hysysk
hysysk
1年以上前
祝アニメ化!ということで藝大受験の倍率も上がっちゃったりするのかなと思い、フラッシュバックしてくる自分の経験談に絡めてブルーピリオドの感想を書いてみます。何を隠そう私は3回藝大を受験し、毎回2次試験まで進みながら落ちたという苦い経験を持っています。藝大受験に人生を振り回される人の話は『北の土竜』にも出てくるので、かつて藝大がどう見られていたか興味がある人はそちらも読んでみてください。 以下思いっきりネタバレを含むので、気にする人はここで読むのを止めた方がいいです。 私は地元が関西で、普通科の進学校に通っていたのですが、特に大学で学びたいこともなく、2年次のコース振り分けで「理系の方が潰しが効くから、やりたいことが決まってないなら理系にしときなさい」といわれて理系コースに進みました。とはいえ理系科目は得意でも好きでもなく、そのまま理系の道に進むことに全く乗り気ではありませんでした。成績もそれほど良くなかったので、いけそうな大学で探してもモチベーションは上がらないし、かといってやりたいこともないのに頑張って難関大学に入るという気力も湧きません。 高校時代はバンドを組んだりギターを習ったりしていたこともあって、漠然と音楽に関わる道ならいいかなと思い、進路指導で先生に教えてもらった芸術工学系の大学をとりあえずの第一志望にして受験勉強をしていたのですが、やはり踏ん張りがきかずセンター試験(いまの大学入学共通テスト)で合格圏内の点数が取れませんでした。 困ったなぁと思いながらセンター試験での得点から合格率順に大学を探せるウェブサイトを見ていると、東京藝術大学の先端芸術表現科というコースが、合格率90%以上と出ているのを見つけました。美術の選択授業すら取らなかった自分でも知っている有名大学しかも国立というところで心が踊ります(ここがまず駄目)。そしてさらに、この先端芸術表現科は新しくできた学科で実技試験がなく(現在はあるようです)、小論文と「個人資料ファイル(=いわゆるポートフォリオで、作品や活動の記録。株の組み合わせではない)」で選考され、既存の美術の形式に囚われないことを目指し理系と文系の区別もない。美術学部だけど音楽も勉強できる。都会に出られる。これは自分のためにある学科だ!となって志望校を東京藝術大学に変更します。 私の高校には美大受験をする人は年に5人もおらず、ゆえに指導する先生もいないという問題がありました。唯一の頼みが美術の先生でしたが、特に受験対策らしい受験対策もなく、ただひたすら小論文に向けて美術史の本や論文などを貸してもらい、議論をしていました(これはこれで役に立ちました)。しかし個人資料ファイルというものが自分も先生も分からず、どうしたものかと思いながら小学校とか中学校で賞を獲った記録などを載せていました。 そう、ブルーピリオドを読んでいれば速攻で予備校に行くべきだと気づけるところです。いやどうだろう、試験日まで1~2ヵ月しかないため断られるか、周りとのレベルの違いに圧倒されて受験自体を諦めていたかもしれません。そもそも藝大狙いで美術予備校に行くなら県外に通う必要もありました。 しかしとにかく八虎と同様、知らない強みで後から考えれば無謀とも思える受験をし、1次試験に合格します。うおおやっぱり自分には芸術の才能がある!東京が俺を呼んでいる(先端芸術表現科は茨城県の取手市にあります)! 2次試験の面接で、この時は川俣正教授がいらっしゃったと思います。当時は全くどんな人かも知らず、何を話したかも覚えていません。「君はどうなっていきたいの?」みたいなことを聞かれたような気もします。藝大の試験日は遅く、合格発表も遅いので、確か卒業式も終わった後に発表を見に行ったと記憶しています。結果は不合格。校門の前で各予備校がパンフレットを配っていましたが、何となく1冊だけ受け取ったところで浪人生活を過ごすことになります。 当時の先端芸術表現科は新しかったので、予備校もそれほど対策ができていなかったこともあり(それこそが大学側の狙いでしょう)、他の大学の近い学科を目指すのが中心のコースに入りました。