラに食べることしかしてこなかった桃太郎高校大食い部の面々に、盛山は理論的かつ実践的な方法を教え、大食い部は一丸となって甲子園を目指していくのです。 物語全体は、さわやかな青春スポーツ漫画のノリです。「乱食いはじめ」の声とともにはじまる練習シーンも素敵です。部員がただひたすらにむしゃむしゃご飯を食べるこの乱食いは、おそらく柔道の乱取りをイメージした言葉なのでしょう。一週間かけて精神と胃を鍛える合宿でひたむきに努力する姿もとても美しい。ただ、その打ち込むものが“大食い”ということで、なんともいえない雰囲気になるのです。 大きな“胃力”があり、才能あふれる早味はいいます。「大食いなんてただ食ってりゃいいんだと思っていた…他のスポーツと同じように作戦があるなんてこれっぽっちも思ってなかった…そして…大食いで人を感動させられる事も…」そ、そうなのか?と、思わず突っ込みたくなります。 この、さわやか青春マンガのノリと、抑えがたいツッコミへの欲求があわさると、なんとも言えない高揚感が生まれ、気づくと次へ次へとページをめくってしまうのが『大食い甲子園』の魅力。 もう食が細くなってしまい、大食いでアピールできなくなってしまった僕は、読み終わるとやっぱり胸が焼けてしまうのです。名人に憧れた普通の青年が落語という世界で自分だけの道を探しだそうとする物語どうらく息子 尾瀬あきら名無し趣味ってのはなんでもそうだと思いますが、身近に先達がいないとなかなか身につきません。誰かが順序よく教えてくれないと、途中でイヤになってしまうのですね。それ以前に、どこから入っていいかわからず手を出せなくなってしまったり…。私が今、手を出そうか躊躇しているのは、Jazz、競輪、そして落語です。 『どうらく息子』は落語家の漫画です。落語を題材とした漫画といえば私の中では『寄席芸人伝』(古谷三敏)が永遠の金字塔であります。『寄席芸人伝』には名人と呼ばれた落語家達の、人間模様が描かれていました。彼ら名人は皆、自分だけの道を探しだし、その道を歩んでいきます。『どうらく息子』で描かれるのは、名人に憧れた普通の青年が落語という世界で自分だけの道を探しだそうとする物語です。 主人公・翔太は親戚の幼稚園でバイトする青年です。どうしたら子どもたちは笑ってくれるだろうか、どうしたら自分の話に引き込めるかを考えていた翔太は、人に進められるまま入った寄席で惜春亭銅楽の「時そば」を観ることに。まるでそこにそばがあるような銅楽の芸にのめり込んだ翔太は、銅楽の弟子になろうと、強く思い始めます…。 やがて、銅楽の弟子になり、銅ら壱という名前をもらった翔太の、金ない、ひまない前座の生活がはじまります。先輩方の生き方を見ながら、少しずつ銅ら壱は落語家としての道を歩んでいくのです。 『どうらく息子』は落語のシーンも魅力的です。落語のシーンは作中作として、登場人物が熊さんや与太郎として登場します。3巻の「牛ほめ」のちょっと抜けた与太郎は、まだまだ駆け出しの銅ら壱が登場しますが、その時の銅ら壱の状況とあわさって、なるほどなあと感じます。 私が特に心に残っているのは10巻で描かれる『紺屋高尾』。とても美しい話です。紆余曲折がありながら、二ツ目に昇進が決まった銅ら壱は、『紺屋高尾』という廓噺をものにしようとします。花魁と紺屋の職人の身分違いの恋の話ですが、花魁の了見がわからず苦戦します。しかし、時間をかけ、自身の恋愛も交えていくうちにだんだんと形を出来てきます。そして初見世。熱演する銅ら壱を象徴するように、シリアスに描かれる『紺屋高尾」の物語。そして、美しいクライマックスの後、舞台のシーンが一瞬交錯しそのままラストに…。 読み終わったあともしばらく余韻が残ります。 読みやすくなってる二匹目の金魚 panpanya名無し日常からのずらし具合がちょうど良く、読みやすくなったように思う。「かくれんぼの心得」「通学路のたしなみ」「海の閉じ方」あたりが好き。まだ連載してなかったのかよ!只野工業高校の日常 小賀ちさとなつき小賀ちさと先生がTwitterで公開し話題となった「工業高校生の日常」が、読切掲載を経てウルトラジャンプで連載開始! https://twitter.com/oga_chisato/status/1141255182392549376?s=20 https://twitter.com/oga_chisato/status/911939660774907904?s=20 「Twitterでバズれば即連載化」という流れが当たり前になってきている中で、公開から約2年越しの雑誌掲載に驚いた。ウッソ、まだ連載してなかったのかよ…!! ちばてつや賞大賞受賞作家が描く新作読切僕の先生 散田島子はる「僕の家族を殺したのは、大好きな先生の家族だった」 「#わすれてしまうわたしたち」で第75回ちばてつや賞一般部門大賞を受賞、モーニングに掲載された散田島子先生の新作読切が、7月19日COMIC MeDu(めづ)にて公開された。 引きこもりの少年・水島と、そんな彼に誠実に向き合う教師・田城。 被害者遺族の中学生と加害者遺族の教師の物語。 【掲載ページ】僕の先生 http://www.comic-medu.com/wk/bokunosensei 山犬をめぐる男と女の物語山犬抄 有馬シ記はる「主人公の八は山犬の化物から美人の澄を救い共に暮らすが、実は山犬の正体が…」というあらすじ。 