遥か彼方まで続く海やそこから寄せては返す波は、それ自体に意味はありません。しかし、人はそこに何かを感じ取ります。ある人にとっては何でもない風景・何でもない言葉が、誰かにとっては特別で掛け替えのないものであることもあります。
『世界にさよならのキスをして』の日々の杏さんがこの短編「海はとおくに満ちて往く」は、波打ち際で粒立つひとつひとつの泡が砂に染み込んでいくように、誰かの心の深いところに繊細に浸透していくであろうシーンやセリフが満ちています。
知らず知らずの内に、誰かが誰かを救って回っているこの世界の営み。その構造の断片だけにでも触れられたとき、愛しみを覚えずにはいられません。
鍵となるアイテムが、メッセージボトルというのも象徴的です。手紙というのは本来誰か特定の相手に想いを届けるものですが、ボトルメールはそれが届くかどうかもわからないし、誰に届くかもわからないし、いつ届くかもわからない。それでも、そのときそこに込められた確かな想いは存在する。そのときにしか込められなかったものが。
「自分が幸せになることを許せない」という想いを抱いたことのある人には、特に響くであろう作品です。
海沿いの街で商店を営み暮らす橘。高校生のときに亡くなった幼馴染・岬希の姪である灯に懐かれ、店では度々2人の時間を過ごしていた。橘の心に強く根を張り、時折身体中をかけめぐるあの日の悲しみ、そして後悔――。幸せになんか、なりたくない。灯の高校卒業をきっかけに、橘の止まったままの時間が動き出そうとしていた。
海沿いの街で商店を営み暮らす橘。高校生のときに亡くなった幼馴染・岬希の姪である灯に懐かれ、店では度々2人の時間を過ごしていた。橘の心に強く根を張り、時折身体中をかけめぐるあの日の悲しみ、そして後悔――。幸せになんか、なりたくない。灯の高校卒業をきっかけに、橘の止まったままの時間が動き出そうとしていた。