そこで初めて美大受験で絵を描く時の鉛筆の削り方を知り、インスタレーション(八虎は大学入るまで知らなかった)などを知ります。 講評で上段に上がることは全くありませんでしたが、自分は目指すところが違うし、そもそも初心者なのだから仕方がないと思っていました。学科は常に1位だったし、小論文の授業では絶賛されていたので、このままでいいだろうと。東京は刺激的だし、先生も面白いし、同級生とも趣味が合うので、全く悲壮感はありませんでした。高校時代とは違って理系科目の勉強はほとんどせず3教科に絞り、あとはずっと本や展示で音楽や美術の知識を蓄積していたように思います。「作品を作る」という一番重要なことが抜けたまま。。それ故に8巻で八虎が言われた「『作品』を作ったことがないんだね~」というのは二十年の時を経てグサッとくる台詞でした。今も胸を張って『作品』を作ったかと問われるとかなり怪しい。 美大受験において難しいのはここに尽きて、結局実技ができないといけないということです(学びたいのが美術史やアートマネジメントであっても)。そして実技が「できる」とはどういうことか、高校で美術科にでも通ってない限りは予備校に行かないと誰も教えてくれない。ロボットを作ったことがなくても工学部に入れるし、手術をしたことがなくても医学部には入れます。これは他の学部や学科に比べて美大・芸大が優れているという話ではなく、そもそもの評価基準、体系が違うということです。少し前に藝大建築科を除籍になった方の記事が話題になりましたが、彼も彼を評価する人も一般的な大学や学校の枠組みで考え過ぎです。藝大が持て余したのでもなく、単純に質が低かったのだと思います(例えば先ほど挙げた川俣さんはもっとスケールの大きなことを実現しているので調べてみてください)。頭が良いくらいでは美術界を覆すのは難しいです。 ちなみに9巻で世田介が受かったのは「学科の成績が一番良かったから」という都市伝説が出てきますが、私たちが受験した時もそういう話はありました。特に先端芸術表現科のような領域横断的な学科では、キャラ被りしないように色んな分野から選ばれるという噂でした。つまり自分の場合、2次までいけたのは学科の要素が強く、落ちたのは自分より学科ができた人がいたとか、ポートフォリオや面接が酷過ぎたということで大体納得がいきます。「本当にすごい人は大学に通う意味がないので落とす」というのもありましたが、私ではないですね。 そんな感じで1浪目も2次まで進み、個人資料ファイルの意味も理解し、面接対策もし、若干の奇行に走って2ちゃんねるで言及されたりしましたが、またしても不合格。同じ予備校の現役合格者のセンター試験の得点は3割でしたが、今も立派に作家活動をされています。2浪目は予備校のコースも論文指導だけに変え、あんまり行かなくなってしまったので特に言うことはありません(駄目過ぎ)が、今度も2次で不合格、その前に受かっていた学校に入りました。 それぞれの悩みや台詞やシチュエーションが一度は実際に体験したことがあるようなことで、予備校講師も教授も同級生も先輩も後輩も親も美術を知らない友達も「こういうこと言うよな〜」のリアリティが高く(『君とガッタメラータ!』とか『A子さんの恋人』も再現度高い)、ドキッとして読む手が止まることもしばしばだけど、今更どうしようもない年齢になった(あんな風に怒られることもない)し、ある意味でこれを理解できるのは美大受験を経験したからとも言えるでしょう。ここまで自分は頑張ってなかったなと反省する気持ちもありますが、受験に関しては結果的にどの大学に行くことになっても(行かないという選択をしても)、手を動かして作品を作るのは結局自分なので、ただただ数千年続く美術という世界(美術業界でなく)に向き合うことが大事だなと思いながら読んでいます。
兎来栄寿
兎来栄寿
1年以上前
