暴力はいかなる場合も良くないというのは前提として、自分の大事な人が誰かの悪意によって傷ついたとき、自分はなにが出来るだろうかということを考えさせられる話でした。あと観光地でご当地限定のソフトクリームがあったら絶対食べますね。
・読んだ直後に思ったこと ※一番大事!※ 読み始めた直後のある「この漫画作品はフィクションであり、実在の人物や団体などとは関係ありませんが、実在する人々の切なる想い、祈りには大きく関係しています」の文の時点でグッときた ・特に好きなところは? 本編には全く関係ないが、裁判長が「家裁の人」の桑田義雄っぽかったこと ・作品の応援や未読の方へオススメする一言! 漫画の詳細に関してはあえて触れないですが昔のスピリッツっぽい漫画だとは思ったね
裁判官の話です。 とっても優しい裁判官で、自分が裁かれる際にはこんな裁判官だと良いなと思っております。 離婚や10代の妊娠、家庭崩壊、引きこもりと、金八先生で扱うような設定をしっかり考えて裁いています。 暖かい作品です。
悔しいとか憎いとかいう思いを漫画に昇華するのはアリだと思いますが、そういう感情の乗った事実をそのまま漫画にするのは否定派です。 (漫画により誰かを傷つけたいという感情が孕むから) でも知って欲しかったんですね、なんか事件よりも夫は苦しんでた、という事実を知ってほしい気持ちの方が伝わってきました。 魚戸さんの優しい画風であるから尚のこと笑顔のコマとかじんわりと…
以前に赤木雅子さんと相沢冬樹さんのノンフィクションを読んでおり、連載が始まったと知った時、単行本を楽しみにしていました(確か6月くらいに発売予定が出たので、伸びたのにやきもきしていました) 流石に森友事件を知らない人はいないと思いますが、幸福な夫婦を襲った不幸な事件であることは、論を俟たないところです。 赤木さんという人は、官僚として誠実に職務を果たそうとした人でした。本来の官僚というのは全体への奉仕者であり、特定の人間への利益を優先させるようなことを許容することは自己の存在を否定する事になります。己の職務が犯罪へと繋がるとなれば、官僚でなくとも耐え難いことでしょう。まして、仕事にプライドを持つ人であれば、その苦痛からの解放のために「最後の手段」を用いてしまったことへ何か言うことは出来ないと想像します。 ただ、遺された家族は違います。誠実に生きた人生に何が起きたのか、その事を知り、故人の名誉や尊厳を取り返す権利があります。たとえそれが権力者にとって不都合な出来事であったとしても。 この物語は、遺された妻の戦いの物語です。これからどれほど険しい旅路が待つのか、読者はただ見守るとしかできません。でもささやかながら、マサコちゃんへエールを送れればと思います。
去年完結した作品ですが、短期集中連載で戻って来ました。 コロナ禍において終末医療のあり方も変わるのでしょうが、4回の集中連載で、我々にも起こり得るであろう物語を提示してくれていました。 この1年、世界は大きく変わりました。望んだ結果ではなくても、無縁でいられた人間は皆無でしょうし、大袈裟ではなく生き方や死に方に関わることでした。 コロナに関わらず、最終章では選択を突きつけられる。そのことを考える、少しだけ早いかもしれない教材かもしれませんが、きっと得るものがあるんじゃないかと思います。 今だからこそ、考えるテキストとして素晴らしいタイトルだと感じました。
臨終の場に自宅を選んだ患者と向き合う看取りの医師の漫画で、どうせ一回は死ぬのだったらいい最後を迎えるのはどうしたらいいかを考える機会になった漫画だった。連載中もずっと楽しみに読んでいたが、最終エピソードに関してはそんな面白さはとんでしまい、現実世界とのリンクがあるのかとすごい不安になってしまった。 ちなみに俺の理想の最後としては松本零士の「古本屋古本堂」の主人公のように臨終の際に夢の中で自分の探している漫画を見つけた喜んでいる状態で死にたいもんだな。 その後諸星大二郎「栞と紙魚子と夜の魚」の「古本地獄屋敷」にいる”古本マニアの怨霊”として復活したいね
主人公は最高裁判所判事の息子でと本人もの成績優秀だが、少年事件の解決と彼らの更生に使命を感じて地方裁判所で働いている。 扱うのは大きな事件とかでなく離婚やら相続問題や家庭の問題などのテーマが多く主人公が植物と絡めながら問題を解決していく。 日頃は温厚派っぽいがたまにすごい厳しい時もある。昔も良かったけど今読んだ方が面白い
オゾンホール問題やダイオキシン問題など、日本において環境問題への意識が最高潮に高まっていた90年代。その最中に連載されていたのがこの「ケントの方舟」です。 私の好きな「家栽の人」毛利甚八&魚戸おさむコンビなので、”良い漫画”として紹介をしたいのけど…いやいやこの漫画、なかなかの過激な思想を持つ漫画でした。 ゴリラの研究をしているサル学者・森野賢人が区議会議員選挙へ打って出て、型破りなやり方で環境保護政策を進めていくというのが基本ストーリーです。 森野の穏やかな表情とは裏腹に、突拍子もない構想を抱いている事が次第に判ってきます。 例えば、ゴリラのために東京都内に森を作り、森の壁で分断しようとする案。 さらにはゴリラと人間をかけあわせて森と人間の融合を図る案など、どう考えてもヤバい思想です。 環境問題に熱心な人ですら同意困難なレベル。 そういった考えを公に発信しているわけではないものの、ふとした時に本音が漏れ出てくるというか。もちろん漫画の中では肯定されています。 おそらく森野の中で優先順位は、自然>ゴリラ>人間なんです。 環境問題が加熱していた時代特有の狂気を感じました。 おもわず「マッド・エコロジスト」という言葉が頭に浮かんだので、ここに書き残しておくことにします。
このタイトルにこの表紙だと、弁当を扱う食マンガと思われがち。確かに食マンガであり弁当ネタも多く出てはきます。ただ、私はむしろ教育的な部分が大きい作品だと思うんです。主役は國木田大学農学部のちょっとかわった講師・結城玄米。この人、授業にぬか床を持ちこむは、大学に勝手に畑は作るは、やることなすことマイペース。ですがその正体は食文化史のエキスパート。「食べることは生きること」という信念に基づいて、一家で囲む食卓の大切さや、食べ物に対する感謝の気持ち、食文化のありがたさを身をもって教えてくれる、言動一致の人。そして彼の想いは関わる人たちにしっかりと受け継がれていきます。それは母親への気持ちの変化であったり、郷土料理の本質を深く知ることであったり。それを通して教え子たちが成長していく過程が感動的で、うらやましくもあります。押しつけがましくないのに、すっと人の心の中に入ってくる玄米先生の授業だったら、何度でも受けてみたいですね。私も農学部出身なので、もしこんな先生がいたら今ここでこの原稿を書いてはいなかったかも。
暴力はいかなる場合も良くないというのは前提として、自分の大事な人が誰かの悪意によって傷ついたとき、自分はなにが出来るだろうかということを考えさせられる話でした。あと観光地でご当地限定のソフトクリームがあったら絶対食べますね。