青年マンガの感想・レビュー15413件<<519520521522523>>なのな フォト ゴローなのな フォト ゴロー 森下裕美名無し昔から、いろんな漫画のキャラクターによく似ていると言われます(悪い意味で)。特に、カラスヤサトシさんの自画像そっくりとは長いこと言われてきました。最近では『ギャングース』のカズキ(デブ、メガネ、手足短い)とか『バキ外伝 疵面 -スカーフェイス-』のグランド・マスター(チビ、アゴなし、オカマ)なんて言われて、歯噛みしてますが『なのな フォト ゴロー』の主人公・ゴローには、見た目や動きをふくめて強い親近感を感じています。 谷師悟郎はいつもオドオドして、人にあやまってばかりいる30歳。務めている製菓工場とアパートを行き来するだけの毎日で、工場でも軽く邪魔者扱いされています。帰りのバスでは「明日も嫌なコトしか起こらないだろう」と絶望したりします。 そんなゴローにも生きがいはあります。それは飼い猫のフォト。世界一かわいいこの猫だけがゴローの支えなのです。そんな、なんとなく孤独で、なんとなく未来が見えないゴローは、なのなという女の子とフォトを通じて出会います。 なのなは町で偶然フォトに出会い一目惚れ。思わず連れて帰ろうとし、そこでゴローと出会います。なのなは街の小さな雑貨店で働いていますが、やっぱりなんとなく孤独だったり悩みがあったりします。 ただ、なのなは落ち込んだりしても外には出さないタイプなので、「ボクなんか毎日嫌なコトしかないしずっと落ち込んでる」と簡単に口にするゴローにイライラしてしまうのです。 この二人と、フォトを中心に、大きな悩みはないけれどなんとなく閉塞感がある人たちの日常が描かれていきます。 ゴローのただ流れるだけの人生は、なのなとの出会いで少しずつ広がっていきます。なのなの人生も同じように少しずつ広がっていくのです。 この『なのな フォト ゴロー』とてもゆったりとして、可愛らしい作品なのですが、僕にとっては切実です。このゴローが幸せになれるのかが、ボクの人生が幸せになるかどうかの瀬戸際な気がしてならないのです。ちゃんとゴローに普通の幸せが訪れて欲しいと、切に願っています。 とはいえ、見た目も性格も自分にそっくりなゴローが幸せな目にあうと、それはそれで嫉妬を感じるものですね。上京してきた者、特有の気持ち中央モノローグ線 小坂俊史名無し上京しようと思う田舎者の僕にとって、中央線沿線は特別なイメージがありました。クリエイターがたくさん住んでいて、ごみごみとしながらも活気があって、古着屋があって…。長野県時代に生まれた、この身勝手なイメージから、なんとなく中央線沿線はを敬遠しております。ただ、たまに降りる中野や西荻窪の駅から、「これが、中央線か」と独特の雰囲気を感じます。 『中央モノローグ線』は中央線沿線に済む、さまざまな職業・年齢の女性たちのモノローグで構成されている4コマ漫画です。中野、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪、吉祥寺、三鷹、武蔵境の8つの町と、そこに住む女性たちが主人公。登場する女性たちは、どこかその町の雰囲気を重ねあわせています。高円寺のマドカは古着屋の店主で雑多な空気に馴染んでしまっていますし、西荻窪の劇団員・茜は微妙な存在感のなさに悩んでいる。武蔵境の中学生キョウコは23区に出たいと強くねがっていたりします。 中央線の街の特徴が、よりわかりやすいしているかもしれませんが、彼女たちの気持ちは上京してきた者、特有の気持ちがあって、なんとはなしに共感してしまうのです。 『中央モノローグ線』に登場する彼女たちも皆、様々な理由でそこに住んでいます。前向きな気持ちもあれば、早く出たい気持ちもあります。でも街の情景は彼女たちの心の残っていきます。 『中央モノローグ線』は中央線に住みたく成るという漫画というわけではないのです。