読み始めてすぐに衝撃を受け、読み終えると五秒ほど深く嘆息しながら、その卓越したセンスに拍手を送るばかりでした。漫画読みでいて良かった、と心の底から思えた作品です。そして、何度か読み返す内に涙すら零れて来ました。 町田洋先生のこれまでの作品は、イメージでいえば圧倒的に「夏」。自分の中にある過去の夏の情景が想い起こされます。しかし、それは常夏の南国のような陽気な夏ではありません。どちらかと言えば、夏休みのプール教室に行ったものの知り合いが誰もおらず蝉時雨の中で歩んだ孤独な帰り道や、最後の一本の線香花火の火が消えて後片付けをしている時のような、鮮烈な季節の中にある陰。夏の終わりに存在する、独特の寂しさのようなものを感じさせます。そして、それは切なくもどこか仄かに温かです。   ■ 町田洋、その誉れ高き新鋭 町田洋先生は、そもそもが珍しい経歴の作家です。元々は自サイトで漫画を掲載していた所、電脳マヴォに掲載。そして、デビュー作となる前短篇集、『惑星9の休日』が、描き下ろし単行本として祥伝社から昨年刊行されました。今の時代、連載も無く単行本が出される、しかも新人が、というのは非常に稀なケースです。ネットの海の中で人知れず花を開いていた才能が発掘され、そうして特殊なルートでデビューを果たすことができたということは、マンガ業界における一つの希望でもあります。 それに続き、電脳マヴォに掲載された三作品を中心に、描き下ろしとして8ページの短編「発泡酒」を加えて書籍化されたのが、二冊目となる『夜のコンクリート』。その内の一作「夏休みの町」は、文化庁メディア芸術祭で新人賞を受賞しています。 ちなみに、『夜とコンクリート』刊行にあたって、最初は電脳マヴォに「青いサイダー」だけを残すことが町田先生に提案されたそうです。しかし、その提案とは逆に町田先生は「青いサイダー」のみを掲載作から外すことを要望したのだとか。私はそのエピソードを知って、とても納得が行きました。それは、言い換えれば他の2篇をWEBで読んで既読の状態であっても、本を買った時に「青いサイダー」さえ読んで貰えれば満足して貰えるだろうという自信の表れではないでしょうか。   ■ かつて見たこともない描線が織りなす、独特の世界 町田洋先生の描く絵は、シンプルですがそれ故にエモーショナルです。 表題作「夜とコンクリート」と「発泡酒」ではフリーハンドで、「夏休みの町」では定規を使った作画になっています。 その中で、異彩を放つのが「青いサイダー」。この作品だけは、全ての絵も書き文字も、Windowsのペイントで描いたかのように直線のみで構成されています。 数多くの漫画作品に触れて来た私ですが、かつて出逢ったことのない画面作りにまず衝撃を受けました。 『夜とコンクリート』P109 > この島はシマさんという > ステレオタイプな島だねと > 人はいうだろうけど > まぎれもなく僕の友人なのだ という、1ページ目から始まる「青いサイダー」。何を言ってるか解らないと思いますが、私も解りませんでした。しかし、このちょっと掴み辛い物語、読み進め、じっくり咀嚼するとその味わい深さに唸らされて行きます。 近年の中でも、町田洋先生は静寂を紙の上に現出させるのが一番上手い作家です。敢えて何も語らせない、キャラクターが無言でいるコマの多さ。そして、どこまでも静謐を感じさせる広漠な風景。それらは謂わばミロのヴィーナスの両腕のようなもので、無限の想いの余地が茫洋として広がり行きます。ぽっかりと開いた空間に夏の匂いと追憶を感じながら、そこに成長と共にある大人になることへの寂寥感、それとコントラストを成す大人として世界の要請に付き合ったが故に生じた後悔といった繊細な情動がもたらされ、胸を締め付けられます。   ■ 今年の夏の傍らに、町田洋を 「夜とコンクリート」「夏休みの町」「青いサイダー」「発泡酒」という四篇によって構成されるこの本は、一冊の短篇集として総体的にも完成度が高いです。「夏祭り」や「夏影 -summer lights-」を夏が来る度に聴きたい曲だとすれば、『惑星9の休日』と『夜とコンクリート』は夏が来る度に読みたいマンガ。 是非、夏の夜に一人静かになれる場所で、町田洋という海に潜ってみて下さい。漫画の世界の無限性を改めて感じさせてくれる、清冽なる才気がそこに輝いています。