中上健次のプロフィール

中上 健次(なかがみ けんじ、1946年8月2日 - 1992年8月12日)は、日本の小説家。妻は作家の紀和鏡、長女は作家の中上紀。
和歌山県新宮市生まれ。和歌山県立新宮高等学校卒業。新宿でのフーテン生活の後、羽田空港などで肉体労働に従事しながら作家修行をする。1976年『岬』で第74回芥川賞を受賞、戦後生まれで初めての芥川賞作家となった。
紀伊半島を舞台にした数々の小説を描き、ひとつの血族と「路地」(中上健次は被差別部落の出身であり、自らの生まれた部落を「路地」と名付けた)のなかの共同体を中心にした「紀州熊野サーガ」とよばれる独特の土着的な作品世界を作り上げた。
主要作品に『枯木灘』(毎日出版文化賞、芸術選奨新人賞)『千年の愉楽』『地の果て 至上の時』『奇蹟』などがある。
1992年、腎臓癌の悪化により46歳で早逝した。

南回帰船

伝説として

南回帰船 たなか亜希夫 中上健次
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し

中上健次は、戦後文学界に突出した小説家である。 漱石や鴎外、谷崎や三島に比肩するほどの、我らが時代の作家だ。 その中上が、漫画原作のためオリジナルに作品を書き下ろす。描き手は『迷走王 ボーダー』(原作:狩撫麻礼)のたなか亜希夫…このニュースに触れた時、心が震えた。「真正の小説家が、本気で漫画に立ち向かうのか。遂に漫画は“そこ”まで来たのか」と。 結果は、拍子抜けするような失敗であった。 だが、これ以降現在に至るまで、中上健次のような才能が、真っ向から「漫画」に挑んだことはない。 その意味で、本作は「伝説の失敗作」である。 作品内に乱反射するテーマを見れば、中上が本気であったことは間違いない。たなかも渾身の仕事で応えている。 しかし、マイク・タイソンまで繰り出したその「漫画」は、まるでこれまで存在した劇画のパロディのように上滑りした印象のまま、未完に終わった。 たなか亜希夫であるなら、盟友・狩撫麻礼との諸作は当然として、石井隆と組んだ『人が人を愛することのどうしようもなさ』や、ヒット作『軍鶏』(原作:橋本以蔵)のほうが、明らかにそのマリアージュは成功している。 なぜ中上健次ほどの巨大な才能がこんなにも不格好な空振りをしたのかを考えるのは、興味深い比較文学論になりえるだろう。 とにかく、これだけははっきり言える。 「漫画は“そこ”をとうに超えてしまっていたのだ」と。 アクション・コミックス版『南回帰船』1巻のあとがきに、中上は書いている。 “「南回帰船」はオデッセウスのように自己発見の旅に出るその少年の叙事詩である” 刊行当時、自分はこの一節を読んで、「おお、これは狩撫麻礼×谷口ジロー『LIVE!オデッセイ』へのオマージュ、あるいは挑戦なんだな」と思った。狩撫とのコンビで有名なたなかと組んで、「オデッセウス」とか「自己発見の旅」というなら、当然そうなんだろう、と…。 だが、それは間違っていたようだ。 中上健次は、たぶん『LIVE!オデッセイ』を知らなかったのだろう。 惜しい。 もう少し中上が、自らが挑むジャンルへの知識と執着を持っていれば、結果は違っていたかもしれなかったのに。 フォークナーがハワード・ホークスと組んで、ヘミングウェイの原作を映画化した『脱出』やチャンドラー原作の『三つ数えろ』が出来たような、そんな「伝説」になっていたかもしれないものとして、自分は今も『南回帰船』を忘れられずにいるのです。 以下は、余談として。 『南回帰船』の原作は、散逸していた中上の原稿を収集した「劇画原作小説」として単行本化されており、その監修者である大塚英志による「解説」もネット上にはある。中上が目指した「劇画」と大塚原作の資質は随分と異なるのだが、検索してみるのも一興だと思う。

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