そこで描かれているのは、東京に住んでいる、顔も名前も知らない誰かの生活です。けれども、読んでいるうちに自分自身もまた、顔も名前も知らない誰かであること実感し、なんとなく温かい気持ちになる気がするのです。東京で一人暮らしの人にこそ読んで欲しいですね。マタタビドングリアンパンコスモス楽園記 ますむらひろし名無しどこか遠くに、遥か遠くに逃散したいというのは、金持っていようが彼女がいようが、誰もが持つ願望ではないでしょうか。僕が想像するどこか遠くは『コスモス楽園記』のロバス島のイメージです。 作者のますむらひろしといえば、ヨネザアドという物言う猫と人が共存する世界を描いた「アタゴオルシリーズ」が有名です。『コスモス楽園記』も等身大の猫がでてきますが、舞台は現代日本となっております。 主人公は番組制作会社に勤める藤田光介という青年。「秘島探検シリーズ」という番組の下調べのため、無人島であるロバス島に単身向かった光介は、そこで二足歩行の猫による街を見つけてしまうのです。驚き戸惑う光介は、“マタタビドングリアンパン”という、島でご禁制のブツを楽しんでいた文太という猫に出会い、猫の社会に入りこんでいきます。ロバス島の掟で、人間社会にもどれなくなってしまった光介は、人と同じようだけど、どこか異なる猫たちの文化を目撃していきます。 巨大迷路を抜けないと診てくれない「迷路医者」、すべてのオキアミの救済を祈る「オキアミ教」、ゴッホの絵画にでてくる建物そのままを設計するジプレッション氏など、人間の文化を下敷きにしながらも、猫達の文化は独自に発展しているのです。 猫達がなぜ、このような文化を築くことになったのか、その創造主は誰なのかという問題に対して物語はハードに展開していきます。が、基本的に南国雰囲気なロバス島の和やかな日常が描かれています。 椰子の木に囲まれた露天風呂に入りながら寿司を食べたり、谷川の水で沈んだ街の底にある、潜水具をつけて行く床屋、海に沈んだ幻の酒・ジョジマアルを飲む昼下がり…。現実には体験できないけれど、自分がそこにいるような気持ちにさせてくれる、そんな不思議な漫画なのです。もし、漫画の中に入れるのなら、僕は間違いなく『コスモス楽園記』を選びます。1体で軍隊を全滅させる生物兵器!!シェイプシフター 岩井トーキはる※ネタバレを含むクチコミです。 綿密な取材で構成されたパーツショップの内情マンガパーツのぱ 藤堂あきと名無し当たり前ですが、漫画は漫画雑誌にだけ掲載されているものではございません。一般誌や女性誌のなかには漫画が連載されてるものも多いですし、モデルガンやカードゲームなど趣味性の強い雑誌でももちろん掲載されています。囲碁の雑誌や昆虫の雑誌でも連載漫画をみたことがあります。今は大分少なくなってきていますが、パソコン雑誌が大量に発刊されていたころ、やっぱりさまざまな漫画が連載されていて、そんなにパソコン雑誌を読む方ではなかったのですが、『PCコマンド ボブ&キース』(なにげに単行本が三冊もでていた)という、アメコミ調の漫画がいろんな意味でぶっ飛んでいてよく読んでいました。 この『パーツのぱ』もパソコン雑誌の「週刊アスキー」で連載されている作品です。専門誌で掲載されている漫画は、その性質上、ルポものが多いのですが、『パーツのぱ』は完全なストーリー漫画。秋葉原のパーツショップ「こんぱそ」に勤める魅力的なキャラクターが織りなす日常が描かれております。 パソコンパーツに詳しいベテランで年齢不詳ツインテールの本楽、平凡な青年で特徴といえばドジをやらかすことの入輝、あまりパソコンパーツに詳しくないけど大きくて美しい天戸、仕入れなどの裏方作業を完璧にこなすアフロの手木崎など魅力的なキャラクターが、短いページ数で少しずつ少しずつ浸透していき、ゆっくりと世界が広がっていきます。 とはいえ、綿密な取材で構成されているらしくパーツショップの内情が詳しく描かれています。