メンズエステ嬢の居場所はこの社会にありますか?
世の中にはいろいろな仕事があって。
メンズエステ嬢の居場所はこの社会にありますか? 鶴屋なこみん
ゆゆゆ
ゆゆゆ
いろいろな仕事があるのに、「それはやってません」とか「別料金です」となっているのに、「やってよ。いいじゃん。✕✕はやってくれるのに」とか「✕✕は無料でやってくれないけど、あなたならいいでしょう?」とか言ってくる人はどこでもいるんだなあと思いました。 聞くだけはタダってことなんですかね。 パワーとメリットぽいものを見せつけたら、言うこと聞かせられる可能性が広がるって、どうなんでしょうね。 いろいろなお仕事で聞く下請け辛い的な話が、メンズエステ嬢の世界でも繰り広げられているのは不思議です。 さて、主人公が高時給から選んだメンズエステ嬢の仕事も、それはそれで精神的に大変そうな出来事の数々が描かれていて。 焼き鳥の仕事を長時間してもワープア止まりだったんでしょうか。 それから、一番病んでいるのは消えていく嬢でなく、店長なだったんじゃないかなとも思ったり。 冒頭に書いた、どこも無茶言うやつはいるもんだなあという感想に続いて、普通の枠にはまれない場合、働かなきゃ生きていけない仕組みというのはとても辛いもんだなあ、と読んでいて思いました。
うちのむっくはいつも楽しそう
「いぬ」という神秘的な愛の顕現 #1巻応援
うちのむっくはいつも楽しそう じゅん
兎来栄寿
兎来栄寿
ポメラニアン飼いとしては、読まずにいられませんでした。 『こんにちは、いぬです』のじゅんさんが描く、実際にじゅんさんと一緒に暮らしている若いポメラニアンのむっくくんとの生活の様子を描いたフルカラーエッセイ4コマです。 ゾウボールに夢中だったり、「〜する人」という言葉に敏感に反応したり、ドッグランでみなに挨拶して全速力で駆け出したり、前からくる人の買い物袋やキャリーケースをいぬだと思ったり、さまざまなむっくくんの仕草がとてもかわいく和みます。幕間で、時折実写のむっくくんの写真も掲載されておりただただかわいいです。 我が家のポメはポメにあるまじき大人しさでおもちゃ類にもまったく興味を示さないし、食に対してもそこまで執着がないので同じ犬種であっても全然違うなと思うところも多いです。 けど、それでもやはり同じポメラニアン。 ・人間の間に挟まろうとしてくる ・まるいふわふわベッドを与えてもはみ出す ・舌をしまい忘れる ・喜びが限界突破して高速回転しCDになってしまう ・食べ物を少し離れた場所に持って行って食べる ・時々日本語を理解している ・玄関の「ピンポーン」には反応する ・うれしいと耳がなくなる(アザラシ化) などなど、「あるある!」と深く頷いてしまうところが盛りだくさんです。 飼ってない人には伝わらないと思うんですけれど、本当にポップコーンやパンの匂いがするんですよね。肉球の汗腺から出るにおいのようなんですけど、外見も声もかわいいのに匂いまでかわいいってどういうこと? といぬかわいすぎ宇宙にいざなわれます。 「ポメラニアンには″猿期″がある」 というのも、犬が好きな人でないとなかなか知らないことですよね。他の犬種でもこういうことはあると思うので、無限に読みたいし知りたいです。 「ニトウシンフワフワザウルス」などの豊かな語彙力とかわいい絵柄でとても楽しませてくれますが、92ページからの ″「いぬ」それは神秘に満ちた存在 「愛」そのもの″ というフレーズから始まる、いぬという存在そのものを褒め称える件は真理に他なりません。 番外編にじのはしは、いぬはもとより他の動物と暮らしている人や暮らした経験がある人は涙なしには読めないでしょう。 いぬ、いてくれてありがとう。 ときどき大変なこともあるけれど、今のこの穏やかな一分一秒を大事に大切に一緒に生きていきたいです。
クリオネの告白
暗い事情で結び付くふたりの少女 #1巻応援
クリオネの告白 ざくざくろ
兎来栄寿
兎来栄寿
ドラマ化もされた『初恋、ざらり』で一躍有名になったざくざくろさんのマンガは、血を流しながら描かれている印象を受けます。 目を背けたくなるようなしんどさにしっかりと真摯に向き合って、触れると痛みが走るそれをもがき苦しみ叫びながら掴まえて、芯を捉えてくり抜き提示してくる。そうして身を削り魂を削るようにして描いたものだからこそ、読む者の心にも鋭利に爪を立てて掻き傷を残す。そんな作品です。 詳細は違えど、この作品で描かれるうららと似たような状況に立ったときの記憶が否応もなく蘇りました。その子にとって、自分しかいないのは解る。好きでいてくれるのも解る。でも、それに応えてしまうとより深い依存となってその先は底無しの沼が待っているのも解る。そこで適度に距離を取れれば良いけれど、その選択肢は有り得ない。それによって他の繋がりも犠牲にすることも含めて無限にどこまでも受け入れるか、この瞬間に離れるその子を再び孤独に追いやるかの二択。 今ははっきりと問題とされていても一昔前なら顕在化しにくかった父親の行為の気持ち悪さや、それを看過してしまう母親の在り方、それによって家族に味方がいなくなり孤立し傷つく様なども非常にリアルで流石です。 暗澹たる部分が縁となりながら、ある種の美しい煌めきを見せるように結びついていく寧々とうららの関係性。しかし、その最中に寧々の心の中からもたげてくる激しい情動。寧々はそれをどのように扱っていくのか。それを受けるうららは果たしてどうなっていくのか。 心と魂にたくさんの火傷や切り傷を負いながら描かれた重みを味わいたい方にお薦めです。 余談ですが、今日はポケモン28周年だとか。初代ゲームボーイが描かれる1997年という舞台設定が懐かしさを催します。