部長オブザデッドが最高だったのでこっちも読んでみたら最高でした。最高のクソ川柳漫画。
ごく普通の女子高生・ナナがクソ川柳を読んだら、100年前に死んだ川柳バトラー・センリが呼び出されてしまった!
ナナも強制的に川柳バトラーにさせられ、激しい川柳バトルの渦に巻き込まれていく……というお話。
ナナの読んだクソ川柳がクソすぎて絶対笑っちゃう。クオリティがクソなのではなくて(クソだけど)ちゃんと排泄物としてのクソです。でんぢゃらすじーさんの笑いを女子高生がやることで素敵なシナジーが生まれてます。
うんこ以外の部分でも笑わせてくれるのに、決めるとこはちゃんと決めてくる(うんこで)感じ最高です。
でもオチは綺麗なところも最高です。川柳と言えばこの人だもんね。
猫も人間も、一緒でしょ?どちらの世界も愛する須和野チビ猫の、世界を知る為のスリリングな冒険に「今日もちょっと行ってくるね!」
この作品中の「猫」は、人間の姿に猫耳と尾がついた格好で、人間と同様に「思考能力」が付与されている。
まるで夏目漱石の『吾輩は猫である』のように、猫達は人間を観察し、思索に耽る。
主人公のチビ猫は、とりわけ人間に近い価値観を持ち、猫の世界にそれを持ち込んでは、猫と人間の根本的な違いにぶつかり、悩む。
そうして可愛い仔猫の世界観は、次第にシビアになっていく。
生きることの不思議や、ままならない本能や感情。チビ猫が遭遇する問題意識の鋭さと根深さには、人間である私も唸らされる。
しかし、チビ猫の目に映る世界は、酷薄ながらもキラキラと美しい。彼女がその小さな体で大きな世界(海や野原など)と対峙し、溶け合う時の果てしなく茫洋とした感覚は、読んでいて心地よい。
チビ猫が世界を知る為に、猫にも人間にも、無謀な介入を繰り返す様をハラハラしながら見守り、彼女の猫らしからぬ思索と猫らしい本能の両方を観察させてもらう、そんな作品。