六文銭
六文銭
1年以上前
個人的に、土田世紀作品の中でも、心えぐるものとして「同じ月を見ている」と同等かそれ以上の本作。 もはや紙書籍が流通していないので、電子書籍が頼みの綱でしたが、愛蔵版として再配信されたことを本当に嬉しく思います。 洋の東西、メディアを問わず「生きること」をテーマにした作品は数あれど、これほど濃度こく煮詰めた作品はないでしょう。 絵に描いたような幸せ夫婦に訪れる不幸の数々。 子供を求めては幾度も失い、あげく妻が癌に侵され「自分は何のために生きているのか?」を問う姿。 なりふりかまわず努力しても、命がけで祈っても、何一つ報われない無力感。 生々しい感情や絶望は、読んでいて悲しいとか苦しいなんて言葉では表せない、脳でも処理できない、魂レベルで慟哭します。 書き手も命削って書いているとしか思えないです。 「生きることに意味なんてない」と主治医から一つの答えがでます。 だから、1日1日を懸命に生きるべきなのだと。 当時、自分もこの考えに非常に共感しました。 泣いたり笑ったり色々あるけど、生きることが好きだから生きる。 そこに意味はないのです。あっても、後付けでしかないのです。 ただの悲劇に終わらせない底力がこの作品にはあります。 読んだ時代、年齢で違ったことを考えさせられるので、チープな言葉ですが「名作」とはこういう作品をいうのでしょう。
ナベテツ
ナベテツ
1年以上前
まだ少年と呼ばれる頃に、何も知らずにこの作品を買って読みました。マセガギと言われても仕方ないし、母親にこっぴどく叱られたこともあります(それでも捨てられたりはしなかったんで良い親だと思います) 恋愛が甘い物である、ということは流石に否定出来ません。ただ、二人が一つ屋根に暮らすということは、終わらない「日常」に暮らすということでもあります。そこは決して天国ではないし、息が詰まるようなこともある。 それが「愛」という感情によって始まることだと、この作品はかつての少年に見せてくれました。恋人は決して美しいだけの存在ではない。自分と同じように肉体を持った存在であり、そのことで苦しめられることもあるんだと、異性のことを何も知らなかった頃に学んだものでした。 バブルの頃、恐らくこの作品のような生き方は現実感を失っていたのではないかと思います。今の時代にはどうでしょう。若者が貧しくなっている現実もありますが、こんな関係からは恐らく逃避するんじゃないかとも思います。ただ、作中に登場する人達は、自分自身を取り巻く日常に対して必死で生きています。誰に笑われても構わない。唯一人のために生きているという現実は、自分のためだけに生きている人間には、まっすぐで美しいものに映ります。 この時期スローニンやDADAを描いていた吉田聡先生にとって、明らかに異なる作品であり、ある年代にとっては忘れられない作品だと思っています。