生きとし生ける

門司港の空と海と人を照らすもの #1巻応援

生きとし生ける 長谷川未来
兎来栄寿
兎来栄寿

戦時中から今に繋がる人間模様と、小説家の業が交錯する物語です。 40歳の売れっ子小説家・古賀照人が、祖父のルーツを辿って北九州・門司港を訪れ、実家の居酒屋を手伝いながらアイドル稼業を行う望と運命的な出逢いを果たしていきます。 照人は、祖父が「書かずにはいられなかったもの」を求めて過去を手繰っていきます。人間誰しも自分のルーツがあるもので、それを巡る部分は普遍的な感慨を与えられます。映画化もされ売れている小説家でありながら、祖父の文章から感じるただならぬものの正体を知るために門司港まで来る執着。そして、ある人物からは「傲慢」とも称される小説家としての性質。穏やかな性格の内に燻るものに興趣をそそられます。 戦争については実体験を語れる人もどんどん鬼籍に入ってしまっており、話を聞ける内に聞ける人から聞いておくべきだと強く感じます。教科書に書かれている歴史的な事実は事実として、当時を実際に生きた人の所感はまた違ったもの。本州初めての空襲として知られる門司への空襲ですが、それを6歳のときに体験しているシゲさんが高射砲や曳光弾の光が空を照らすのを見て「きれい」と思った素朴な感情などは、不謹慎で不適切だとして教科書には載らない類のものです。しかし、それは確かにそこにあったものでもあります。そうしたものをいろいろな形で残しておくこともまた意義あることです。 生と死をより身近に感じられた戦時中から連綿と続く人間関係が織りなす数奇な物語、その中で鮮烈に生じたさまざまな感情に惹きつけられます。 戦争を戦っている最中には、まさか曾孫がアイドルになるなどとは想像もできなかったでしょうけど、少なくとも子々孫々の繁栄と平和は祈っていたことでしょう。そして、結果的には日本は今世界の中でも有数の平和な暮らしを享受できています。その礎を築き上げてくれた先人のことを想い、改めて感謝を捧げたくもなりました。 歴史ある門司港がたびたび美しい筆致で描かれるのも趣深さがあります。人間ではなく門司港の海と空にフィーチャーした、淡い色彩の表紙も文学作品との中間のような印象を与えられ素敵です。私はこういう色合いの空が大好きなので、実際に現地で見てみたいと思いました。ついでに、瓦そばも食べたいです。 生きる上で忘れてはならないものを、思い起こさせてくれる作品です。

格闘太陽伝ガチ

国内の格闘技の常識が書き換わったあの時代

格闘太陽伝ガチ 青山広美
さいろく
さいろく

連載開始が2001年らしいので、グレイシー柔術という格闘技が日本中を虜にしていた頃。 当時、プロレスが最強だと信じていた日本の格闘技ファン達を地獄に突き落とした高田延彦vsヒクソン・グレイシー戦。 日本のプロレスが何も出来ずにヒクソンに惨敗した事をキッカケに、日本人の格闘技というものの捉え方が大きく変化しました。 今も当時も、メディアというのは残酷で、当然のようにプロレスは偽物であり強くないという極端な空気を生み出してしまっていたのですが、その壁をぶっ壊し威厳を取り戻すために本気のプロレスラー達が総格に名乗りを上げていったものの、そのほとんどは無惨な結果を残して当時のプロレスファン達の心は離れていく一方でした。 そんな中、桜庭和志がプロレスラーとしてグレイシー一族に連勝し続け、プロレスの威厳を取り戻してくれたのですが… 恐らく本作はその前に構想を練られており、プロレスラーの父の背中を追う少年が、父の仇を討つためにプロレスをベースに総格でのし上がっていくというストーリー。 とはいえ、これが先見の明があったと言えるほど現実ではプロレスが総格を圧倒したわけではなく、桜庭を筆頭にほんの一握りのプロレスラーが軽く爪痕を残しただけでした。 ただ、本作はプロレスファンの心の支えにもなっていたはず。 私は最近読んだばかりですが、当時まさにプロレスファンから総格ファンに心変わりをしていた自分の過去と重ね合わせて楽しむことが出来ました。 漫画的なとんでも展開はもちろんあるんですが、根っことしては「本当に強いのはプロレスなんだ」という中邑の言葉を描くような物語。 当時を知らなくても第三次プロレスブームの現在(既に下火な気もしてますが)、改めて読むと面白いです。