【無料連載】19歳のぼくが母のおむつを替えた日~ヤングケアラーの現実と再生~

ヤングケアラーの実態が知れる

【無料連載】19歳のぼくが母のおむつを替えた日~ヤングケアラーの現実と再生~ 一ノ瀬かおる
六文銭
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読んでいて凄く苦しくなりました。 誰も悪くないのに少しずつおかしくなって、気づけばどうにもならなくなって、結果家族全員が不幸になる感じが現実社会そのものでキツイ。 主人公は、幼い頃に父親が他界し母子家庭。 そこから母親は女手ひとつでお店(お好み焼き屋)を切り盛りしていき、主人公もそれを手伝うようになる。 ところが母親には、もう1つの顔があり、いわゆるスピリチュアルカウンセラー的なもので、これによって主人公の生活が大きく影響を受ける。 色んな人から悩みを相談され、店を閉めてまで遠方にいったりするから、生活はますます困窮していく。 しかもお金はとらない。 お金はまくものだと、神さまがちゃんとみているから、良いことをすればちゃんと返ってくると信じている。 ここまでなら、ただのお人の好しのお母さんなのですが、自分がリアルだなと感じたのは、有りていに言うとお金の問題は子供である主人公を使うところ。 大家さんに滞納した家賃を払いにいかせたり、親族の遺産相続の場に主人公を使ったり・・・ あまつさえ、 「お前を学校にいかせるためのお金なんだから」 と言われてしまう。 親ってなんだろうって思ってしまった。 金銭的に何不自由なく・・・は難しいんだろうけど、少なくとも、親なら子供の成長や教育、それに付随する費用は、這いつくばってでも何とかするのが親なんじゃないんだろうか。 少なくとも、自分はそう思うので、この親のセリフや行動はやはり理解できないし、主人公にただただ同情しかなかった。 その後も、タイトル通り母親が病気で倒れた後は介護などで追われ、子供でありながら母親の奴隷として、肉体的にも精神的にも縛れていきます。 共依存関係ってこうして産まれるんだと、身にしみます。 まだ完結していないようですが、その後、自分の人生を歩むことができたのか?気になるので続きを楽しみにまとうと思います。

わたしは家族がわからない

最後にビビる

わたしは家族がわからない やまもとりえ
六文銭
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率直に言って、 読んだ後 え? ってなって、もう1回読み直してしまった。 で、確かにこういう結末になるようなフラグ的なものはあったが、それでもビビってしまった。 そして、平凡って何なんだろうなって考えてしまった。 本作にもあるように、平凡が一番難しく尊いのかもと。 一緒に生きているだけで、特に嫌なところってのは目につくわけで、それを我慢した上で「いつもどおりの日常」を送るって並大抵のことではないんだなと。 「それでも町は廻っている」(石黒正数)という名作で、主人公の同級生・真田のお母さんの葬式の回(4巻 第31話 一ぱいのミシンそば)のなかに、主人公・歩鳥が涙するシーンがあるのですが、それを著者である石黒正数先生が、 「真田に同情したからではなく、当たり前の日常を送るために、周囲の人がいかに努力しているかに気づいたから涙した」 的なことを書いてましたが(これだけ読んでも意味不明だと思うので「それ町4巻」を読んでほしいw)ホントそうだなと思います。 みんなが少しずつ我慢したり、ある時は誰かが我慢したり、その繰り返しの中に「当たり前の日常」があるんだと痛感しました。 本作に出てくる主人公も平凡を望むあまり、突然、夫が1週間失踪してもまるでなかったかのように我慢した結果がアレだとしたら悲しすぎる。 問題と向き合わなかった結果と言われればそれまでだけど・・・ 遅かれ早かれこの結果になっていったのかな?普通に生きていくって?とか考えると、どうにもモヤモヤしました。 何にせよ、問題提起や考えるきっかけという意味では、本作は秀逸だと思います。