あらすじ

<明治>という時間軸に交錯する群像を、関川夏央の気鋭の原作を得て、名手・谷口ジローが渾身の力で描いた話題作。歴史上の人物たちの同時代的邂逅が意表を突く!!
坊っちゃんの時代 1

<明治>という時間軸に交錯する群像を、関川夏央の気鋭の原作を得て、名手・谷口ジローが渾身の力で描いた話題作。歴史上の人物たちの同時代的邂逅が意表を突く!!

坊っちゃんの時代 2 秋の舞姫

<明治>という時間軸に交錯する群像を、関川夏央の気鋭の原作を得て、名手・谷口ジローが渾身の力で描いた話題作。歴史上の人物たちの同時代的邂逅が意表を突く!!

坊っちゃんの時代 3 かの蒼空に

<明治>という時間軸に交錯する群像を、関川夏央の気鋭の原作を得て、名手・谷口ジローが渾身の力で描いた話題作。歴史上の人物たちの同時代的邂逅が意表を突く!!

坊っちゃんの時代 4 明治流星雨

<明治>という時間軸に交錯する群像を、関川夏央の気鋭の原作を得て、名手・谷口ジローが渾身の力で描いた話題作。歴史上の人物たちの同時代的邂逅が意表を突く!!

坊っちゃんの時代 5 不機嫌亭漱石

<明治>という時間軸に交錯する群像を、関川夏央の気鋭の原作を得て、名手・谷口ジローが渾身の力で描いた話題作。歴史上の人物たちの同時代的邂逅が意表を突く!!

坊っちゃんの時代

谷口ジローの文体

坊っちゃんの時代 谷口ジロー 関川夏央
影絵が趣味
影絵が趣味

小説を言い表すのに文体という言葉があるが、これは小説にかぎったことではなくて映画にも漫画にも文体はある。ここでいう文体というのは単に文章の持つ調子のようなものではない。作者がどのように世界を見ているか、という問題としての文体である。つまり、どういうふうに書かれるかというよりは、何が書かれるかということに直結してくる。 してみると映画の場合の文体は、カメラが何を映すかというになってくる。映画というのは製作者の役割が分業されていて、たとえば脚本と監督がちがう場合がほとんどである。それでいて、その映画は誰がつくったものなのかということになると、そこには監督の名前がくる。それは当然で、映画の文体を握っているのが監督だからである。監督は脚本通りに撮影を進めていくが、そこで何をカメラに映させるかのすべては監督にかかっている。 漫画の場合の文体は言わずもがな、何が描かれているかである。ようするに、谷口ジローの漫画を読む私たちは谷口ジローの目を通してそこに描かれる世界を見ることになる。ところで谷口ジローはいまや日本を飛び越えて世界に愛される作家であるが、世界は谷口ジローの何に魅せられているのか。漫画作家としては珍しく谷口ジローは原作をおくことが多い。つまり、世界の谷口ファンはストーリーに魅せられているのではない、谷口ジローの世界の捉え方、すなわち文体に魅せられているのだ。