兎来栄寿
兎来栄寿
1年以上前
1コマ目が誕生釈迦仏、2コマ目が軍荼利明王のポーズの真似をする主人公から始まるマンガもなかなかないでしょう。 この作品は、「仏像変態」と呼ばれるほど仏像に偏愛を寄せる美術部顧問の江西先生と、その教え子である城上(しろかみ)さんが主人公の物語です。 江西先生の推しと押しの強さによって、城上さんはさまざまな仏像巡りに付き合わされていきます。 京都・奈良を中心とした寺社仏閣、平等院や永観堂禅林寺などが精緻に描かれ、思わず二重の意味での聖地巡礼をしたくなるほどです(六波羅蜜寺の空也上人像のエピソードでは『空也上人がいた』などもフラッシュバックしつつ……)。 とにかく江西先生のキャラが濃く、 「才能のある後輩やなんで売れてるかわからない作家を見ると気が狂いそうになるわ」 「みんなも早くお酒飲める歳になるといいわねえ  飲んでる間は嫌なこと忘れられるわよ〜」 と、闇の深さ・人間的な弱さを生々しく感じさせます。 一方で、 「私たちは結果が出ない時不安になっちゃうけど… 人間いくつになってもアップデート可能なのよ!」 「人生の時間を使って何かやってるだけで偉いわよ」 といった言葉で教え子を優しく導いていく側面もあり、仏像を通して開いた悟りの境地を感じさせてくれながら読み手である現代人にも寄り添ってくれる内容となっています。 作中でも語られる通り仏像を見ている瞬間に私たちは仏像を通して自分の願いや悩みを見つめ直していて、そうした瞬間を人生の中に持つことは大事であると思います。この作品を読む時間もそれに近しく、間接的にそうした効用も生まれるかもしれません。
兎来栄寿
兎来栄寿
1年以上前
小さな離島で毎日海を眺めながら絵を描き、愛犬と穏やかに暮らす生活。でもそこにはしっかりスマホもPCもあるという適度な文明化。これ、ひとつの理想形では? 私は引退した後は大量のマンガと共に山奥に隠棲したいと考えていますが、こういう風に描かれると海辺も良いよなあと思わずにはいられませんでした。 そんな羨ましい暮らしをしている青年・大崎穂高ですが、しかしそれは都会の生活で負った心の傷を治療するためのもの。楽園のような島の生活ですが、その裏に暗い影を感じさせます。 そして、穂高が住む島に漂着するのが嵐の日に波に流されてしまった海洋生物研究者志望の七倉海都(ななくらかいと)。そこから、彼らによる斬時の共同生活が始まっていきます。 波野ココロさんの絵が美しく、キャラクターも背景も非常に魅力的です。特筆すべきは、穂高と一緒に暮らす愛犬のビケット。フランス語で「かわいい」の名を冠するビケちゃんが最初から最後までたくさん愛らしく描かれており、筆者の犬愛が伝わってくるようでした。 人間関係や芸術は綺麗事だけでは済まず辛い部分も多いですが、それを乗り越えて再生していくひとりの人間の美しい物語として面白く読ませてもらいました。 BLとしての側面ももちろんあるものの若干薄めなので、そちらを求める方は物足りなさを感じるかもしれない一方で、普段あまりBLを読まない方にもお薦めしやすい作品です。
兎来栄寿
兎来栄寿
1年以上前
冬虫カイコさん初の商業作品集。女性同士の関係性を主軸とした話が中心となっており、仄暗さがあるのが特徴となっています。 私は冬虫カイコさんの鋭利な眼差しによる世界の切り取り方が好きです。 例えば、webでも大いにバズったこの短編集の1作目「帰郷」の冒頭。従妹の葬儀のため数年ぶりに帰ってきた故郷でタクシーの運転手に行き先を告げただけで悼句を返された時に出る 「半径数キロメートルの円の中で  すべてが進行し  すべてが共有される  だだっ広いくせに狭苦しい社会」 という息苦しい田舎の閉塞感への端的な表現。 こうした良さが随所に見られます。多くの人が抱いたことがあるであろう何とも形容しがたいモヤッとした想いの見事な表出など、マンガによる抽象概念の言語化に非常に長けている方だと感じます。 「きずあとに花 第2話 ふたりの色目」も6万RT・20万いいね以上されたお話ですが、個人的にも特に好きです。「かわいい」という言葉にトラウマのある年配の古文教師と、何かにつけて「かわいい」を連呼するギャルの物語です。 描き下ろしの「刺青」もそうですが、普通に生きていれば交わらない者同士が偶然の縁で美しく結びつく瞬間が謳うように描かれており、沁みます。 劣等感や嫉妬など負の感情に苛まれる主人公たちは、他の物語であればそんな感情とは無縁の主人公に隠れた脇役だったかもしれません。そうした陰の存在に寄り添い、こうして巧みに物語化する冬虫カイコさんの手腕。 そして、そんな感情も清濁合わせていつか懐かしく回顧する日が来るのかもしれない、と本を閉じてタイトルを見返した時に思います。 良さに嘆息しながら今後の作品も楽しみに待ちたいです。