他店の価格を知るためにあれやこれや画策したり、万引きをあの手この手で捕まえたり、社員の着服が問題になったり…。暗い面もきちんと描かれているのも魅力の一つです。 『パーツのぱ』は、1話が2~4pと、週刊連載漫画の通常である16pに比べると圧倒的に少ないページ数の作品です。だからといって、内容がスカスカなわけでも説明不足なわけでもなく、ゆるく前後の展開とつながりつつも一話ごとに導入うと盛り上がりがあるので、不思議な読後感があります。なんとなくですが、NHKの朝の連ドラに近いような、連綿とつづきながらも飽きがこずに、ずっと読んでしまう感じ。これは、きっと普通の漫画雑誌では生まれてこない読後感なのでしょう。戦争という極限状況で、何よりも大事な物資を手配する兵站を描いた作品大砲とスタンプ 速水螺旋人名無し学生の頃、友達の家にものすごいヨレヨレのエロ本の切れ端が置いてありました。あまりにも使用感丸出しで、若干引きながらも聞いてみると、「ひと夏の思い出なんだ」と彼は遠い目をしながら言うのでした。後からわかったのですが、それは山岳部の一月続く縦走の際に持っていたものとのこと。危険な山では、水と食料が最優先。一冊まるごとエロ本を持っていくことができないので、お気に入りのページを切り取って隙間に詰め込んでいたとのことです。なんだか、エロ本の切れ端が崇高なものにみえてくるではないですか!普段の生活で、我々はすぐ物が手に入る状況にいるのだなあと思い知った経験です。 戦争という極限状況で、何よりも大事な物資を手配する兵站を描いたのが『大砲とスタンプ』という作品です。この作品を読むと、補給線の大事さと、正論をタテに物事をうまく進める方法が同時に身につきます。 兵站軍は、輸送や補給を主な任務とし、直接戦闘に参加することはそう多くありません。ひたすらデスクワークの連続で他の部隊からは「紙の兵隊」と揶揄されています。 主人公はマルチナ・M・マヤコフスカヤ。アゲゾコ要塞補給廠管理部第二中隊に配属された女性少尉です。 戦場ではしばしば、現地の状況とかけ離れた命令を、少しの不正で上手く回らせていたりもしますが、彼女はそれを許しません。たとえ食糧が尽きた非常事態だろうが、奇襲をうけた戦闘状態だろうが「責任問題ですよ!」といってかき回していく四角四面の女。実際にいればかなりイヤなタイプです。 彼女のその並外れたクソ真面目さと融通のきかなさが騒動の素となり、時には武器になっていくのです。 あるとき、憲兵隊に睨まれた第二中隊は、ついに彼女に本気をださせることにします。「手を抜かず存分にやれ」といわれた彼女は、書類のつづりの間違い、書式の違い、ハンコの薄さなど、ありとあらゆる普通の人はどうでもいいことを指摘し伝票を突っ返し続けます。マルチナの言うことは言い返すことのできない正論。やがて憲兵隊の仕事はマヒしてしまうのです。ついに憲兵隊から「あの女は悪魔です!」と呼ばれるマルチナには悪意はなにもないのです。ただルールを守ることが彼女にとっての正しさなのです。 伝わっているいるはずの話が伝わってないとか、現場でいつのまにか独自ルールができていたりとか、やたら官僚的な人間によって引っ掻き回されてしまうとか、組織である以上、軍隊も会社となにもかわりません。ガタガタしながらもなんとなく組織が機能してしまうんですね。 戦場という極限状況でも、今の我々と変わらず命令ひとつで右往左往してしまう、そんな滑稽さがこの漫画にはあるのです。実はすごい漫画なのではあせとせっけん 山田金鉄名無し体臭で引き合うってほぼ人間の本能なので、ベストマッチなカップルに違いないですね。 そしてエロい! 天才しかかけない漫画ALL NUDE すぎむらしんいち名無しALL NUDE タイトルそのまま、女性が裸になったり色々。 「もし〜が〜だったら」のような誰でも考えそうなことをここまで広げられるのはすごい。 なんだこれ〜!面白い〜〜! 感想をかくとするならば「エモい」としか言いようがない。 