家族の話。いい塩梅で面白かった
ネグレクト親から逃げたアンが、偶然出会ったアキの家で居候を始めるって話。 いい家庭で育った人とそうじゃない人が話し合いの前提から食い違ってるみたいな描写は、家族とかに限った話じゃなくてよく聞くけど、生々しさがあったな。 面白かった
ゴミ屋敷で酒びたりの母に育てられた少女アン。彼女はロリータ服を身にまとい、日々を闘う。ある日アンは母と衝突し、祖母の住む徳島へと家出。そこで謎の着物少女アキに出会い、同居生活をはじめることに…。アンを優しく見守るアキに手を引かれ、アンの世界は拡がっていく…。
「両親を敬う」
それは基本的には理想であり、美徳です。
しかし、人間的に致命的な欠陥を持ち、それを我が子に容赦なく振り撒く親というのも確かに存在します。理不尽な暴力やネグレクトに晒され続けてなお、「それでも親は親だから」と言えるものでしょうか。憎悪と殺意以外の感情を向けられない肉親の存在は、心を病ませます。なまじ家族であるだけに、離れることも叶わない。それは呪縛です。血の繋がりを呪い、同じ血が流れ遺伝子を受け継いでいる自分すらも嫌悪の対象となります。そんな風になるくらいであれば、いっそのこと物理的に距離を取ってしまった方が余程良いです。
今回紹介する『アンの世界地図』は、そんな選択をして幸せを手に入れた女の子のお話です。そして、様々な要素が詰まり充実した物語です。
■家出ロリータ少女、徳島で着物少女に出会う
主人公の竹宮アンは、フランス貴族に憧れる16歳の少女。父親は単身赴任中、東京のボロアパート(通称:ゴミ屋敷)にて酒乱の母親と二人暮らし。綺羅びやかなロリータ服が唯一のアイデンティティだったアンですが、ある日、母親の酒が入ったことによる蛮行で自らの宝物の洋服の数々をズタズタにされ、遂に祖母のいる徳島を目指して家を飛び出します。そして、辿り着いた徳島の地にて、美しい着物の少女アキと出会い、アンはアキの家で暮らし始めます。
ロリータ服で近所のコンビニで半額弁当を買って行き、店員には「値引きのロリータ」「ビンボー姫」などと仇名を付けられている、小さい頃から貧乏だったアン。他の家庭では注いで貰えた愛情をろくに注いで貰えなかったことは、深い傷をアンに与えていました。
とアンがアキの祖父に語るシーンの言葉が重く響きます。あまつさえ、自分の本当に大切にしている物をゴミ扱いされては、我慢の限界に達するのも解ります。
徳島の神社にて、
と祈る彼女の切実さ、いじましさに胸が搾られる想いです。
その後、彼女はお遍路さんを助けるおもてなし文化「お接待」の心を大切にしているアキを母親代わりとして、新しい暮らしの中で幸せに起きられる朝を得ます。ずっと自分のいる場所を「ここではない」と思い続けて来た少女の、その世界地図が新たに拓けていく時。出だしは少々辛いですが、その分そのカタルシスとなる部分は優しく暖かで胸に沁み入って来ます。
■日本や徳島の豊かな文化
(画像『アンの世界地図』1巻4頁)
この作品、開幕が「吾輩は猫である」ならぬ、「わたしは家である」というモノローグから始まります。そこで行われるのが「うだつが上がらない」の「うだつ」の解説。他にも、神社の参拝の仕方や、着物の着方、お箸の持ち方など、時折日本人として知っておくと良い雑学が語られ、作品に溶け込んでいます。
又、徳島の名産料理なども実に美味しそうに描かれます。青とうがらし味噌を塗って、青じそを巻いて食べるおにぎりや、みょうが・シソ・甘辛豚肉・干しエビ・半熟卵・しらがねぎ・きゅうり・かにかまという豪華な付け合せのたらいに入ったたらいうどんなど、実に食欲をそそってくれます。もう、これらを食べるために徳島に行ってみたいと思わせられる程。今、「マチ★アソビ」などで注目を集める徳島ですが、この作品にも注目し、これらを提供する場所を作るのも良い町おこしになるのではないでしょうか。
更に、ここまでに書いたことだけであればまだ通常の少女マンガの範疇なのですが、1巻後半では突如として濃厚なボードゲーム語りから麻雀が描かれます。少女マンガとしては異端ですが、そこがまた面白い所で。ゲームというのもまた一つの対人コミュニケーションの手段。家族麻雀を通して紡がれる絆や想い、そこにもまた優しさと暖かさが満ちています。不良になった息子とも、麻雀を通してなら繋がることができたという描写があるのですが、親子の間でそういった絆となる物を持っておくことは良いと思います。
一冊の中にメインストーリーの他にも多様な要素が盛り込まれており、飽きさせません。
■十年後の小さな幸せのお供に、『アンと世界地図』を
吟鳥子先生は、「現実の十年後の小さな幸せにつながる少女漫画が好きで、そういうものを描けたらいい」と仰っていました。曰く、「20年前に読んだ、タイトルも忘れた低年齢向け少女漫画で、おばあちゃんがクラシックなイギリス風ケーキを焼いて、孫の少女が「あ、お茶はアールグレイがいいな」と言った。その台詞からアールグレイという茶葉を覚えて、今でもクラシックなケーキを食べる時はアールグレイを淹れる。そういう幸せ」と。『アンの世界地図』は間違いなくそういう幸せをくれる作品になっています。それは徳島に足を運んでたらいうどんを食べた時かもしれませんし、誰かと心を通わせる瞬間かもしれません。いずれにせよ、読んでいる瞬間、そして読み終えた後の未来において、素敵な時間を約束してくれる作品です。
今年読んだ少女マンガの中でも、屈指の作品。男性でも読み易い内容ですので、お薦めです。
吟鳥子先生の作品は、切なさと優しさに満ちています。『アンの世界地図』を気に入ったら、他の作品にも是非手を伸ばしてみると良いでしょう。