月曜日の友達

海のみえる風景

月曜日の友達 阿部共実
影絵が趣味
影絵が趣味

前作『ちーちゃんはちょっと足りない』に続いて、舞台は海のみえる街、神戸のようです。というより、『ちーちゃん』の舞台が神戸だということを今作に連れられて読み返してみてはじめて知りました。それもそのはずで、『ちーちゃん』には海がそこにありながら描かれていない、真っ白い空白な画面があるばかりなのです。かろうじて海の存在がわかるのは、ナツとちーちゃんが丘の上から海を眺めるとき、ナツがささやか幸せを嚙みしめるシーンと、後半におなじく丘の上でナツがちーちゃんとの思い出をふりかえるシーンの二ヶ所のみ、そこでも海は淡路島のあることだけが示されてただ真っ白く画面にあるだけなのです。そのいっぽうで『ちーちゃん』には、うらぶられた地方都市の風景が丹念すぎるほどに描かれている。これはいったいどういうことか。おそらく『ちーちゃん』における風景は、ナツの目から見える神戸の街なのです。 そして今作『月曜日の友達』はどうかと言うと、海がしっかり描かれていて舞台が神戸だとすぐにわかる。そればかりではなく、潮風によって劣化した建物のほころびまでしっかり描かれている。それが『ちーちゃん』ではどうだったかというと、ただただ薄汚くてうら寂しい、どこにでもありそうな街の風景の一部にすぎませんでした。今作における風景は、水谷の目からみえる風景とみて、まず間違いないと思います。水谷は、この街の風景から、あるいは月野くんの目から、色んなことを感じ、尚且つそれらを美しいと思う。光に照らされれば当然のようにできる影にしても、水谷の目にはちょっと特別な美しいものに思われる。水しぶきが舞えば光が反射してキラキラするのがみえてしまう。そう、見えてしまう。水谷の目には色んな美しいものがみえる。同じ街でも、見る人が違えばこんなに違ったふうにみえるのです。 でも、実際には違うひとが見ているわけではないんですね。ナツにしても水谷にしても、やっぱり彼女たちは作者の分身であるわけです。同じひとがみていても、風景というものはこんなにも違ってみえる。ちなみに作者の阿部共実さんは神戸の出身らしいです。もしかすると、子供の頃はナツのようにつまらない街にしかみえなかった神戸が、大人になって美しい風景として見られるようになったのではないか、そんな想像をしてしまいます。

アフター0

1つ1つに様々な要素が濃密に詰まった逸品SF短編集

アフター0 岡崎二郎
鳥人間
鳥人間

SFといってもジャンルに多少の幅があり、王道なSFの他に、ファンタジーっぽいもの、超常現象や超能力など色々ある。岡崎二郎作品は宇宙家族ノベヤマを読んだことがあるけれど、あの作品のようにとても気持ちがほっこりとするような話が多い。このアフター0もバッドエンド的なお話はほとんどないと思う。 これでもかというくらい示唆に富んだストーリー、感情表現、舞台設定など多種多様な要素がみっちみちに詰め込まれている。「そうきたか!」と唸らざるをえないひねりや、なるほどと思わせる登場人物の考え方(たぶん作者の考え方なんだろう)など、読むと自分の世界が広がるような漫画だ。こういう感覚を抱いたのはグレッグ・イーガンの「ディアスポラ」を初めて読んだとき以来かもしれない。比較的ゆるい感じの絵なので、いわゆるハードなSF好きな方々はそこで敬遠してしまうかもしれないが、騙されたと思って一度読んでみてほしい。 「これも学習マンガだ!」にも選出されているようで、なるほど確かにお子さんが読んでもほぼ安心だし、かつ、多くの驚き・発見が得られる良書だと思う。しかもわかりやすい話が多い。自分も、もっと子供の頃に読んでみたかった。 http://gakushumanga.jp/manga/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%BF%E3%83%BC-0/