発行1990年代? まったくそう思えないくらい今の漫画に思える。 シュールな話多めだけど癖になる。 漫画好きは読んでおいて自分の内側に引き出しを増やすべし!変わった構成のマンガ北の翁〜無双絵師異伝〜 ふじいきよみつ名無し葛飾北斎の作品にまつわるエピソードと、いかに絵にすべてを捧げた人生だったかが分かりやすく描かれている。 曲亭馬琴て誰だと思ったら、滝沢馬琴のことだったのね。 もしこれが連載化したら面白いことになると思う。あいだにはたちあいだにはたち さおとめやぎむ高校生と38歳のおねえさんが互いに騙し合いながら恋愛したりレベルの高い遺伝子を求めようとしたりする漫画何です。なぜそこ深掘りしようと思った?ってテーマとストーリーの流れですが地味に面白いので続きが気になってしまいます。リアルに間二十歳離れてる歳の差カップルはそんな珍しくもないのかもしれませんが両者とも色々秘密があって面白いです! 陸より空の方がいいような気がしてきた前略 雲の上より 竹本真 猪乙くろ 竹本真名無し電車や新幹線も好きだけど、空港など巨大な施設も昔から好きで、飛行機に乗るたびにワクワクしていた。 けどこの漫画を読んで自分は空港の魅力をほとんど知らずにいたことを知った。 パーキングエリアみたいに、飛行機には乗らずに空港で遊ぶだけでもアリな気がする。 ただ、課長がめんどくせ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!恋人の前で〇〇できる?スイートプロポーズ 二階静名無し生理現象だから、という正論は置いといて、やっぱりしちゃったら恥ずかしいし、されたらガッカリなんてことは誰でもあると思います。 この読切を読んで思うことは、 「ぷう」だけで済んだユリちゃんは幸運の持ち主だし、 「ぷう」だけであんなに動揺する拓男は小さい男だなと。 あとユリちゃんは拓男の前ではパーフェクトな女の子を演じてるだけで家ではおっさん女子だと思う、なんとなく。精神疾患を患った子供たちをもつ親「子供を殺してください」という親たち 鈴木マサカズ 押川剛地獄の田中ショッキングなタイトルだが実話をもとにした深刻な話。精神疾患を患った子供を持つ親からの相談を受けて、子供を病院などの医療と結びつける仕事を請け負うトキワ精神保健事務所の話。 統合失調症やアルコール中毒が家庭を壊していく姿は真に迫っていてとても恐ろしい。ただ、「恐ろしい子供達」として子供を加害者、親を被害者と一方的な関係にしてしまうのではなく、子供が精神疾患を患った経緯にきちんと目を向けている点が素晴らしい。 登場する押川さんは原作者であり、トキワ精神保健事務所を立ち上げ活動している本人でもある。 役立たなければ実用本じゃない面白くなければマンガじゃない平松っさんの心理学 高倉みどり名無しこのマンガの第一巻の表紙を見たときに 「心理学の実用マンガみたいだが、そもそも あまり買いたいと思わせない表紙だな」 と思った。 ところが折り返しの解説文に この表紙が色々と心理学を盛り込んだ デザインであることが説明されていた。 それを読んで、え、あ、そうなの、ふーんと 納得はしつつも 「え、じゃそういうことを全く感じなかった 自分っておかしいのか?」 と、へんな興味がわいた。 偉そうな言い方になるが 「ほほう、ならその心理学とやらを 教えてもらおうではないか」 みたいな少々喧嘩腰みたいな姿勢になった。 で、買って読んだ。 面白かったし、勉強になった(笑)。 食品会社の営業現場で仕事に恋愛にと発生する問題に 色々と心理学が応用され解決される。 マンガって少なからず都合が良すぎたりわざとらしい展開とかが 出てきたりするし、それが実用マンガとなると 余計に「そりゃ出来すぎだろ」という話になりがちだと思う。 ヒドイ自称・実用マンガになると、 ありえない話の展開で都合よくハッピーエンドになって、 それでいて役に立つ知識なんて無くて、そもそも マンガにしたことで解りやすくも面白くもなっていない、 というダレトクなんだよ、といいたくなるものもある。 