自分を大切に、それがいちばんにコメントする
うちの母は今日も大安

素敵で前向きで偉大なお母様 #1巻応援

うちの母は今日も大安
兎来栄寿
兎来栄寿
私がありまさんを認識したのは、Twitterで公開されていたこの本のChapter1 第1話にある 「アメリカで事故ってハッピーバースデーを歌ったうちの母」 でした。 アメリカのスーパーの駐車場でバックしていたら、ショートカットしようとしたおじさんと衝突してしまい烈火の如く怒鳴り散らされたものの、「It′s my birthday」というフレーズを聴き取った筆者の母君が店員さんたちと一緒にバースデーソングを歌うと途端に機嫌が良くなり謝ってくれたというほっこりエピソードです。 本書は、そんな素敵な母君様の心温まるエピソードや人生を生きる上で大切にしたいことが詰まった1冊です。 夫の仕事の都合で行った慣れないアメリカで、言葉が解らないときにどうやって英語を覚えていったのか。 介護でしんどくなってしまったときにどう対処したのか。 子どもが元気がなくて学校を休んだときにはどうしたか。 さまざまな、身近にあるシチュエーションで輝く母君の言動に読んでいて心が解れ前向きになっていきます。 バイクの免許を取ったりフルマラソンを走ったり、いくつになっても新しいことに挑戦し続ける気概や、実家での本格的な擬似縁日開催を全力で楽しむ様子を見ていると「人生の達人」と呼ぶのが相応しい気がします。 私もどちらかというと全力で物事を楽しむ方で、そこに一緒になって楽しんでくれる人が集まってくれることが多くて感謝しきりなのですが、母君様には似た気質を感じて共感します。 他方で、 「好きなものをちゃんと持っておく」 「自分の人生を生きなきゃ」 「そもそも人に謝罪と感謝を求めてはなりません」 といった言葉は、心に留め置いて大事にしておきたいものです。 ありまさんが母君様の言葉や存在によってどれだけ助けられ感謝しているかも伝わってくる内容でした。 心を前向きに持っていきたい方にお薦めです。これを読んで、人生を大安にしていきましょう。
わたしって害悪ですか?~お花畑声優厨の場合~

推し活の光と闇の相転移 #1巻応援

わたしって害悪ですか?~お花畑声優厨の場合~
兎来栄寿
兎来栄寿
推しを推す。 それは、人の営みの中でもとりわけ尊いものです。しかし、何事も過ぎたるは及ばざるがごとし。その行為や付随する感情も、行き過ぎてしまうとむしろマイナスに働いてしまうことが往々にしてあります。 本作は、新米声優・土岐野カエデ(23)を推す会社員・美花(26)の推し活の物語です。 初めてアニメで主役を得たことで、露出が増えファンも増えていくフェーズにあるカエデ。しかし、そうなると必然的にアンチの声も目立ってきます。 本作ではSNSや配信コメント、現場などにおけるアンチの描写がかなりしっかりと描かれており、非常にリアルです。美花は大好きなカエデの活動に支障が出ないよう推し活の延長線上として、そうしたアンチに対する″駆除″活動を行っていきます。ファンは原義を辿ればfunではなくfanatic。光と闇は紙一重です。 ただ正直、美花の行為自体はやり過ぎであるとしても、そこで生じるモヤモヤとした気持ちには誰かや何かを強く推した経験がある人なら大なり小なり共感できるのではないでしょうか。 また、美花のそうした行為が生じている原因のひとつに会社のブラックさがあるのは現代社会の暗部だなと感じます。他の人より仕事が早いと待遇は変わらないのに労働量が多くなるので、生産性を下げることが最適解となる矛盾。昼休みまるまる使っても愚痴を言い足りない部長。そこで溜めたストレスが、推し活での快楽をより大きいものにして依存性を高めてしまう。 そんな美花の愚痴を嫌な顔ひとつせずに聞いてくれて、推し活の応援もしてくれて、抽選にも付き合ってくれる友人のゆずちゃんのような存在は大事にすべきです。主人公が幸せになるのは難しいかもしれませんが、ゆずちゃんには幸せになって欲しい……。 推す熱量の軽さの割に美味しいポジションを確保していてモヤっとするまりんちゃんや、同担で戦友感のある蘭之介さんなど、味のあるサブキャラクターも豊富で今後も楽しみです。 推しは推しても害悪にはなるな、という反面教師的な役割を担ってくれる作品です。
蝶と帝国

帝政ロシアに咲く血塗れの百合 #1巻応援

蝶と帝国
兎来栄寿
兎来栄寿
南木義隆さんが2022年に上梓した小説を、『病月』や『北の女に試されたい』の箕田海道さんがコミカライズした作品です。 赤の広場で演説するレーニンを主人公が暗殺しようとするところから始まる百合物語はなかなかないでしょう。 第1話は丸々カットバックとして使われます。恐らく1920年5月に行われた赤の広場でのレーニン演説の際。すべてを奪われた主人公キーラがその怒りを刃に込めながらも、それをどこに振り下ろすべきか迷いながらレーニンを標的にし、しかし秘密警察に防がれて未遂に終わり捕えられる寸前までが描かれます。1話では、まだキーラの名前も出ないのが特徴的です。まるで、歴史という大海の暗く深い部分で藻屑として消えていったことを象徴しているかのようです。 そして、第2話から舞台は1905年の7月、ウクライナ南部のオデーサ(元々は「オデッサ」と呼ばれていましたが、2022年3月31日から外務省によりウクライナ支援及び連帯を示すためロシア語ではなくウクライナ語に基づく読み方にするという方針で「キエフ」を「キーウ」、「チェルノブイリ」を「チョルノービリ」と呼ぶのと同様に「オデーサ」と呼ぶことに決められました)に場所を移して、本格的に物語が始まります。 美貌と輝かしい未来がありながら暗澹たる過去を抱えるお嬢様のエレナ。エレナの屋敷に仕える、捨て子で故郷も血縁者も持たない16歳のキーラ。世の不条理によって奪われ欠落した部分を互いに埋め合うように、情愛を交わし合う間柄のふたり。その破滅的で危うく、しかし艶やかな営みが狂おしく胸を焦がします。 16歳のころは誰かを憎んだり復讐の炎を燃やしたりといった感情もなかったキーラですが、やがて反ユダヤの機運が高まる中で横行したポグロムという悲劇が彼女を襲います。運命の皮肉と言うべきか、レーニンも実はユダヤ系の血を引く人間でしたが存命中はひた隠しにされていたという事実はキーラも知りえなかったでしょう。 きっと、そこに刃を突き立てられていたとしても本質は何も変わることはない。それでも、突き立てようとせずにはいられない。その身から血と共に溢れる衝動を止めることはでき得ない。人はみな大河の一滴であったとしても、その大きな流れに抗う。その切実な在り方に、強く引き付けられます。 この物語によくぞ箕田さんを抜擢したなと。この黯さと、それだけに止まらない情感の表現をするならば理想的だと感じました。あとがきを読んでも、非常に真摯にディティールにもこだわって描いていることが伝わってきますし、神は細部に宿っています。 今の情勢下であるからこそ、『戦争は女の顔をしていない』や『同志少女よ敵を撃て』などと併せて読んでおくべき作品であると感じます。
いつかてぃふぁにーでちょうしょくを
いつかティファニーで朝食を 1巻
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いつかティファニーで朝食を 14巻(完)
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