1998年が舞台のお話です。ノストラダムスの予言が当たれば来年には人類が滅亡するのに自分は何も残せるものがないと悩む女子高生が主人公。しかしクラスメイトの不良の男子が合唱コンクールで「レット・イット・ビー」を歌いたいと言い出して一緒に行動していくことで、いつも漠然とした抱えていた彼女の心も変わっていきます。

元々プロとして活躍してた人なんじゃないかと思うくらい完成度が高いので、淡々とした話でもオチの余韻が心地よかったです。違ってたら本当に申し訳ないんですがやまあき道屯のタッチに似ているなと思いました。

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モリのアサガオ

死刑を執行する刑務官

モリのアサガオ
かしこ
かしこ

死刑という重いテーマと真正面から向き合った作品です。父親のコネで刑務官になり死刑囚と接することになった実直な性格の主人公・及川。凶悪殺人犯のことが怖いと感じるのは彼らのことを理解しようとしないからだ…という考えに至ってからは、積極的に彼らと関わり更生の道を一緒に模索するようになります。しかし心を入れ替えて自らの罪と向き合ってもすでに決まっている死刑からは逃れることは出来ません。いくら凶悪殺人犯とはいえ国が人を殺してしまう、命を持って罪を償うという死刑制度は本当に正しいのか、主人公は疑問に思うようになります。 登場する死刑囚たちの中でも渡瀬という男と主人公の物語を主軸に描かれていますが、個人的には食堂を経営していた家族を惨殺してしまった星山がメインの回が一番心に残りました。主人公が人形を手作りして家族というものを思い起こさせて自分の罪を認識させることに成功する訳ですが、改心してすぐに死刑が執行される展開にはなんとも言えなくなりました。そういう流れを組みながら親友と言えるまで深い仲になった渡瀬からの「死にたくない」という望みを主人公が却下したのには驚きです。最終的には疑問を持っていた死刑制度についても、死と向き合うことが自らの罪を反省するきっかけに繋がるんじゃないかという考えになっていました。 しかしモリのアサガオ2で、渡瀬の死に携わってから主人公が精神を病んだことが描かれていて、やはりこの問題は深い森の中にあるのだなと思いました。

世紀末JKの日常

せいきまつじぇいけーのにちじょう
著者:鳴果なる
せいきまつじぇいけーのにちじょう
世紀末JKの日常
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風呂屋のフーコ

風呂屋のフーコ

昭和後期、大阪にある銭湯「舟出湯」で働く少女・風呂宮風子は元気溌剌な小学5年生。番台についたり、釜場の掃除を手伝ったり、銭湯を行きかう町の人々と触れ合ったり。風子の目を通して見える、どこか温かく、ときに切ない、ささやかな日常の物語。

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