説明セリフばかりで絵適にまったく芸がなかったり。 「平松っさんの心理学」も解説文は多めではあるが、 適度な範囲内だと思う。 最初は、都合の良い話だなあと思う展開もあったが、 第2巻では池田君(主人公?)がドツボに嵌ったり 立ち直ろうとあがいたりもして、 その辺の葛藤とかもマンガとしてチャンと絵で 面白く描かれてあると思う。 それに当初はクールで自信家のキャラかと思った 七尾さん(ヒロイン)が、実は心理的に微妙な部分が あったみたいで、 二人の恋の行方は心理学的な対応が とても重要な感じになっていって・・。 その辺の話が、作者の話の展開が上手いのか、 絵が上手いのかとかで、わざとらしくなくて 面白いマンガになっていると思った。 心理学をマンガ作品にすることで、 解りやすく面白く勉強になるようになっている、 マンガ化したことの意味がある作品だと思う。 おっさん大好き女子大生トコさんがおっさんを喰いまくる漫画。トコR55 イワシタシゲユキマンガトリツカレ男おっさん大好き女子大生トコさんがおっさんを喰いまくる漫画。 直接的なエロい描写はないんだけど、毎回最後におっさんが救われているのがいいな 掲載誌だった漫画ゴラクの読者層をターゲットにしているのかな? 庭がテーマの少し不思議な短編集にわにはににん 中野シズカnyae個人的には、最初と最後に出てくる庭師さんの日常のお話がすきです。ビームで連載してるてだれもんらとリンクしています。 日常に潜むファンタジーや不思議な出来事が庭を舞台に繰り広げられる、ひとつひとつのお話の完成度が高い短編集でした。 人の感情や記憶に呼応するように、庭がまるで生きてるかのような描写が印象的です。 創作活動に触れる全ての人々に送る物語まくむすび 保谷伸sogor25主人公の土暮咲良(つちくれ さくら)は中学の頃から密かにマンガを描き続けていたのだが、本当に些細な、でも本人にとってはとてつもなく大きなきっかけによって、完全にマンガを書くことを諦めてしまう。そこから高校に入学し、新たに部活に入るという段階で出会ったのが"演劇"だった。 創作活動に対して挫折を味わった主人公が、それまでの経験を活かせる、でも全く違う分野で新たな創作活動に光を見出すという物語。個人的には、挫折から新たな才能を発露するという展開を高校1年生までの非常に若い年齢までの中で、しかも1話の導入の段階ではっきり描いていることを凄く新鮮に感じていて、またその導入があるからこそ、作品全体としてはとても軽妙な雰囲気なのに、作品のバックグラウンドに大きな熱量を感じられる作品になっていると思う。 この作品を読んだ時に2作品ほど頭の中をよぎった作品がある。1つは「フェルマーの料理」。こちらは数学の道に挫折した主人公が料理の道に活路を見出すという物語。主人公が目標を見つける経緯には近いものがあり、理系主人公の作品が「フェルマーの料理」なら文系の作品は「まくむすび」と言えるかもしれない。 もう1作が「イチゴーイチハチ!」。こちらも主人公は怪我という形で野球の道に挫折するが、それまでの経験とは全く異なる生徒会の活動に邁進していく物語。個人的には、最初は半ば強引に引き込まれたものの周囲の人々の影響で徐々に演劇部に馴染んでいく咲良の様子が「イチゴーイチハチ!」の主人公・烏谷や幸に重なって見え、今年惜しまれつつも完結したこの作品のロスを抱えるファンの心を埋める作品になってくれるんじゃないか、という期待をしている。 最後に、これは本当に全くの偶然なんだけど、2019年7月19日という日に「創作活動に対して挫折を経験した主人公がまた創作活動に向き合っていく物語」である今作の1巻が発売され読むことが出来たということは私にとっては救いだった。