男として生まれたからには、堂々と豪快に生きていきたいものだ…。年に一回ほど、発作的にマチズモを発症する私です。おそらく、プランクトン系男子として流されるままに生きている反動がそうさせるのでしょう。  しかし、豪快であるとは一体どういうことなのか。その答えは「豪快さん物語シリーズ 嵐のカツ丼」に全て書いてありました。ホントです。  豪快さんはとにかく豪快です。もう説明不要に豪快です。扉から「最近の新人類はなっとらん」と怒りを顕にするほどです。豪快さんが何に対して怒っているかというと、若者がハンバーガーを好む風潮に対して。「男の基本はドンブリ飯だ!!」とこれまた説明不要に断言すると、豪快さんは丼の中の丼、カツ丼を食べに歩き始めます。  「カツ丼だ!! カツ丼だ! ワシは喰う!カツ丼を!! たとえ誰が何んと言おうとも!」  そうです。このマンガは豪快さんがカツ丼を食べるという、ただそれだけのマンガなのです。しかし、豪快さんがカツ丼を食べるという行為は、消費するといういことを意味しておりません。カツと卵と玉ねぎの関係性を考えつつ、メシとカツが同じ配分でなくなっていくように計算して芸術的に食べていく。そのうちに自分とカツ丼の存在を見つめながら豪快さんは考えるのです。「ワシがいてカツがある。ワシがいて宇宙がある」  宇宙の真理を悟った豪快さんは全ての理屈を投げ捨て「ただ豪快に!! ただただ豪快に!! 俺はカツ丼を喰う!」。涙をながす豪快さんの一コマになんともいえない感動が胸に去来します。ただおっさんがカツ丼を喰うだけのマンガなのに。その感動を説明することはできません。豪快であること。それは説明不要であるということなのです。
名無し
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