名無し1年以上前麻酔銃って命中してもすぐ動きが止まるわけじゃない、効果があらわれるまで何分もかかるとか、普通の銃に比べてかなり至近距離で撃たないと当たらないとか、検索したら不安な情報が出てきたけど… この作品もフィクションだしさすがに麻酔銃の性能と効果は現実より高く作られてるのかな? それでもこころもとなさすぎるけど…しかも弾は各一発ずつ… 高橋や学者達は隊員の生死に無頓着なんだと思うけど 隊員が殺されたら自分達の命も危ないことはどう思ってるんだろう?モンキーピーク the Rock今週のモンピク ザ・ロックについて語ろう7わかる
名無し1年以上前小猿の数も戦闘能力もハッキリしない。 まして、他にも敵がいるかもしれないのに (一応、魔猿が洞窟に入ったらしいのだし) 銃器を手放すとか、判断ミスだよな。モンキーピーク the Rock今週のモンピク ザ・ロックについて語ろう10わかる
名無し1年以上前もしかしたらロックでシマは自衛隊に入隊してて早乙女と顔合わせする? 猿(と生きてたらリョウ)を必ず殺してやるって言ってるくらいだから 体力と戦闘技術を身につけるために 事件を忘れて静かに暮らしたいとか夢だった海外へ旅したいとかは考えてなさそう 猿への憎しみは早乙女より強そうだしモンキーサークルモンキーピークの外伝、モンキーサークルについて話そう7わかる
影絵が趣味1年以上前物語をひとつの凝固した結晶のようなものに例えるならば、物語ならざるものは水とか空気とか流動的で不定形なものに例えられるでしょう。 『はなしっぱなし』での商業誌デビュー以来、『そらトびタマシイ』、『リトル・フォレスト』、『カボチャの冒険』など、五十嵐大介はいちおうマンガ家という身分でありながら、物語の外へ外へと行こうとする傾向、物語ならざるものを描こうとする傾向があったように思います。それはペンタッチにも如実に顕れていて、一級の物語を量産した手塚治虫のガチッとしたペンタッチとは正反対に、絵がどこかへ漂いでてゆくかのような不定形なペンタッチをしています。まるで霧みたいな絵ですよね。 そんな五十嵐大介がはじめて物語と向き合ったのが『SARU』なんだと思います。猿、すなわち『西遊記』の孫悟空。いまも形を変えながら広く世界中で読まれ続けている中国四大奇書の『西遊記』は、三蔵法師が天竺を目指して旅をする明時代に成立した長編小説ですが、いまひとつ著作者がわかっていない。つまり匿名の物語なんです。物語の匿名性については狩撫麻礼の『オールド・ボーイ』にも詳しく書いたのですが、匿名の『西遊記』はしかし、実在したといわれる唐時代の僧、玄奘三蔵が記した地誌『大唐西域記』を基にしている。『西遊記』は『大唐西域記』の史実に則りながら、玄奘三蔵が旅した各地に伝えられた三蔵や猿にまつわる逸話を無数に盛り込んで、虚実入り乱れる一大伝奇小説に発展していったものなのです。 おそらく五十嵐大介はある時に気がついた、物語の外へ外へ行こうとするばかりではダメだということに。そこで物語の内部に入り込んでみた。すると物語はマトリョーシカのような入れ子構造になっていた。『西遊記』の基に『大唐西域記』があり、『大唐西域記』の実際の旅の行程が各地に伝説を残し、その残された伝説を吸収して『西遊記』が膨れ上がるといったように。 入れ子をひとつずつ外して内部に侵入するたびに匿名性が膨れ上がる。そして、ついに究極の匿名性に至ったとき、物語は作為的に凝固するのを止め、水や空気のような流動的で不定形な自然に還る。この自然を五十嵐大介は『SARU』で実現してみたかったのではないでしょうか。さらに『SARU』での試みは『海獣の子供』にも伝承という形で受け継がれていると思います。 SARUあまりにも強靭な物語は物語を止めて自然に還る2わかる
名無し1年以上前確かに先生の作品は自分が大好きな事を周りに伝える為に書いた作品なので、一見してパッと分かる面白さでは無いのかも。 ただ、読んで自分の中で消化する事で分かる面白さや作品の中から伝わる中央アジア文化への愛情を感じて受け取れる事が出来る人達が大ファンになるのかなと思っています。 自分にとっては何度読んでも良い物だなって思わせる作品ですね。 乙嫁語り乙嫁語りってどこがおもしろいの?7わかる
名無し1年以上前ハナさんの表紙や欄外に記載される キャッチコピーというかアオリ文句というかの 「恋愛レベル小学五年生」 ってのは名文だな、と思っていた。 しかし今回の表紙のキャッチコピーも かなり良くて気に入った(笑)。 漫画ゴラクの編集者さん、侮りがたし(笑)。 高嶺のハナさん特大自虐ブーメランが突き刺さるギャップ萌えラブコメ3わかる