三十歳バツイチ無職、酒場はじめます。

素人臭さというクサミを活かした美味しい漫画

三十歳バツイチ無職、酒場はじめます。 久部緑郎 トリバタケハルノブ 大久保一彦
名無し

第一話を読み終わったときには、 こりゃ駄目だ、俺が嫌いな漫画だ、と思ったんですね。 題名で予想はついていたとはいえ、 ド素人がノリで酒場ゴッコをしたら素人料理が受けちゃって その気になって店を開くことにして・・という 主人公の素人臭さが鼻につきすぎて話を楽しめませんでした。 ホット柿の種だあ?ツナ缶アヒージョおお? 料理とか商売とかプロの世界を舐めてんじゃねーぞ、と。 いや、私も料理はドシロウトですが。 それでもそのあとの話を読み続ける気になったのは、 原作者が久部緑郎先生だったからですね。 あのラーメン発見伝やらーめん才遊記の原作の先生なら、 きっとこの先には面白い話になっていくだろう、と。 例えて言うならば、私の心の中に 久部緑郎先生に対する信頼という貯金があり、 その貯金が底をつくか、その前に漫画がいい味を出すか、 どっちが先か勝負、という賭けでしたね。 とはいえなんだかこの先も、 素人が発想する料理だからこそ凄いんだぜ、みたいな 安易なストーリーが続いたりしたらキツイな、と思いつつ。 結果は・・久部先生貯金は利子がついて返ってきました(笑) 第三話で初見の客から思いっきり駄目だしをされる シーンが出てきまして、 まさにその通りだぞ、この素人が、と思い、 いや、ほんとに私も料理はドシロウトなんですが、 なんだやっぱり久部先生自身はちゃんと そういう点をふまえて原作を作っていらしたのだな、 とホッとし、さてそれでこれからどういう話になるの、 と興味が沸いて、それから話にノッていけるようになりました。 その先は素人臭さというクサミを適度に抜いたり活かしたり、 その匙加減に納得がいって、だんだんと良い味に 感じるようになりました。 結局、全二巻で終わってしまいましたが それが残念に感じてしまうほどに。 ツナ缶アヒージョも作って食べたら美味かったです(笑) 追記:作画のトリバタケハルノブ先生の絵も、 最初は人物の4頭身っぽい絵に戸惑いましたが、 見慣れてくるとイイ味わいを感じるようになりました。

ライオンブックス

悪魔がかわいい戦国時代版ファウスト『百物語』

ライオンブックス 手塚治虫
一日一手塚

手塚治虫がゲーテの「ファウスト」を題材に描いた三作品のうちの二作目『百物語』がライオンブックスシリーズの5巻に収録されています。 舞台を大胆にも戦国時代にアレンジした本作は、子ども向けに原典を紹介した『ファウスト』から一段の飛躍が見られ、オリジナリティにあふれたキャラクターの魅力と物語のダイナミズムが魅力です。 武士として不本意な死を遂げることになった主人公は悪魔「スダマ」に魂を売り渡すことを条件に 「満足が行くまで人生を過ごす」「天下一の美女を手に入れる」「一国一城の主になる」 この3つの願いを叶える契約を結び、不和臼人(ふわうすと=ファウスト)として新たな人生をスタートします。 なんと言っても悪魔のスダマがかわいい。 当初は契約のために不和に力を貸すだけの振る舞いでしたが、一緒に過ごす中で不和のことを気にかけるようになりかわいらしさが増していきます。この世一の美女である玉藻の前に嫉妬したり(自分が紹介したのに)。 一作目の『ファウスト』では悪魔メフィストフェレスはマスコット的な立ち位置でしたが、本作のスダマは油断ならない契約相手でもあり、頼りになる相棒でもあり、けなげなヒロインでもあるのです。 この重層的なキャラクターが彼女の魅力を引き立てています。 「満足した人生」とはなにかというファウストのテーマが、不和の武士としての生き方とスダマとの関係性のなかで見事に描かれています。美しいクライマックスでした。