創作をする人であってもそうでなくても、この作品に触れることでどれだけ傷ついても前を向いて歩んでゆける、そんな作品になっていくのではないかと思う。 1巻まで読了漫画って狂喜の産物なんだなそしてボクは外道マンになる 平松伸二名無し※ネタバレを含むクチコミです。緊張感のなさ明日のエサ キミだから 若杉公徳やむちゃすごい、なめた感じのサバイバル漫画ですっ! なんでだろう?絵柄? 若杉公徳って…下手に見えるのにキャラがすぐ理解できるし、やっぱりうまいんだろうなぁ。なんか読んでてニヤニヤしちゃうんですよ。怪物に食われたりしているのに。 シリアスさがはっきり言ってゼロなので気楽に読んでください。 日本再発見的面白さふしぎの国のバード 佐々大河やむちゃイギリスの女性冒険家イザベラ・バードが明治の日本を旅した「日本奥地紀行」をベースに描かれた漫画だそうです。 冒険家って…なかなかいないし全然わかりみないですよね。共感とか難しい。でも漫画を読むと、確かにこの時代の日本に、外国人(しかも女)が旅をするなんて本当に大冒険だっただろうと思うのです。文化の違い、ありすぎでしょ。そう考えると時代が進むにつれて、冒険できるような未開の地ってどんどんなくなっていくのかな…とか感傷的になりますね。 読んでいると、知らなかった日本のことが多く語られて、新鮮な気持ちで、それこそ外国人の視線で客観的に楽しむことができます。 他の方のコメントにもありますが、なぜ乙嫁語りに似た空気を感じるのか、それが気になりますね。賢くて可愛いヒロインだからでしょうか?魂の一致というあまりに必然的な関係性神絵師JKとOL腐女子 さと兎来栄寿全世界が待ち望んだ『フラグタイム』さとさんによる百合マンガです。 タイトルを読んで字の如く、あまりに尊い推しカプの絵をSNSにアップし続けてくれる神様が、実は年下どころか女子高生だったという実際にあってもおかしくないお話です。 オタクにとって解釈が合うかどうかというのは死活問題です。生きる糧になっている程の作品におけるカップリングや解釈が合わない時の悲しみ・辛みはエイトケン盆地より深いもの。逆に言えば、それが一致する相手との出会いは正に奇跡。 本作の二人は、そういう意味で奇跡的な相性を持っていました。二人ともパーソナリティ的には若干残念な部分がありつつ、しかし二人で推しについて語り合う時間の楽しさはすべてを忘れさせてくれるもの。 JKの方が上げた絵に対して毎回真っ先に長文感想を送っていたOL、そしてJKの方もその感想をとても楽しみにしていたという美しい構図もあり、二人を結びつける絆の必然性を強く感じさせてくれます。 巡り会うべくして巡り会った運命の二人の間に年の差などという障害は無いも同然。優しく穏やかに関係を深めていく二人の様子をただただじっと眺めていたいです。 オタクとしての在り方が確固たる主人公の様子だけでも共感する所は多く、百合要素抜きにしても楽しめる作品です。別に面白いとかおもってねーし!!スーパーヒロインボーイ ぱらりたか別にこの漫画面白いとか思ってねーし。心の中でキメェとか思いつつ子ども向けアニメを見て、すっかりハマってしまう気持ちがわかっ...るわけねーだろ!! ズブズブ女児アニメにハマっていく強面の不良高校生とかマジだせぇし。その不良DKを支えようと頑張る爽やか男性新米教師(オタク)との絡みに萌えたりしねーし。作中に出てくるモブの細やかな裏設定とか全然面白くねぇし。しかもそのモブもGL・BL・ほのぼの家族をカバーしていて、「作者は一体何者なんだ...!?」って感心したりしてねーからな!! アニメを見たあと2ページにわたって、学校にいながら頭の中でずっとそのアニメについて難癖つけてる大石がまじウケるぜ。こいつもうすでにハマってやがる...! ...とまあ、このような感じで、読後は大石くんの10代らしい素直になれないツンツンしたノリが移ってしまいます。大石くんかわいいよ、大石くん。