続く道 花の跡

結婚前の女性と、計算手というお仕事

続く道 花の跡 ななせ悠
ゆゆゆ
ゆゆゆ

日本初のコンピュータに関する、実話を元にしたフィクションのようです。 計算を女性がしていたという話は、アメリカの宇宙開発の話で聞いたことがあったのですが、日本でも計算手の仕事があったことに驚きました。 そして、計算手の仕事がコンピュータに奪われると言っていた事も今は昔。 それが当たり前になって、新たな仕事が生まれ、その仕事が奪われる!と言い‥と、繰り返しているんだなと気付かさせられました。 しかし、昔の人はなんでも自分で作ってしまって、すごいですね。 仕組みを理解できたら作れるのかと思ったのですが、日本初のコンピュータの仕組みを読んでみてもさっぱり理解できませんでした。 作中に登場する岡城課長に当たる方は、現実では岡崎文次さんという方だそうです。 主人公の中村美樹子さんにあたる計算手の女性は、存在は書かれていても名前は出てきません。 序盤にあった「仕方ない。女に生まれたから」というシーンと、最後のシーンを思い出してしまいます。 ぜひ最後の場面は存在していてほしいです。 それから女は計算が苦手といわれる印象があったのですが、整数の四則演算どころか対数と言っている点にもびっくりしました。 めちゃくちゃ計算しています。仕事として計算しています。 思い込みはいけませんね。 日本初のコンピュータについて気になった方は、FUJICに関するWikipediaと、Wiki内参考文献にある岡崎文次さんによるドキュメントもぜひご一読を。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/FUJIC ジャンプラのコメント欄でオリジナルについて指摘されていて、思わず調べて読んでしまいました。

ミモザイズム

芸術とは現代アートとは

ミモザイズム 松尾あき
ゆゆゆ
ゆゆゆ

ただの床に置かれたメガネを落とし物と思わず、作品と勘違いさせてしまう空間。 それが美術館と第一話冒頭では描かれている。 だから、落書きのような絵も、もっともらしい説明と親の七光り、本人の自信満々な態度があれば、すばらしい作品に見えるのかもしれない。 最初に登場した「福沢」がお金を第一にする人として描かれていたので、次に登場した「みもざ」は「わざと天才と自称し恐ろしく下手な絵を高説と共に描き出す」態度を取っているのかと思ったら――そうなのか、どうなのかもわからなかった。 読めば読むほど煙に巻かれに巻かれ、何が本当で何が嘘なのか、わからなくなってくる。 いやそれだけではなく、あまりにも考えを変えて魅了される人が多いので、あの絵はみもざが言うとおり、様々な意図をはらんだ、おそろしく上手な絵なのかもしれないと思い始める。 作中の大衆に飲み込まれ始める。 だって、福沢が「下手な絵」云々と評しているから、その流れに飲まれて、「下手な絵」と思い込んでしまっただけかもしれない。 どうみても子どもが描くような絵だけど、芸術ってそういう理解できないところがあるもの。 みもざの画力以外にもおかしな点は描かれているのに、気にする余裕もなく、次の御高説が披露され、作中ではまた信者が増えていく。 芸術っていったいなんなんだろう。 現代アートキャンパスコメディとあらすじにあるのに、大真面目に考えてしまう。 お金第一がこんなに理解しやすいシンプルな考え方とは思わなかった。 そして、儲かる個展は開けるのか。 信じる者と書いて「儲」だから、このコンビならいけそうな気もする。 あなたも本作を読んで、この不可思議な世界に足を踏み入れましょう。