百万畳ラビリンス

2013年、多くの人の"想像"が拡がった頃

百万畳ラビリンス たかみち
さいろく
さいろく

連載開始からもう11年も経ったんだなーと驚いたりショックだったりもするけれど、思い返すと10年代前半は漫画もアニメも「なろう」の波に押し流されないように必死だった時期でもあったと思う。 なんでか、なろう系に限らずだけどオタク文化は未だギリギリ悪いものとして扱われがちだった時代な気がする。ラノベも一部インフルエンサーにTwitterで酷評され続けていたり。多様性を受け入れられていない社会だったんだきっと。 今思えば慣れたよね、受け入れられないのカッコ悪いみたいな空気ができて。でもって今はまた本流に戻そうとしていたりする風潮も一部ようだけど、それはずっと一部なのだろう。 脱線しまくったけど、2013年に連載が始まったこのJDが迷宮に迷い込んでなんとかしていくマンガ「百万畳ラビリンス」はそこそこ異彩を放つ存在だった。 ファンタジー要素ナシで(異世界じゃない)、流行ってた俺つえーでもなくて。 かつ絵が上手い。 登場人物が可愛い(人外も含む)。 ゲーム大好きデバッガー(自分の世代だとその頃デバッガーバイトでやってたやつが珍しくなかった)な女子大生が主人公。 なにより、話がショートショートっぽくてとてもいい具合にキュッとまとまっていて、かつ壮大だったので当時一度読んだだけだったけどお気に入りだった。 #2巻で完結したマンガ としてマンバでまとめられているところで超久しぶりに出会えてすごく嬉しかったので改めて電子購入。

天国に生まれた僕らの話 石田ゆう短編集

今を生きる喘鳴が聞こえる短編集 #1巻応援

天国に生まれた僕らの話 石田ゆう短編集 石田ゆう
兎来栄寿
兎来栄寿

『妄想フライデー』の石田ゆうさんが、これまで描いた短編5つを雑誌・出版社の垣根を越えて収録した短編集です。 「光のゆくえ」 やっと就職できて半年働くことを続けられたと思ったら、大規模な電波障害により街の人々と共にみんなスマホが使えなくなり途方に暮れているところで「ネットを使える場所を知っている」というバニーガールに出逢う一夜の話。 「美人は三日では飽きない。」 大学を中退し就活23連敗中の25歳フリーターで、美人にトラウマと嫌悪感を持つ青年が新たに美人と出逢う話。 第84回ちばてつや賞ヤング部門大賞。 「犬も喰わない僕」 8年ぶりに東京から帰ってきた地元で、昔馴染みの画家を目指す20歳の女の子に自分は今漫画家であると偽る天才になれないアシスタントの青年の話。 ヤングマガジン月刊賞入選作。 「彼女とわたし」 外国人のような風貌の転校生が、クラスのアイドル優子の一言をきっかけに不登校になり「魔女」と仇名されるようになって、本来カーストは下なのに優子のグループに属する主人公が同じ団地に住んでいる魔女とある契約を交わす話。 「ブルーブルースプリング」 高校卒業以来7年ぶりに学校の制服を着て遊んでいたら、夜の公園で女子高生と知り合うお話。 個人的には『コミックビーム』に載っていた「彼女とわたし」がとても好きで、去年読んだ読切の中でも特に印象的だった作品のひとつです。 かわいくて穏やかなのに端々から性格の悪さを感じさせる優子ちゃん。彼女を中心とするグループに必死にしがみつく主人公。学校生活における人間関係の息苦しさのリアルさ。脆い尊厳を容易く踏み躙られた悔しさや悲しさ。それでも、そこから始まるシスターフッドの美しさ。 写実的な画風で、全作品を通して背景や小物も緻密に描かれているのもリアルさを底上げしています。生きることに向いていなかったり自分や他人を受け入れられなかったり、それぞれに思い悩む現代の人間たち。おのおのの蟠りを煮詰めながらも、最後の「ブルーブルースプリング」と巻末のおまけで読後感はすっきりとしています。 若々しさ溢れる部分もあり、今後のさらなる活躍も楽しみになる1冊です。

いじめ撲滅プログラム

いじめのないディストピアの可否 #1巻応援

いじめ撲滅プログラム ピエール手塚 藤見登吏央
兎来栄寿
兎来栄寿

最近GACKTさんにも絶賛されて話題の『ひとでなしのエチカ』や『ゴクシンカ』のピエール手塚さんが作画、『枕営業の眠さん』の藤見登吏央さんが原作を担当する作品です。 電子では1週間前に発売済みですが、本日紙の書籍が発売となりました。 内容はタイトル通りのもので、人間が人間である限りなくならないいじめに対してAIによりいじめを検知して対処する「いじめリアクター」が開発され、システマティックな統制を行なっていこうとする社会を描いた物語です。 いじめっ子に対しては、物理的な対処を行った上で脳に機械を埋め込み「優しい人間」になってもらうという処置までセットになっています。 『時計仕掛けのオレンジ』や『PSYCHO-PASS』などを髣髴とさせる設定で、ディストピア感もあります。いじめに苦しめられた経験のある人や現在進行形でいじめに苦しんでいる人の中にはこのシステムの実在を望む人も多いのではないでしょうか。 人類史を紐解いていくと、狩猟採集の時代から人間は誰かへの陰口を叩くことによって仲間と結束してきた歴史があるそうです。その時代は弱い者を排斥しないと、直接的に自らの命が脅かされる危険性があったことも影響しているのでしょう。 強い者も弱い者も皆で支え合って生きていく社会というシステムが高度化しても、いまだに弱い者や異なる者を排斥したり、それによって結託したりしようとするのは人類がアップデートすべきバグです。 現実的には人権の問題があるので、個人の脳に機械を生み込んで思考を統制するようなことは禁忌ですが、どうしても起こってしまういじめひとつひとつに対して対症療法を行うよりは根本的な原因を取り除きたいという心理は理解できます。 個人としては堪え難い辛苦を受けた先で、それを再び生み出さないためにどうすれば良いのかという問への回答を自分なりに出した牧人。それ自体は法的にさまざまな問題があるとしても、その大元の気持ちは否定できません。 現実にこれからも存在し続けるであろういじめという社会問題。倫理道徳の境界線上で、考えさせられる物語です。