ちなみに作中ではたびたびコメディ漫画らしからぬ描き文字が登場したり、爽やか教師・うっちーの表情が邪悪になったり猥褻になったりと、本筋に関係ない見どころも多いです。 大石くんとアニメの付き合い方、先生や友達とのふれあいを見てると心がほかほかしてくるので、ぜひ笑って癒やされたいときに読んでください。 真面目で暑苦しくて、それでいていい加減なプロレス馬鹿たちの物語アグネス仮面 ヒラマツ・ミノル名無しなぜだか無性に覆面レスラーがかっこ良く思えてきて、勢いでルチャリブレの写真集なんぞを買ってしまいましたが、特にプロレスファンというわけではありません(僕のプロレス知識はスーパーファイヤープロレスリングで終わっている)。ただ、マスクマンのおどけながらも真剣な在り方になぜか惹かれてしますのです。 そんな気持ちにさせてくれたのが『アグネス仮面』という相当な熱血馬鹿漫画。真面目で暑苦しくて、それでいていい加減なプロレス馬鹿たちの物語です。登場人物は皆、少し抜けていますが、それだからこそまっすぐな熱いドラマを魅せてくれるのです。 主人公の山本仁吾は大和プロレスのプロレスラー。長い海外修行から帰国した仁吾は、大和プロレスの社長・ジャイアント安藤(ジャイアント馬場ぽい)が死に、さらに大和プロレスが帝日プロレスに潰されてしまったと知ります。旧大和プロレスのプロレスラーは散り散りになり、海外にいたため皆から忘れられていた仁吾が、最後の大和プロレスのレスラーなのです。ジャイアント安藤の奥さんにそそのかされ、帝日プロレスに道場破りに向かった仁吾は、そこで帝日プロレス社長のマーベラス・虎嶋(アントニオ猪木っぽい)に勝負を挑みます。引退して2年のブランクがある虎嶋に完膚なきまでに叩きのめされた仁吾は、強制的に日系ブラジル人の覆面レスラー・アグネス仮面に仕立てあげられ、なぜか帝日のリングに立つはめに…。こうして仁吾の覆面レスラー人生が開幕するのです。 才能あふれる若きレスラー・仁吾は周囲の様々な人に振り回されます。アントニオ猪木に似ているマーベラス虎嶋がまず酷い。とんでもない無茶は言う、約束は守らない、言ったことは全て忘れる。そもそもアグネス仮面という名前もアマゾン仮面と間違えてつけただけなのです。しかし、仁吾はそれらの指示になんだかんだで従い、がむしゃらに達成してしまう。自分でもなんだかわからないまま、仁吾はアグネス仮面として活躍してしまうのです。 周囲の人たちはみな、目標に向かって真っ直ぐで、熱くて、ただすこしばかりテキトー。ときに凄惨なシーンもありますし、ショックな場面も出てきますが、プロレスに対する疑問はかけらも出てきません。なぜ彼らがプロレスに夢中なのか?なんてかけらも出てきません。ただただ、プロレスが好きで、プロレスが最強だと信じていて、その気持ちを裏切らないように生きていく人たちの熱き物語。 ここで描かれているのはある種の楽園のようなものかもしれないと思います。先生と僕先生と僕~夏目漱石を囲む人々~ 香日ゆら名無し新選組BLに伊達政宗×真田幸村…、腐女子の人たちは元気だなぁと思う僕も、三国志武将美少女化だの、大戦エースパイロット美少女化だの、艦隊美少女化だの、そういった作品を楽しんでいるので、まったく人のことはいえないわけです。それにしても、いわゆる擬人化(とても幅がありますが)は、面白い作品が多いですね。元になる“キャラクター”の関係性がしっかりしているから、作品自体も面白く、はまっていくと元ネタ・オリジナルへの興味が湧いてくるという一粒で二度美味しいのが擬人化作品なのです。 『先生と僕~夏目漱石を囲む人々~』は、夏目漱石とその周囲の人間たちのエピソードを4コマで描く作品です。夏目漱石について全く詳しくない僕からみても、相当な資料を読み込んだ上で描かれていることが容易に想像がつくほどの情報がつまっております。膨大な情報の中から、漱石と彼を慕う人たちの細かな人間関係の機微が浮かび上がってくるのです。 