ラストメンヘラー

17歳を過ぎてもなお

ラストメンヘラー 天野しゅにんた 伊瀬勝良
野愛
野愛

わたしたちは「あなたにはわからない」と「あなただけはわかるはず」の狭間で生きている。 なんて言うと、ちょっと主語が大きすぎるかもしれないけれど。 わかってほしいとわからないでしょうを揺れ動きながら、世界に折り合いをつけて騙し騙し生きている。わかんないけど、多かれ少なかれみんなそうでしょう?だから、こういう作品に心動かされてしまうんでしょう? 少なくとも、わたしはそうです。 心に闇を抱えたリストカット常習者の五十嵐と、彼女に恋するあまりとある嘘をついて理解者のふりをする要の物語。 恋愛物語とかメンヘラのお話とかカテゴライズしてしまうのがもったいないくらいに、純粋で剥き出しで痛々しくて、人と人の関わり合いにおける大切なものがこれでもかというくらい詰まった作品だと思う。 肌と肌を触れ合わせるだけで伝わることもあるし、言葉を尽くしても伝わらないこともある。どんなに近づいても、好きで好きで仕方なくてもわたしとあなたの間には隔りがあるのだ。だからこそ、実際に理解してくれているか理解しているかはさておいて、手を取ってくれる人がいることが幸せなんだ。 不確かな「わかるよ」よりも、確かな「わかりたいんだ」のほうが暖かいんじゃないか、そんなことを思った。 わかっているけど、わかんなくなっちゃうことに気づかせてくれた作品でした。

刑務所でマンガを教えています。

マンガも人生も色んな背景がある

刑務所でマンガを教えています。 苑場凌&JKS12
名無し

マンガはデジタル化が進んでいる。 パソコンのハードやソフトが進化し多様化し、 ネット環境も整っていくなど時代は変化したのだから、 それも当然のことだろう、そんな程度に考えていた。 マンガを作る側ではなく読む側の立場として。 「マンガの製作もデジタル化が進んで  楽になったのだろうな」 「背景画とか、写真をPCにデータで取り込んで  トレースすればいいんだろうから楽になっただろうな」 程度に考えていた。 「刑務所でマンガを教えています。」 を手にとったときには、そういう感じの考えから 「ああ受刑者もマンガを仕事に出来る世の中になったか。」 くらいにしか考えていなかった マンガ製作の現場とか、マンガ製作を刑務所で指導する事とか、 そこで指導する側もされる側もいかに大変か、 技術を身につけ発揮することがいかに大変か、 特に刑務所で受刑者がそれらを行うには、 乗り越えねばならないしがらみがあり、 意味や意義や責任までを問われるとても大変なこと なのだとか、 読後にようやく思い知らされた。 何重にも重なる意味で、マンガ制作も 刑務所の中の人も、出てきた人も、 このドキュメンタリーマンガの背景も、 それぞれにどれだけ大変な部分があるのかと。 また、そういう点とは別に、 デジタル手法でのマンガ作成の技術が こと細かく解説されており、 背景画ひとつでも、けして写真をトレースして キーボード操作一つで楽勝!というわけではなく むしろメチャクチャ大変なことが理解できた。 そして世の中でPC化デジタル化がいかに進もうと、 人が動く気になるとき、人が何かを成し遂げるとき、 やはりアナログ的な人と人との「縁」が関わっていること。 やはりそういうことなんだろうな、とも、 このマンガを読んで感じた。 今後はマンガを読むときに、 文字通りに背景画の一つ一つがどう描かれているかとか、 そのマンガが完成し出版されるまでの背景がどうかとか、 多様な意味で背景を軽視できなくなってしまったと思う(笑)

下を向いて歩こう

海辺で宝探し女子高生! #1巻応援

下を向いて歩こう 湖西晶
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ

この作品は「ビーチコーミング」という趣味を取り上げています。ビーチコーミングとは、海辺で漂着物を拾ったり、観察したりする趣味のこと。私はこの趣味をマンバ通信の記事で知り、作品に興味を持ちました。 https://manba.co.jp/manba_magazines/11307 そんな趣味を楽しむ女子高生達。 ●ビーチコーミングが好きな旅館の娘・硝子 ●スイスから越してきた碧眼娘・シエル ●硝子の幼馴染で科学部所属・さざれ 今まで一人で浜を探索していた硝子は、シエルにぐいぐい押され、二人をくっつけようとするさざれと三人で海岸に繰り出します。 キラキラした物、不思議な自然の造形が沢山出てきて飽きさせません。地面に視線を這わせて宝を発見するのは、例えば山菜やきのこ、鉱物や化石趣味と似た楽しみでしょうか。 面白い物を見つけて、感じたことを共有し、互いにツッコみ笑い合うのは楽しそう。自ら孤独を選んできた硝子がシエルに明るく迫られながら、人と関わり始める物語は優しく愉快! 恐らく2巻以降、さらに面白くなると思うんですよね。その鍵となるのは、途中参加の ●ちょっと怖い手芸部のすさみん ずっと海岸で拾うばかりだった三人に、すさみんは「加工」という概念をもたらします。そのショックは、素敵すぎて硝子が涙するほど。1巻でも少し出てきますが、2巻以降、拾った物を「加工」する「物作り漫画」に化けていくのか……という観点でも、注目していきたいと思います。 和歌山・白浜(2巻以降、串本も)ご当地漫画としても、注目!