読み始めてまず驚いたのが、八の顔が洋風のゴツいイケメン(進撃のライナーみたいな)だったこと。 キャラの顔だけでなく絵が全体的にスタイリッシュで、和の物語を描くにはミスマッチなんだけど逆にそれがいい味を出してる。 澄と八が幸せに暮らす続きが見てみたい…!猫の登場によって物語が動き出す。猫で人魚を釣る話 菅原亮きんアファームドB不器用な二人のラヴストーリーが猫をきっかけに動き出す。 ヒロインが色々な表情を見せるようになったり、主人公が行動を起こしたり、逆に話の流れを遮ったり、と。 マンガでしかできない魅せ方が非常に巧く、面白いのもこの作品の特徴。個性的なコマの使い方、ページの使い方をする。それがまた作品に良く合う。 上質のラヴストーリー、名作であり、尚且つマンガという媒体の良さを引き出して、見せてくれた良作。 一度はJIN-GI 御免! 所十三のーりー 人生一度は読むべき。 仲間、生き方、台詞、男が男である理由が分かる。漢の教科書! ゆとりも団塊も関係ねぇ! これを読めば答えがある!! 昭和リアルワンピース! 4ページ読切短編集まんがのねた 六田登starstarstarstarstar_borderマンガトリツカレ男「ダッシュ勝平」や「ICHIGO 二都物語」の作者 六田登の聞いた話や経験を読み切り4ページで書いてある。 良い話もありよくわかんない話もあるが「まんがのねた」とある通り色んな話が掲載されている。 天狗の婆さんの話が良かった漫画アクションには神風が吹く!!ルーザーズ~日本初の週刊青年漫画誌の誕生~ 吉本浩二名無し※ネタバレを含むクチコミです。はなもも可愛いやぶとはなもも 有間しのぶ大トロいかつい人と猫の組み合わせは鉄板ですね! とても癒される猫マンガです。 面白い!!ここは今から倫理です。 雨瀬シオリ名無し一話で即引き込まれる! 倫理の先生がここまで魅力的になるものなのか… 言ってることは普通でかっこいい、哲学者の言葉を引用していたり真面目な風なのにどこかエロい! 先生が魅力的で妖艶です。 こういう先生の授業なら受けたい… わかるのよ、冷蔵庫を見ればね冷蔵庫探偵 佐藤いづみ 遠藤彩見名無しまさかの冷蔵庫から問題となった事柄を見破り解決する! 探偵っぽくないのに足跡を辿るように分析する様はちゃんと探偵です。 人間は食べ物で出来ているので理屈としては頷けます。それでもほのぼのとした気持ちになってしまう不思議な漫画。 一味違った事件解決漫画を探されてる方にオススメです <<520521522523524>>
自分より一回り年上、40代の方とお話すると、いつもその前向きな姿勢に驚きます。僕自身がフロント2速バック20速ぐらいのとても後ろ向きな人間というのもありますが、基本的な考え方に違いがあるように思います。それに、同じ“前向き”といっても、若者と中高年では全く違います。歳が上になればなるほど、短い期間に激しく燃えるものから、長い期間にジーっと燃える、種火のようなものに“前向きさ”は変化していくように思えます。 『水惑星年代記』は物語自体がゆったりとした“前向きさ”に満ちています。 『水惑星年代記』で描かれる地球は、一度文明が滅びたらしい世界。地上はちょっとずつ水深が上がってきていて、海沿いの都市や、標高の低い島々は水に沈んでいきます。かといって、人類は絶望だけしているわけでありません。失われていった景色に思いを馳せつつも、その目は宇宙へ向いています。『水惑星年代記』では、ちょっと黄昏ながらも次に向かう様々な人が描かれるオムニバス作品です。 それぞれのお話は、時代順に書かれているわけではありませんが、どこかで繋がりを探すことができます。その痕跡を探していくのも楽しみの一つです。 繋がりという意味で『水惑星年代記』の縦糸となるのが「ブラック家」の系譜です。有数の大金持ちであるブラック家の人間はとにかく思い込みで動き、周囲の人間を巻き込み宇宙へと目指していきます。年表上では最初の方に登場するキアラン・ブラックは、有り余る財力を使って“私費”で月面まで来た男。彼は月面事故で遭難しているうちに、偶然“先史文明”と思われる遺跡を発見します。かつて人類は月にまで到達していたという事実は、ブラック家の人々を外宇宙へと誘い、ブラック家の末裔の少女が、物語の最後を飾ります。 宇宙を目指す人々を描く作品以外にも、明るさと言い表せない孤独さを同時に感じさせてくれる人類の創世記「凪と波」や、フルカラーの美しい景色が描かれる「路面電車(トラム)」など、素晴らしい短編はたくさんありますが、私が特に好きなのが『碧 水惑星年代記』に掲載されている「正しい地図」という作品。 この作品は会社を急に辞め、かつて自分が住んでいた町に二十数年ぶりに訪れた中年男が主人公です。彼は、かつての記憶と今を見比べながら町の移り変わりをメモしていきます。あらすじで言ってしまえばそれだけなのですが、とても美しい背景と主人公の印象的なモノローグによって、物語がスっと心に入っていき、彼と同じように“自分の世界”を作っていこうという気持ちが生まれます。そして普段何気なく見過ごしてしまう街の景色が違うもののように感じられてくるのです。