同輩の正岡子規や中村是公に見せる顔と、教員時代の教え子にあたる松根東洋城や小宮豊隆に見せる顔、ずっと年の離れた芥川龍之介にみせる顔はやはりちがいますし、彼らの夏目漱石への慕い方もまた違います。そういった人間関係の機微に焦点を合わせたこの作品を読むと、どんどん夏目漱石コミュニティのファンになってしまうのです。 数多くの登場人物のなかでも、一番気になるのは寺田寅彦です。物理学者としても随筆家としても著名な寺田寅彦は、熊本の第五高等学校時代に教師だった夏目漱石と出会います。漱石と寅彦は、師弟であり、また友人でもあり、『先生と僕』でも漱石にとっての特別な人間として描かれています。 漱石門下のみなが、「誰が一番漱石に愛されていたか」を語る時、もちろん皆が「自分が一番」といいますが、それは寺田寅彦は別格として。用はなくとも先生に会うためだけに家に行き、忙しいといわれても帰らず、行ったからといって何をするでもない。なんなんだお前は…と言いたくなるほどマイペースです。 そんな寅彦と漱石のエピソードで一番心に残ったのが、正岡子規と今生の別れをする話です。ロンドン留学が決まった漱石が、病床の子規を見舞おうとします。これが2人が会う最後の機会…。漱石はそこに寅彦を一緒に行こうと誘うのです。2巻に収録されたこのエピソードからは、漱石と寅彦、ふたりの思いやりが交錯して、なんともいえない気持ちになります。あえて言葉にすれば“萌え”。 膨大な資料に則って描かれる『先生と僕』がなぜ、擬人化作品なのかといえば、“人物”が“キャラクター”として生まれ変わっているからです。作者によって歴史上の人物から生まれ変わったキャラクターが織りなす関係性の楽しみ。寺田寅彦の写真を検索して微妙にガッカリしている場合ではないのですよ!<<519520521522523>>
昔から、いろんな漫画のキャラクターによく似ていると言われます(悪い意味で)。特に、カラスヤサトシさんの自画像そっくりとは長いこと言われてきました。最近では『ギャングース』のカズキ(デブ、メガネ、手足短い)とか『バキ外伝 疵面 -スカーフェイス-』のグランド・マスター(チビ、アゴなし、オカマ)なんて言われて、歯噛みしてますが『なのな フォト ゴロー』の主人公・ゴローには、見た目や動きをふくめて強い親近感を感じています。 谷師悟郎はいつもオドオドして、人にあやまってばかりいる30歳。務めている製菓工場とアパートを行き来するだけの毎日で、工場でも軽く邪魔者扱いされています。帰りのバスでは「明日も嫌なコトしか起こらないだろう」と絶望したりします。 そんなゴローにも生きがいはあります。それは飼い猫のフォト。世界一かわいいこの猫だけがゴローの支えなのです。そんな、なんとなく孤独で、なんとなく未来が見えないゴローは、なのなという女の子とフォトを通じて出会います。 なのなは町で偶然フォトに出会い一目惚れ。思わず連れて帰ろうとし、そこでゴローと出会います。なのなは街の小さな雑貨店で働いていますが、やっぱりなんとなく孤独だったり悩みがあったりします。 ただ、なのなは落ち込んだりしても外には出さないタイプなので、「ボクなんか毎日嫌なコトしかないしずっと落ち込んでる」と簡単に口にするゴローにイライラしてしまうのです。 この二人と、フォトを中心に、大きな悩みはないけれどなんとなく閉塞感がある人たちの日常が描かれていきます。 ゴローのただ流れるだけの人生は、なのなとの出会いで少しずつ広がっていきます。なのなの人生も同じように少しずつ広がっていくのです。 この『なのな フォト ゴロー』とてもゆったりとして、可愛らしい作品なのですが、僕にとっては切実です。このゴローが幸せになれるのかが、ボクの人生が幸せになるかどうかの瀬戸際な気がしてならないのです。ちゃんとゴローに普通の幸せが訪れて欲しいと、切に願っています。 とはいえ、見た目も性格も自分にそっくりなゴローが幸せな目にあうと、それはそれで嫉妬を感じるものですね。